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SSR (4)
「…話がそれだけならこれで失礼します」
立ち上がりかけたニアに月は苦笑した。
「今日からお前はこの部屋で寝起きするんだ」
「………」
「いつまでも魅上にばかり負担をかけられないからな。食事は…無理だとしても」
どう反応していいのか分からなくなったニアは、月の顔をまじまじと見つめてしまっていた。
「なんだ?」
「…いえ…それではお休みなさい」
「こら、そんなところに寝転がるな」
「土足厳禁の日本家屋は汚れる心配がなくていいですね、とても気に入りました」
「それだったら一人のときにやれ。自分がベッドで他人が床に寝転がられちゃ、こっちの夢見が悪いんだ」
「私は平気です。だいたい夜神、あなたが人のことを気にするなんて、笑えない冗談はやめてください」
「……僕の周りには口が悪いのが集ってくるな」
ニアは、歩み寄る月から目を反らさずに言えたことに、内心で安堵していた。
「魅上のところのソファは快適でした。おすすめです。あちらに行けばいい」
「怖いのか?」
ゆっくりとニアの前でかがんだ月が顔を覗き込んだ。微かな血の匂いと強い薬品の匂いがする。
壁際に座り込んだことを後悔した。怪我人とはいえ、警察官としてある程度の訓練を受けているはずの月に腕力で自分がかなうはずがなく、これではうかつに動けない。
「生殺与奪を握られていますから警戒するのは当たり前でしょうが」
開き直るしか、今のニアには出来ることはない。月の左腕が伸び、熱を帯びた掌がニアの頬に触れた。
「…お前は本当におもしろいな。平然としてみせても目を見れば感情が分かる。…本当に竜崎とは違う」
酷薄な色をした目と優しげな声がニアの感情を混乱させた。逃げ出したい気持ちと反らせない気持ちがぶつかる。
その結果、身体が硬直していくのを感じていた。心臓がものすごい音を立てていて月に聞こえてしまいそうだ。
「手をどけてください。…私に逃げ場など、あなたが生きているかぎり無いのだから」
「お前が警戒しているのはこっちの方か?」
月の長い指が後ろ髪に絡んだと同時に顔が近づいて、思わず立ち上がっていた。このまま横に足を踏み出せば逃げられる。
「逃げ場なんかないと自覚しているんだろ?」
「……っ」
踏み出そうとした足を月の足が阻んでいた。ニアが立ち上がった時に、月も立ち上がっていたのだ。もう片方の足をニアの両足の間に割り込ませている。両方の上腕部を掴み、身じろぐことしかできなくしていた。
背中に壁があたるためにうまく力を込められないことに焦り、俄にニアの余裕が無くなっていく。月はニアの耳元へ口を寄せた。
「−−−お前は負けたんだ」
ニアを凍らせたあのわずかに掠れた声で、残酷にも囁いた。
そんなことは分かっている。あの時、自分の読みが及ばなかったせいで、強いられたこの状況に、誰よりも自分が許せない。分かっているのに何故今更−−。
悔しさと怒りで涙が溢れた。
「……だったら殺せばいい。何故生かす。私はお前にとってもう何でもなくなったはずだ」
「そう。何でも無くなったから殺す理由も無いのさ」
そうではなく、ニアはこちらの盾だ。ニアを捕らえているかぎり、SPKはこちらに手を出せない。
あの日、ニアは一人で現れた。一人でなかったらその場にいる全員を殺すつもりでいたが、そこだけは読みが外れた。
メロはどう出るか。ニアはメロを守ろうと自害すると言った。Lの後継として育てられたなかで一番近いとされた二人は、兄弟のような関係なのかもしれない。
掴んだ腕から全身の震えが伝わる。ニアの身体を引き寄せた。腕を後ろにまわさせると片手でニアの両手首を掴み、空いた手はニアの顎に添えて上を向かせる。抵抗らしい抵抗は顔を背けようとすることだけだった。
無言で見下ろされている。涙で少し霞んだ視界に月の顔が映る。至近距離にいたたまれなくなって顔を背けようとするのに、顎と頬を固定されてほとんど動かない。
