吸魔2

(46)
翌日、アキラは碁会所でヒカルが来るのを待った。
だが9時を過ぎてもヒカルはやって来なかった。ドアが開いたのでそちらを見たが、
準備に来た市河だった。
「あら、アキラくん、ずいぶん早いのね」
市河の言葉が耳に入らない様子でアキラはカウンターの電話の受話器を取り、番号を押す。
「もしもし、進藤さんのお宅ですか?…早くにすみません。塔矢アキラと申しますが…いえ、
こちらこそいつもお世話になってます。ヒカルくんは…、……、そうですか…」
受話器を置くと、アキラは市河に向き直った。
「市河さん、もしもボクと入れ違いに進藤が来たら、ここで待つように言ってください」
「え、ちょっと、アキラくん?」
市河が呼び止める間もなくアキラは足早に碁会所を出ていった。

アキラが向かったのは芹澤の自宅だった。
ヒカルの母親の話だと、ヒカルはもう8時前には家を出たということだった。
碁会所まではどう考えても1時間かからない距離のはずである。
市河にはああ言ったが、ヒカルはおそらくここには来ないだろう。
夕べはヒカルの体に残されていた傷痕の事がずっと頭から離れなかった。
ヒカルの小指の付け根に、首筋に顔を近付け、そこに触れて傷をつけた男が、
芹澤のイメージと重なる。
芹澤本人だとは思わないが、同族のもの、と感じた。
悪夢から現実の世界に抜け出て来た、異界の闇の住人のもの。“それ”がヒカルを
連れ去ろうとしている――。

(47)
「おや…、塔矢くん…!」
玄関のチャイムを押すと、そう間もないうちに芹澤がにこやかな表情でドアを開けた。
「突然に、すみません…、進藤がこちらに来てはいないでしょうか?」
「ああ、丁度今彼と打っていたところだよ」
やはり、とアキラは思った。
「ボクもお邪魔してもよろしいでしょうか」
無礼を承知で、強い語気でアキラは芹澤の目を真直ぐに見つめて申し入れた。
本来ならばかなり唐突で強引な話だが、アキラにはヒカルの事が気掛かりだった。
追い返されても引き下がらないつもりだった。
それに対し芹澤は特に驚いたり躊躇する様子は見せなかった。
「構わないよ、若い棋士の訪問はよくある事なんだ。どうぞ」
警戒しながら、アキラは芹澤について玄関に入り、廊下を進んだ。
奥の和室の障子戸は開け放してあり、その部屋の中央で座して碁盤に向かっている
ヒカルの後ろ姿が見えた。
「進藤…」
ごく普通の見慣れた光景に少し安心して声を掛けようとして、アキラはドキリとした。
そこには昨日の芹澤に怯えて震えていた弱々しいヒカルとは別人の、全神経を盤上に
集中させている厳しい横顔の少年だった。
「塔矢くんが来たよ、進藤くん」
芹澤がそう声をかけるが、ヒカルは顔を上げもしない。
だがその全身から発する苛立った気配を感じる。
昨日の路地でアキラに掴み掛かって来た時の、あの敵意向き出しのヒカルの状態だと
アキラにはすぐにわかった。

(48)
ヒカルはせっかくの芹澤との対局を邪魔しに来た訪問者が許せないといった様子だった。
「進藤くんの熱意には私も敬服するよ。最近はこうして彼と一局打つのが日課に
なっている。彼の碁に対する集中力は対したものだ」
そう言って芹澤はヒカルの肩に手を置き、さらりとその後ろ髪を指で梳いた。
険しい横顔だったヒカルがその瞬間、全てを依存し信頼し切ったような視線で
芹澤を見上げ、しばらくそうやって2人で見つめ合った。
アキラの存在などまるで眼中にないような、自分達が心身共に深く結びつきあった
仲であるということを見せつけようとしているような態度だった。
理屈ではない苛立ちを感じながらも、アキラは黙ってそんな2人を見ていた。
「待たせたね、進藤くん。続きを打とう」
芹澤がヒカルの対面に座り、対局を再開させた。
アキラも、昨日のようにヒカルに飛びかかられないよう用心しながら、盤面が見える
位置に座った。
そしてそこに展開している戦局を見て目を見張った。
上位者リーグに匹敵する複雑でレベルの高い戦いであった。
おそらくヒカルがここへ碁の多くの事を学びに来ていることは確かなようだった。
芹澤もまた、真剣な表情で戦いに向き合っている。
2人が繰り出す戦いの旋律にアキラも引き込まれ、そこに加わりたいと思えて来る。
芹澤の指とヒカルの指の動きによって生み出される黒と白の模様が蠢き、アキラの
周囲に飛び交う。程よい高揚感に体が浮き上がって宙に浮くような柔らかな満たされた
気分になって来た。
ふいに気を失いそうになり、アキラはハッとなった。
――何だろう、今のは…
アキラは正座した膝の上で固く両手を握り込んだ。
頭を振って浮遊しかかった意識を取り戻した。

