吸魔2

(26)
だが結局ヒカルが対局室に入って来たのは手合い開始のギリギリだったため、
アキラはヒカルと言葉を交わす事が出来なかった。
打ち掛けの時間に入る前にアキラは打ち切り、部屋の外でヒカルを待った。
ヒカルもまた打ち切ったらしく、相手と終了の挨拶を交わして出て来た。
ジーンズのポケットに無造作に両手を突っ込んで廊下を歩くヒカルにアキラは背後から
声を掛けた。
「…進藤!」
ヒカルは弾かれたようにびくりと肩を震わすと、少し間を置いて、アキラの方に振り返った。

少しばかり青ざめた唇はしているが、特に変わりない様子にアキラは安堵の表情を見せた。
が、ヒカルは緊張した面持ちのままじっとアキラを見据えている。
いくらか印象が違うのは、ヒカルが珍しくいつもの派手な色合いのものではなく
黒いタートルネックのシャツに黒い上着を着ている事だった。
髪も、バサバサに伸ばしていたのを若干切りそろえ、櫛を通して小奇麗に整えていた。
アキラも息を飲み、まるで人慣れしていない野生の動物のように身構えているヒカルに
慎重に近寄っていった。
「…元気そうだね。最近碁会所の方に来ないから、具合でも悪いのかと思ったよ」
「…あー、…別に…」
会話するのがひどく億劫そうにヒカルは落ち着きなくポケットに入れた手をごそごそ動かしたり
周囲をきょろきょろしている。
「今日はこの後時間あるかな?ボクと打って欲しい」
「え…、あ、うーん…」
「進藤!」
あまりにらしくない煮え切らないヒカルの態度に苛立ち、アキラはヒカルの腕を掴んだ。
「いったいどうしたっていうんだ!ボクに言いたいことがあるならハッキリ言ったら
どうなんだ!?」
(27)
思わず大きな声を出してしまい、周囲にいた数人の棋院の関係者や棋士らが「何事か?」
と振り返る。
そんなアキラに対してヒカルは困惑したように黙って見つめて来るだけだった。
気を落ち着かせて掴んでいた手を離し、アキラも必死に問うようにヒカルを見つめた。
「…ボクが何か気に入らないことを君にしたのだとしたら、謝る…」
それに対しヒカルは明らかに何か言いたげに、大きな瞳を揺らし、唇を動かしかけては
言葉を呑み込むように閉じるのを繰り返す。
「…進藤…?」
アキラが怪訝そうに、もう一度ヒカルの体に触れようとした時だった。
「どうかしたのかね?」
低く落ち着き払った声が2人の背後から掛けられた。
穏やかに笑みを称えて芹澤が立っていた。
するとヒカルは素早くアキラの脇をすり抜けると、その芹澤の背中側に身を隠してしまった。
まるでアキラに怯え、逃れるように――。
ヒカルのそんな態度にアキラはただ驚き、言葉が出なかった。
「おやおや、ケンカかい?だったら私に仲裁は無理だよ、進藤くん」
まるで保護者のように芹澤は自分の後ろにぴたりとくっついているヒカルのに声を掛け、
手を差し出してヒカルの頭をそっと撫で、前髪を指で梳いて整える。
それを見てアキラはカッと頭に血が昇るのを感じた。芹澤にというより
ヒカルに対しての、理屈ではない、どうしようもない腹立だしさだった。
「…別に何でもありません…失礼します」
芹澤に軽く頭を下げ、その時はアキラはそう言ってその場から離れるしかなかった。
(28)
「さて…と」
アキラが去った後、芹澤は改めてヒカルに振り返った。その表情はさっきまでのものと
違い冷たい無機質なものだった。ヒカルがビクリと表情を強張らせる。
それでもそのヒカルの頬はわずかに上気し、ハアハアと呼吸が速まっていた。
「芹…澤…先生…」
「わかっている。来なさい」
そう言って棋院の廊下を歩き出した芹澤の後を、ヒカルは従順についていく。
芹澤がヒカルを連れて向かったのは棋院の普段棋士や院生らの出入りがないフロアの奥の
準備室だった。
芹澤は「旧管理室」という小さな札が下がった鍵をスーツの内ポケットから取り出すと、いくつか
ある小部屋のうちの一つのドアを開き、ヒカルと共に中に入ると中から鍵をしめた。
ブラインドが下りたままの薄暗い部屋にはスチールのデスクと数脚の椅子、僅かばかりの
事務用品の入った棚があるだけだった。
部屋に入るとすぐに、ヒカルはカタカタ全身を震わせ、寒気がするように自分の腕で自分を
抱くようにして壁にもたれかかった。ハアハアと苦し気に息を乱した。
そのヒカルの目の前に立ち、芹澤はヒカルの両の肩に手を置いた。
「おとといと昨日は、私が忙しくて会えなかったからね…辛かったかい?」
そう言いながら、ヒカルの顎を持ち上げる。
そこには二つ並んだ小さな赤い穴のような傷痕がニケ所、ヒカルの右の耳の直ぐ下と
反対側の鎖骨に近い場所に、ほとんど消えかかってはいたが残されていた。
その傷痕を芹澤が指先で優しく撫でると、ヒカルは夢心地に溜め息のような甘い吐息を
一瞬漏らし、すぐに「ハッ」と我にかえったようにして芹澤の手を振払い
壁伝いにその位置から逃れた。

