お江戸幻想異聞録・金剛日記

(其の六)みだれ絵

(63)
手前はいすみ、かげまを抱える娼屋「加賀や」の金剛にございます。
元はといえば下級武士の生まれ、母とはおさなきころに死に別れ、元服ののち
どうにかお勤めについて間もなく、お仕えし主君が謀反をはかったとしてお取り
潰しとなりました。
こうして手前は父ともども浪人となり、荒れた父は酒と女に財を使い果たし、家
屋敷すら他人に売り渡して亡くなりました。
職もなく、たよる者もなく、手前は日銭を稼ぐためにあちこちで用心棒稼業に精
を出しました。

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もともと腕にはそれなりに自信もございましたが、年若いことと、こわもてに
見えないのが災いしてはじめはずいぶんとからかわれもいたしました。
加賀やの鉄と知り合ったのはこの頃、鉄はひとり立ちして加賀やをはじめた
ばかりでございましたか。
鉄は手前が生真面目な堅物であることと、こわもてに見えないことが気に
入ったそうで、「この稼業には浮ついてないやつがいい」手前にそう云って
表は地味に見える数奇屋づくりの館へ連れていったものでございます。
年端もいかぬ子どもの売り買いという世に身を投じたはじめは心の痛みも感
じましたが、慣れというのはおそろしいもので、いつしか若衆たちをなだめすか
したり、時には脅したりする金剛のつとめをいとも淡々とするようになっていき
ました。
なにしろ、うそがまことでまことがうその世にて、若衆がさめざめと泣いている
のを前に心の中では「どうせまた嘘泣きにちげえねえ」と溜息をつく己がおり
ます。
口では旦那さまのほかに惚れた人はおりませぬ云々とうそぶきながら、裏では
ぺろっと舌を出すかげまたちのこと、手前はあまい言葉に騙されるまいと肩に力
を入れすぎたやもしれませぬ。
そうした日々が少しずつ変わる切っ掛けとなりましたのはあの日、鉄が目ばかり
大きくてやせこけた子どもを拾ってきた時からでございます。
ぴぃぴぃ泣くくせに自分の思うことを曲げぬ強情にして、澄んだまっつぐな瞳を
持った子ども――それが光でございました。

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「ねぇ、まだ?もう疲れたー。」
冬のはじめにしては暖かい昼、駕籠の中から光のうんざりした声がいたします。
「あともう少しで着く。」
「もー駕籠って狭っ苦しくてやなんだよう!」
駕籠に付いて歩くうち、手前はうっそうとした竹やぶの向うに冠木門の屋敷が
あるのに気づきました。
「あ、あそこだ。もうすぐだ。」
駕籠の中からはふぁぁと光の大きなあくびがいたします。なにしろ朝の二つどきに
叩き起こしてきたのですから眠いはず、いつもならこの刻にやっと起きて湯屋へ
行くところです。
「んで?そのえらい絵師の先生ってのが今日のお客?」
「そうだ。昼夜丸抱えで四つどきごろに来てほしいと、そういうことだ。」
「ふぅん…絵師の先生ねぇ…」
「こないだ、ちょいと離れた色茶屋に呼ばれて行ったろ。その道すがらにおめえを
見かけて気に入ったらしいぜ。なんでも、美人画を描かせたら右に出るものはい
ねえって凄腕の先生だそうだぜ。」
「ふぅん…」
「さ、着いたぜ。」
駕籠担きがぴたりと止まり、駕籠にかかった御簾を押し上げると光は片足づつそうっ
とおりたってあたりを見回しました。

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あたりには長屋も町屋のようなものもなく、少々手前に小さな農家とお地蔵さ
まをまつった祠があるのみでカーンと静まり返っております。
目の前の冠木門は古めきつつも立派なつくりで、いかにも絵師の住まいといっ
たところでしょうか。
手前は不安げにたたずむ光の背を押して云いました。
「俺がついているから。これでも腕には覚えがある。」
「ハッ…!いすみさんに云われてもなぁ。だいいち、長ものだって持ってねぇ
じゃねえか。」
「へたに刀なんて持っているほうが危ない。」
「ふぅん?」
光は黒地の裾に色とりどりの鮮やかな華がちりばめられた留袖をひっぱりあげ
て冠木門の前に立ちました。
その姿、萌黄や紅の派手な振袖もよろしいのですが、やはり光には黒地に大き
な模様がちりばめられた袖がよく似合います。りんとしたうなじ、袖の裾からちら
と見える白い足首が黒にくっきりと映えます。
飴色の瞳はくすんで、顔立ちも急に大人びてまいりました。
冠木門の前でくいと顎を上げ、光は疑い深げな流し目を手前にくれました。
なにやらぞくりと肌が粟立ち、あわてて光から目をそらして中へ呼びかけます。

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「もし、どなたかいらっしゃりませぬか。」
そう声をあげると、冠木門の引き戸を引いて長身の男があらわれました。
「加賀やの…光之丞さまといすみさまで?」
「はい。さようにございますが。」
「…手前は芹澤一斎先生が弟子、村上時斎と申します。」
村上と申します弟子は手前よりいくぶん年上のようですが、神経質そうな細い
目で光を上から下までじろじろと見まわしました。
「ご案内申し上げますのでこちらへ。」
門をくぐると、そこには一面に玉砂利が敷き詰めてあり、少々、殺風景ながらも
庭らしき風情がございました。ひなびた屋敷は静まり返っており、踏みしめた
砂利の音のみが響きます。
ガラガラと重い引き戸を開けると、つややかに磨きぬかれた板の間がありまして、
履き物を脱いであがると、どこからかふんわり墨や膠(にかわ)の匂いがいたし
ました。
「先生、光之丞殿をお連れいたしました。」
廊下をつきあたった先、襖の前で村上が膝をついてそう呼びかけ、すぐ隣で光
がびくっと首をすくめました。侍でもあるまいに光之丞殿と呼ばれたのに気後れ
がしたのでありましょう。
しばらく間があったのち、澄みやかな男の声が答えました。
「うむ、お入りいただきなさい。」

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