お江戸幻想異聞録・五月雨(さみだれ)

(其の伍)

(28)
――ろくなことがない。
両国からさほど離れていない本屋『駿河や』の上がり座敷で、明は店主の親父
から差し出された本をぱらぱらとめくっていた。
 本といえばまだまだ高嶺の花、庶民は貸し本に頼るほうが多く、本を買う客と
いえば学者か金持ちで、明は父・行洋のお使いということで駿河やの店先にあ
げてもらっている。店主の親父はでっぷりと太ったおしゃべりな男で、近ごろ刷
られたという棋譜を集めた本や定石を研究したものを並べた。
「それにしても――明之丞さまも十五で御城碁に出仕とは、たいしたものでござ
いますな。」
「…親の七光りと云われぬよう、精進せねばと。」
上滑りに微笑みそう答えつつ、明の心の中は晴れぬままだった。
今朝はめずらしく父にたしなめられた。上の空でまったく碁盤の上に集中してい
ない、という。そんなことはないつもりだが、つまらぬ下がりの見落とし、劫に持ち
込むべきところを間違えて勇み足で攻めてしまった。
 光とはろくに口も聞いていない。光とはあれ以来、お互い何やら言いたげにする
ものの、どうも気まずくて何も言葉を交わさずすれ違うばかりだ。
 おとといなどはこんなことではいかぬ、と裏の井戸から水を汲み上げ、禊をする
つもりが、水が冷たすぎて翌日には風邪を引いてしまった。

(29)
 差し出された棋譜本をめくるが、目は棋譜の上をただ追っているだけ、明は
ふっと溜息をついて、懐から財布を出した。
「それでは蔦屋さま…これと…これ…。」
「はい。毎度ありがとうございます。…ア、少々お待ちくださいな。」
店の外に誰かがふらりと立ったのを見て、店主が腰をあげた。
「ああ、蔦屋さんかね。はいはい、いつもすみませぬなァ」
店主は店先で大きな風呂敷包みを受け取ると上がりに戻ってきた。包みを解く
と、きれいに綴じられた本の束、表には「玉菊の露」とある。はて、新しい恋愛
小説の類かと思ってぼんやりとそれを見ていた。
「あ、ああ――新しい色本が入りましてね。」
はあ、と気のない返事をしていると、一番上にあったそれがばさりと畳の上に
落ち、白黒に薄紅色が映える錦絵が見えた。
黒い留袖姿の女が三人の男に両手両脚を掴まれて体を開かされていた。
明とて、そうしたあぶな絵に興味がないわけではない。わずかに身を乗り出し
て覗き込む。
 女は苦しげに涙を浮かべながらも、どこか恍惚とした顔だった。唇が小さくも
ふっくらとしているのが色っぽい。
「ああ、明之丞さまもお年頃でございますなァ。」
その声にはっと顔をあげると、親父はむしろあっけらかんと笑っていた。

(30)
「ええ、どうぞどうぞ、手にとってごらんくださいな。――なるほど。明之丞さま
は浮ついた話ひとつないと思ったら…おなごより野郎のほうがお好みですか。」
「えっ…!?」
「これは蔦屋さんの最近出した若衆のあぶな絵でしてね――。巷じゃちょっと
した評判なのですよ。ほら、この若衆、へたな女より可愛らしいし色っぽいで
しょう?」
駿河やの親爺が差し出した絵本を手にとってよくよく見れば、留袖からむき出し
になった足の間には小さな魔羅がついている。
――女のなりをした男だった。
「噂じゃお偉い絵師の芹澤一斎先生が描かれたとか。ま、これだけの絵を描ける
となりゃア、をばた抱神か一斎かというところでしょう。」
一斎の名は世情にうとい明でも耳にしたことはある。碁をたしなむ大金持ちや旗本
の家に行けば一斎が描いたという孔雀やら牡丹やらの屏風や掛け軸が置いてある
こともしばしばで、絵などわからぬ明でもその絢爛豪華な美しさに息を飲んだものだ。