(29)
ヒカルはしきりに首を振って何とか自分の“本当の”意識を取り戻そうとしていた。
本当は芹澤についてこの部屋に入りたくなかったのだ。
だが、自分の意志ではどうにもならなかった。
さっきアキラと会った時も、あんな態度をとるつもりはなかった。
あの日、碁会所で芹澤と会った時から、一人で芹澤の自宅に行った時からのこの一週間の間は
頻繁に記憶が途切れたり、自分の意志で自分の行働がとれない事が増えたのだ。
その事を誰かに、アキラに相談したかった。信じて貰えないかもしれなかったが。
だがいざアキラの居る碁会所に出向こうとすると、心に強いプレッシャーがかかった。
“塔矢アキラに近付いてはならない”と何かが頭の中で警告する。
何か危機感を感じ、二度と芹澤にも近付きたくないと思っているのにもう自分は何度も
自分の足で彼の家を尋ね、碁を打っている。
大抵その途中で意識が途絶える。目が覚めると芹澤の家を出る。
その後は妙に気分が高揚し、思考が冴える。最高な気分になって怖いものがなくなり、
和谷のアパートで碁を打つ。
――そしてその後に激しい疲労感と悩ましい熱に襲われる。
その繰り返しだった。

そしてさっきも、芹澤を怖れながら、廊下で芹澤の姿を見た瞬間に全身の皮膚が
ざわつき、体中の血が一気に彼の方に向かった。
ヒカルの中の何かが、芹澤を強く求めるのだ。
「……オレに…何をした…」
乱れた前髪の隙間からヒカルは精一杯芹澤を睨み据える。
そんなヒカルの表情を楽しむように芹澤は涼やかな笑顔で答える。
「何も。私は常にただ君が望んだことをしてあげているだけだよ、進藤くん」
「オレが…何を…?」
(30)
芹澤がゆっくり近寄って来る。ヒカルは壁を伝い全身の力を振り絞るようにして
離れようとするが重い鎧を着せられたように足が動かなかった。
そして芹澤に背後から捕らえ抱きすくめられる。
そのまま服の上から芹澤はヒカルの胸部や腹部、ジーンズの膝を撫で回す。
「や、やめ…ろ…、…っ!」
大声を上げようにも喉が絞られて言葉が綴れない。
ヒカルの肩ごしに芹澤は顔を近付けてヒカルの首筋に唇を触れさせた。
「ふあっ…!」
その瞬間にヒカルの体から力が抜けた。抵抗しようという気力がなくなる。
芹澤にごく軽いキスを与えてられてヒカルの意識は急速に浮遊し混濁していく。
熱に浮かされるように目眩がし、ドクドクと心音が高まる。
「ヤ…だ、ダメ…、そ…うじゃな…い」
「…どうして欲しいのかな?」
芹澤は柔らかな皮膚に軽く歯を立てた。「んっ」とヒカルが鼻に掛かったような
甘い声を漏らす。甘噛を繰り返され、ヒカルは苛立つようにして呻く。
「ヤだ…!…お願…い、はや…くっ」
「はやく?どうして欲しいんだ?進藤くん…そういう時はどう言うか教えたはずだろう」
芹澤の手がヒカルの頬を持ち上げるようにして自分の顔に向かせる。
互いの呼吸が間近に、ほとんど唇が触れあうような位置で芹澤が問いかける。
「さあ、言ってごらん、進藤くん」
「…って…、吸って…よ…オレの…オレの…」
ヒカルの瞳は潤み、先刻までの反抗的なものではなく、すっかり服従の色に変わっていた。
「オレの血を…吸って…早くっ…、どこからでも…いい…」
「よく言えたね、いい子だ…」
満足そうに芹澤はヒカルの顔を見つめて冷たい笑みを浮かべた。

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