ヒカルたんと野獣
(16)
「…苦しめたくないって。オガタさんいつもそれ言いますよね。でも! 考えて下さい。
アキラが苦しまずに生きてきた日なんて、一体いつあったんです?」
「………」
「ずっとずっと、いつだってあいつは苦しんできたでしょう。希望なんてひとっかけらも
見えなくて、じゃあそれであいつが楽できたかって言ったら全然それは違うでしょ。
なら希望持ったっていいじゃないですか。あってもなくてもどうせ辛いんです、なら
ある方を選びたいって思うの、おかしいですか」
「………」
「オガタさん。人間って、光がなくちゃ生きていけないですよ。アキラが囚人交換を
認めたのも、だからだと思うんです。きっとあいつも、あの子に光を見たんです。
誰よりも、希望を持たないように自分に戒めて生きてきたのはあいつです。
それでも、そんなアキラでも、やっぱりちょっとでも光のある方を選びたいんですよ」
「アシワラ、でもな…」
「なんです」
「………いや…」
「………こんな姿になったけど…オレも、あいつも、オガタさんも人間ですもん。
いいじゃありませんか。百年に一度くらい、夢見たって……いいじゃないですか…」
すすり泣きが静かに廊下に響き。
その中に、遠ざかる爪の音がはっきり交じったのに気づいて
『二人』ははっと顔を強張らせました。
「ア、アキラの…」
「聞かれた…か…」
「なんで肝心な時に地獄耳使ってくれないんです」
「…悪かったよ」
(17)
立ち聞きなんてするものじゃない。
王子は胸ふさがる思いです。
彼らの心遣いも期待も、言われなくたって感じ取っていましたが、はっきりと
聞いてしまうとやはり心にずしりとのしかかりました。
どう考えてもあの選択は誤りです。今更ながら悔いました。
何故あんなことをしたのでしょう。
どうすればよかったのでしょう。
自分でもわからないのです。
自ら牢に入るなどと言う変わり者を見てやりたい気持ちがありました。
その時からもう、進んではいけない道に入ったのでしょうか。
あの少年を見てしまった。
比喩ではなく、本当に目が眩む美しさだったのです。
思った以上に華奢な体をしていました。
瞳がとても大きく深い色で、それに見つめられた途端自分の心臓が破裂する錯覚を覚え
情けなくも目を逸らしました。
纏うのは色も抜けた粗末な服。それさえも彼の輝きを露ほども遮らず。
衣通姫はその美しさが衣を突き抜けて光り輝いたと言われる伝説の美女ですが、
今目の前にいる少年はかの姫の再来と言っても過言ではありません。
呼吸の音一つさえもが愛くるしく思える子です。
サイと呼ばれた者の美貌は心を抉りましたが、少年の可憐さは王子を癒しました。
雪の下で春を待っていた芽がいよいよ吹き出すように。
閉じ込めてきた感情が膨れ上がる。
甘い鼓動が聞こえる。
世界が変わってしまった。
呆然としていたから判断を誤ったとしか思えません。
冷静になった時には最初の囚われ人は消えて、かわりに少年が泣いていました。
何か言いたかった。出来るならば優しいことを。
でも言葉が見つからなくて、声も詰まってしまって。
慰めの一言も口に出来ないままに、震える肩に背を向けることしか出来ませんでした。
(18)
乱れた心を持て余して立ち去れば、今度は二人の話を聞いてしまい。
どこか気持ちの休まる場所に逃げ込みたいと思います。
ふらふらさ迷い、気がつけば地下への入り口に立っていました。
「……馬鹿だな…… 一番、休まらない所じゃないか…」
牢の奥には光がある。
あれが欲しいのか?
「……はは、まさか」
自分はそこまで暗愚ではないはずだ。
叶わない思いは捨てるしかない。一時の気の迷いで皆に気を使わせるな。
彼を手放そう。最初からそうすればよかった。
少年はうつろに壁に凭れています。
『キミも帰っていい』
そう言おうとした時。
「ん…」
甘い声が耳を射抜いて、王子は息が止まりました。
それは少年にとっては、身じろぎした時に唇から零れた息の形でしかないのでしょう。
こんなことに動揺するな。耳に残る甘さを振り払って、今度こそ口を開きました。
「キミの部屋を用意した」
言葉は王子を裏切りました。
「付いてこい」
何をしたいのか。
どこに辿りつくのか。
どうなってしまうのか。
わからない、わからない、わからない。
(19)
ふかふかのお布団は確かにとても暖かいと思います。
でもヒカルは震えていました。
眠れない。
王子によって、強引に牢から出された後のことを思い返します。
『今日から、ここがキミの部屋だ』
『はい……』
与えられた部屋はたいそう重厚にしつらえられており、ヒカルのおうちが二つ三つ
入りそうに広かったのでした。
ヒカルには使い道もわからない、見事な調度や家具も揃っています。
ずいぶんと待遇の良い囚人なことと、ぼんやり考えていたら。
『……くじ、を』
『え?』
『しょ、食事を……どう、だ』
王子は一言一言、難儀して絞り出しました。
表情も苦しげに歪んでいました。
そんなに自分と話すのが苦痛なのでしょうか。
『いらない。……いりません』
『?! な、ぜだ』
『食べられない』
それは本当のことでした。だってあまりにも悲しいことが起きて、胃のあたりが
ずんと重くなっているのですから。
『け、獣の出すものなど不潔で食えぬと言うか、それとも毒でも盛ると思ったか?!』
王子の声は悲壮でした。ヒカルはあわてて言い繕おうとしました。
『違うよ、ただ、食欲ないだけで…』
『た、食べなければ、死ぬんだぞ! それでもいいのか! な、なら、もう何も言うまい!』
『あ……』
王子は早足で去ってしまいました。
『はぁ…なんだよ、オレそんなこと言ってないじゃん。勝手に怒るなよな』
なぜか罪悪感が胸いっぱいにわだかまりました。
『……大体、サイのこと閉じ込めたの あいつだもん。かわいそうなんかじゃないもん』
でも胸が痛むのは否定できませんでした。
(20)
ごろりごろり、寝返りを打ちます。
眠りたい。
一時でも、現実から逃れたいのですが、こわくて眠れないのでした。
(サイ)
隣にいて、お布団をぽんぽんと叩いてくれた人はもういません。
ひとりで寝るのはこわい。
広すぎる空間。静寂。暗闇。
それらが重たくヒカルにのしかかってくるのです。
こわい、こわい、もういやだ。
せめて厚い雲のはじから月でも顔を見せてくれたらいいのに。
ヒカルはそっと部屋を抜け出ました。
ロウソクの一本くらい、失敬してもいいだろうと考えたのです。
廊下をぺたぺた行きますが、改めてここの広さに驚きます。
最初に入れられた牢だって、ヒカルにとっては大きく思えました。
部屋数も多くて、迷子になりそうな勢いです。
「あ」
その中で一つ、話し声の漏れてくる部屋がありました。
(よかった、あいつ以外にも誰か住んでるんだ)
勇気を出して、その戸を押し開けました。
「ぎゃっ!」
「うわ、びっくりした。? あれ? キミ、どうしたの?」
「ほう、こいつが例の子か。こりゃたまげた、とびきり美人だな」
「ね、ね、かわいいでしょう。オレの気持ちわかるでしょ?」