(31)
「あ、あの――。」
明は心の臓が高鳴るのを押さえながら、遠慮がちに聞いた。
「それ…おいくらでしょうか。」
店のおやじはあっけにとられた顔をしたが、すぐに元どおり、にこにこと笑い
かけた。
「ああ…これでございますか。そうですねえ、金一分でございますが。」
金一分といえば、決して安いとは云えないまでも、おやじは目の前にいるこの
若造がそれぐらいは持っていると踏んだのだ。おやじはニタリと笑い、付け加
えるように囁いた。
「えェ…行洋先生にはもちろん黙っておきますので。」


本三冊を風呂敷に包み、脱兎のごとく走って家に帰った。母の明子は今日は芝
居小屋に行っているはずで、父も碁打ちの会合があるとかで遅くまで帰っては
来ない。
 自分の部屋の襖をぴしゃりと閉めて、ごそごそと碁盤を出し、とりあえず、棋譜本
どおりにパチパチといくつか石を並べると、明は一番下からさきほどの本を引きず
り出してめくった。
 はじめは黒い留袖を少々崩して座る姿。うなじはほっそりとしてなまめかしく、裾
から出た足袋の足首もどこか色気に満ちている。これだけ見れば女だが、崩した
留袖から見える胸は平たかった。

(32)
 紙をめくると、三人の男に手足を掴まれて体を開かれている姿。一人の男が
なまめかしく唇を吸いながら、小さな乳首をつまみあげている。さらにめくって
いくと、「淫ら絵師」と書かれた絵があり、中年の男が筆先でもって白い体の
魔羅を突いていた。魔羅はぽろぽろと涙を流すように液をたらしていて、ご丁寧
にも能書きまでついていた。
『月夜之丞、筆を這わせるに菊をふるわせて歓ぶ也。』
 どうやら、この白い体の主は月夜之丞という少年らしかった。菊とはなんのこと
だかわからないが、おそらくは筆の感触に快感で震えているということだろう、と
明は解釈した。
 次の絵ではその月夜之丞が男の上に跨って、背を反らしている姿、後ろの穴に
太い魔羅をくわえ込んでいる。明は脚の間で一物が頭をもちあげて固くなってい
るのを覚えた。――あのときの光のようだ。満月の輝きに照らされた光の表情そ
のものだ。目は色を帯び、唇から細い涎のすじを垂らして腰を動かす光の姿。
後ろの穴に魔羅を入れるのはそれほどいいものなのか、わかりかねるが、はっき
りと覚えていることには、光の中に入ったとき、魔羅がきゅうきゅう締め付けられ、
熱い蜜壷の中、やわやわとしたものがねっとりと絡んできたことだった。
 月夜之丞は男たちにかわるがわる後ろを犯され、歓喜とも苦悶ともつかぬ表情
をしている。ことに、押さえつけられ、小ぶりな魔羅や袋、はては紅色に染まった
後ろの穴まで晒しながら、胸の小さい蕾をひねられ悶えている姿、そして立ったま
まおそろしく大きな肉棒を差し込まれてのけぞる姿はもはや狂気に満ちていた。
見れば見るほど光が思い出され、明は光をこのように責めたら快楽にむせび泣く
のかもしれぬと、妙に生々しく感じる。

(33)
 あの夜は声を押し殺して、しかも光にされるがままだったが――たとえば、
今は家人などおらぬこの母屋の、締め切った襖のうちで光を抱いたら。
 稽古もない今日、光はさっさと川向こうの屋敷へ帰ってしまっていた。家に
残っているのは江戸に上ってきた田舎あがりの小僧たちのみだ。はて、どうし
ようかと思いあぐね、明は色本を手にうろうろと考えた。
 ハッとして台所へ降りていくと、下女のおみつがのんびりと飯炊きなどして
いる。明は早口にまくしたてた。
「おみつさん、僕は少々、進藤の家に行ってくる。父上母上にそう伝えておい
てくれないか。」
「あら、若さま――夕餉はどうなさいますの?」
「夕餉はいらない。明日の四つどきまでには帰るから…。」
明はそう云ったなり、小さな色本を懐にねじこみ勝手口に向かった。
「あのう、若さま、お出かけなら傘をお持ちになったほうが…。」
だが、おみつがそう云った時には明はもう表へ飛び出していた。
「若さまぁ!雨が降ってまいりますよォ!」
だが、明の耳にはまるで届いていなかった。

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