お江戸幻想異聞録・金剛日記

(其の五)一柳天海

(41)
「ほんに近ごろはかないませんなァ。昨日もお隣のお部屋でどこぞの淫らが夜
中まで、あぁいい、いくいくって騒ぎはりますよってに。あら、はしたないこと。うち、
お客はんとどないしよ顔見合わせましたわァ。」
日高の言葉に、周りを囲んでいた京下りの陰間たちがくすくすと笑いました。
手前と鉄が佐為さまのご臨終をひたすらに隠しとおしてはやくもひと月、いま、
店一番の売れ子の座はこの日高にございました。
「江戸のかげまはほんにお心得がなってはりませんえ。」
目の前の光を見ますと、涼しい顔でふろふき大根をつついているばかり、手前は
汁をすすりながら離れたところにいるひたかにちらと目配せいたしました。
「あんな恥もなにもない子につく金剛はんも難儀でっしゃろ。ほほ。」
そう云いすて日高と京下りの子たちはどやどやと板の間を出て行き、がらんと
した部屋には手前と光のみになりました。

(42)
「光…気にするなよ。」
「べつに…。気になんかしてねェよ。」
「なに、日高の奴、おめえを押しのけて一番の売れ子になったもんで有頂天に
なってるだけさ。」
「一番の売れ子なんてくれてやらぁ。」
光はぶすっとしたまま小さく切った大根を口に放り込んでおります。
「そうか。…なぁ、それよりおめぇ、もしかして昨日もあれを使ったのか?」
そう詰問した手前に光は答えず、ただもそもそと飯を食い続けます。
はじめはうるさいほどに佐為さまを待ちわびておりましたが、それも日に日に暗く
重く沈み、お勤めのあいだもぼんやりとしていることが多くなりました。

(43)
手前がお客さまからお小言を受けることもしばしばにて、光にも言い聞かせま
したら、光はジッと手前を見たなり、じゃァ中村屋の旦那が持ってる南蛮の薬
買ってきて、と云ったのでございました。
いかがわしい店で薬など買って与えた手前もうかつではございます。
「え?どうなんだ、光。聞けばあの薬には阿片も入ってるっていうじゃねえか。
毎日使えば体にさわる。それに、昨日はめ組の旦那じゃねえか。め組の旦那
ならやさしいからやんわり断ればいいものを…」
め組の旦那とはなにも江戸の火消しとは何のかかわりも縁もございません。
光に入れあげてどうしようもなくなった旦那衆が勝手にみずからをそう呼んで
いるだけの話にございます。

(44)
この旦那衆、見た目はどうもぱっとしないのですが、光に恋焦がれる心持は
いじらしいほどでございます。
佐為さまと相惚れになり、身請けの算段もついて座敷には早々出なくなると、
江戸随一の『をばた抱神』という絵師に法外な金をもって頼み込み、光を錦絵
にしてはそれを飽かず眺めて暮らしたといいます。
そこまでするなら佐為さまにかわって身請けでもしたらよさそうなものですが、
光に嫌だと云われあっさりあきらめ、ようはどう転がっても光の云うことには
かなわぬ様子、うまく云いくるめれば抱かれずとも済むものでございましょう。
手前もたまりかねて声を荒げました。
「おい、おめえが阿片で体をおかしくしちまったら俺は佐為さまにも示しがつか
ねえんだぞ。わかってるのか。」

(45)
光は上目遣いにちらりと手前を見ましたが、音を立てて箸と茶碗を置きました。
「ごちそうさま。」
「光!聞いてんのか光!」
藍色の浴衣をひるがえし、板戸の前に立った背が細かく震えておりました。
「佐為なんか…」
「…!」
「…佐為なんか…どうせもう帰っちゃこねえよ…」
ゴロゴロ、パシリと板戸が閉められ、手前は箸を持ったままぼう然と座り込むより
ほかございませんでした。

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