お江戸幻想異聞録・金剛日記

(其ノ弐)藤原佐為

(7)
「こら、光。待て待て、そんなに急いでは裾が汚れるぞ。」
手前は大股で歩きながら、はっしと振袖の肩をつかみました。
「だって…だって…佐為さまがいらしてるんだろ?ねェ、香いくつだって?」
「もう戌の刻を過ぎたからって、朝までだってよ。」
「じゃ…じゃァ、今夜はずっといいんだね?部屋に帰らなくても…。」
振り向いた光の目がそれはきらきら、しのばず池に陽があたったよりも輝きま
した。さきほどまで何某という大店(おおだな)のやにさがった旦那にきつく抱か
れてぐったりしていたのが嘘のようです。

(8)
「大丈夫さ。俺から鉄兄さんには言っておくよ。香の長い短いは気にしなくて
もいいだろ。」
陰間は芸妓と同じく、一本の香が燃え尽きる時でいくらと決まっております。

光ほどの売れ子になると香一本で朱銀二分、佐為さま、はじめは呼びに行く
と香を一本一本足して買ったものです。
その上、光と碁ばかり打ってお帰りになっていくので、光も「ヘンな旦那」と申
しておりました。
ですが、いつしか光と契りを交わすようになり、このように遅い刻に来ては夜
半抱えにして金一両を置いていくようになったのでございます。

(9)
「佐為さま…。」
や奈ぎにあがり、奥の小さな座敷に入ると、果たして佐為さまはにこりと笑っ
て傍らの包みを解きました。
「長谷屋のさくら餅を買ってまいりました。ええ――あそこはたいそうな人気
で買うのにずいぶん待ちましたけれども。ああ、いすみ、お前さまも半分お部屋
に持って帰っておあがり。」
「は――。わざわざお気遣いいただき、ありがとうございます。」
「さくら餅って、なんだい?」
光は佐為さまと向かい合って座ると、目をきょろんとさせて聞きます。その様子
に佐為さまはゆるりとお笑いになりました。
「ああ、さくら餅っていうのはね、向島の長明寺で売っているお菓子ですよ。葛粉
をあぶった皮に餡玉が入っていて、塩漬けのさくらの葉でくるんだものです。
どれ――お茶をいただきましょうか。濃い目のお茶がよろしいかもしれませんね。」
手前はつと立って茶屋に煮茶をふたつ頼みました。
佐為さまは、懐紙を取り出してお菓子と黒文字を丁寧に置きました。

(10)
「わぁ…ほんとだ。ほんとに桜の葉がついてる――!」
「これがいま、江戸で評判のさくら餅ですよ。さ、食べましょう。」
真っ白でふっくらした餅に渋茶色のさくらの葉――。光は黒文字を手に持って
小さく切ろうとしました。
「あ…やはりこれはそのまま手で食べたほうがおいしいですね、きっと。」
佐為さまは手にした黒文字を置き、手づかみにして桜の葉を半分ほどお剥がし
になりました。それを見て光は眼をまるくしたのでございますが、佐為さまに
ならって桜の葉をつけた餅をそっともちあげました。
「これ――葉っぱをつけたまま食べるものなのかい?」
「菓子屋の売り子に聞きましたら、そのままでも食べられますが、剥がして
食べたほうがよろしいそうですよ。」
「へえ――。」
光はちいさな口を開けて、はじのほうにぱくりと噛み付きました。

(11)
「どうです?」
「――ウン…。さくらの香りがする!甘くておいしい!」
「そうですか。それはよかった…待って買ってきた甲斐がありました。」
「このあいだの酒まんじゅうもおいしかったけど、これもおいしい!ねェ、
佐為さまは甘いものが好きなのかい?」
さくら餅をほおばる光を佐為さまは目を細めて見ていらっしゃいました。
「そうですねえ――。酒はあまり嗜まぬゆえ、お茶とお菓子のほうが多い
ですかねえ…とくに、光といただくお菓子は甘くておいしいですよ。」
そのお言葉に、光はもじもじとうつむきました。
「そう――。おれも佐為さまと食べるのはなんでもおいしいよ…。」
あまりののろけぶり、見ていられぬとばかりに手前は煮茶を出すとそそくさ
と襖を閉めました。

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