(49)
――…目眩がする…、息苦しい…
アキラは力の入らない下肢で必死によろりと立ち上がり、廊下に出た。
あれ以上芹澤の傍に居るのは危険だと警告音が頭の片隅で鳴り響いている。
そこで一息二息深呼吸をすると、ウソのように息苦しい圧迫感から解放された。
「気分が悪いのかね?」
アキラが振り返ると音もなく芹澤がすぐ背後に立っていた。
「顔色が悪いね…君も今は大事な時期だから無理をしてはいけないよ。他の部屋で
休むかい?塔矢くん」
「いえ…帰ります。失礼しました」
そう言うとアキラは、芹澤の脇をくぐり抜けるようにして奥の和室に戻る。
「進藤、帰ろう」
盤面に向き合っていたヒカルに声を掛けて腕を掴み、引っ張り立たせる。
突然そうされた為にヒカルがバランスを崩して碁盤に手を付き、盤上の石が
周囲に散った。
「何するんだよ!」
ヒカルが怒りを露にして立つまいと抵抗し、そのままアキラと睨み合いになる。
「これ以上ここに居てはいけない。ボクと一緒に来るんだ!」
ヒカルの腕と襟首を掴み、力任せにアキラがヒカルを部屋の外に連れ出そうとした。
畳に落ちた碁石が騒ぎで黒石の碁笥もひっくり返り、更に周囲に飛び散るが、
構っていられなかった。
「おやおや、…塔矢くん、落ち着きたまえ。いったいどうしたって言うんだ?」
芹澤がアキラの肩に手を置こうとした。
「ボクに触るな!」
アキラが突き刺すような視線で芹澤を見据え、一瞬芹澤が顔色を変え息を飲んだ。

(50)
芹澤はアキラに気押され怯むような顔つきになった。
アキラがなおも芹澤を睨み付け、今にも掴み掛かるような勢いで一歩近付いた。
「いい加減にしろよっ!」
ヒカルがアキラから腕を振りほどき、芹澤の方に駆け寄ろうとする。
そのヒカルの身体をアキラが後ろから抱きつき、首に腕を回してヒカルの耳元で
強く繰り返し呼び掛ける。
「目を覚ませ!しっかりしろ進藤!…進藤!」
すると正面から芹澤も焦るようにヒカルに呼び掛け始めた。
「進藤くん…塔矢くんから離れなさい…私のところへ来なさい」
両者の間でヒカルは言葉を失ったように、暫くただ荒く呼吸を繰り返した。
そして急に唸り始めた。
「う…あ…っっ!!」
「進藤?」
「頭が…痛エ…気持ち悪い…、助けて…っ」
ヒカルが苦し気に呻き、アキラは慌てて腕の力を弛めた。
「ごめん、進藤…」
そう声を掛けた次の瞬間、ヒカルがアキラの背後に回り込みガッとアキラの両肩を
羽交い締めにした。
「進藤っ!」
ふと見ると、芹澤がニヤニヤしながら立ってこちらの様子を眺めている。
アキラはごくりと息を飲んだ。
「……進藤…、離してくれ…!」
だがヒカルからの返事はなく、更にギリギリと力を込められる。
「うっ…!」
ヒカルの力の入れ方に容赦がなく、アキラは苦痛に顔を歪めた。

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