触れられているところが酷く熱い。他人にこんな風に触れられる経験などなく比べられないが、人の体温としては高すぎるように思う。自分が緊張しているためではなく、これは、月の体温が高すぎるのか。
どうでも良いことを考えて必死に冷静になろうとしていると、月が小さく笑った。
「…なに考えてる?」
「……な、なにも…離してくだ…」
やっとのことで出した言葉は最後までは言えなかった。涙の跡を月の唇が辿ったのだ。軽く口の端まで、そして重なった。
突然のことでニアの思考は止まった。月の茶色がかった前髪が額にあたっている。閉じたニアの唇を、月のそれがついたり離れたり、そしてかるく舌がなぞっていく。ついばむような唇の動きに合わせて微かに髪が揺れる。お互いの髪が触れ合いさらさらという音が聞こえて、自分が息をしていないことに気づいた。気づいてしまったら、急に苦しくなって必死で逃れようとした。
「…口を開けばいい、呼吸困難になるぞ」
当たり前のことを囁かれて顔が火照るのがわかった。そんな簡単なことをなぜすぐに−−
「−−−っっ!!!」
少し開いた口を月の舌が強引に侵入した。ニアは自分がまともな思考をしていないことに、そして月の思惑にあっさりと乗ってしまったことに愕然となった。
『…キスの続きをしたい』
あのふざけた言葉は、嫌がらせの冗談だと思っていた。第一何故、子どものような外見の自分に性的欲求を求めるのかが分からない。そういった相手なら不自由しないだろう、この男は。
身体中が怒りで熱を孕むが、口腔で動き回る月の舌がニアのそれを捕らえたとき、その熱さにたじろいだ。絡めて弄び、引き出すような動きで唾液が口の端から伝い落ちる。
顎を固定していた手がない。いつの間にか放れていた手はニアの腰に回っていた。熱い手は痩せて浮き出ていた腰骨を直に撫で上げている。そのシャツの下の動きに、ニアの顔は蒼白になった。全身が急速に冷えていく。
撫でるように上がってきた手は背に回る。両手首を掴んでいた手も放された。しかし自由になった両手は動こうとしない。腕も上がらない。
解放し、自由になった月の右手も、ニアのシャツの下に滑り込んだ。そして腰にとまっていたズボンを取り払うかのように下がっていこうとしていた。
『……人形が』
腰の月の手の近くにシャツのポケットが、人形が入ったポケットがある。月の手を掴もうと、やっと動いたニアの手が止まった。ここで動けば気づかれてしまう。やりすごせる方法はひとつしかない。
『……夜神の気がすむまで好きにさせるしか…』
ニアの口内を存分に蹂躙し、今は首筋に月の唇が移動している。触れられたとたん、びりびりとした感覚が走り肌が粟立った。それが面白いのか、月は執拗に噛みつくように吸い、舌でなぞる。痛みは、その上に被る熱い湿ったものですぐに治まるが、かわりにその熱さがずっとまとわりついているようだった。
背中にあった月の手がニアの胸にまわった。薄い胸をまさぐっていく。覚悟を決めたニアは震える手を懸命に動かしボタンを外しはじめた。
シャツを脱いで身体から離せば、ポケットを探られることはない。それだけを思いながら。
月の動きが止まった。ニアが目を固く閉じ、震える指をむりやり動かしてボタンを外すのをじっと見下ろしていた。
『………やけになっているのか、何か考えているのか…』
小さな頭が揺れている。抱きしめたくなるのを堪えた。
火傷を負って以来続く微熱のために、視界まで熱を帯びたようだ。ニアの白い首筋にたった今つけた跡だけがはっきりと見える。
熱に浮かされた視界と背中の激痛を抑えた薬のせいで、思考がさらわれそうだ。ニアの硬質で冷たいような白い身体を抱きしめたら熱は引いていくだろうか。
ニアの足下にシャツが落ちた。陽にあたったことなどないような、白く華奢な肩があらわになる。そして額を、包帯で固められた胸に弱々しく寄せた。
月も顔を寄せると、耳元で囁いた。
「……ベッドで?」
あまりに優しい掠れた声で、ニアの肩がびくりと震えた。そして微かに頷いた。
08.06.13
『双方向通行止め』な二人です
あとがき?…→■
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