Bush clover 14
「知って…?」
動揺はなく、彼女を見つめた。
彼女に自分が人狼だと打ち明けたことはなかった。打ち明けられなかったことがもちろんあるが、心のどこかで知られているとも思っていた。だから、彼女に今こんな形で告げられても平静でいるのだろう。何か言いたげだったのはこのことだったのだろうか。
「一年生の…入学したばかりのころ…あたし、そのころはよく夜に寮を抜け出して学校を探検してまわってたの。ホグワーツに入学できたことが嬉しくて、もっと学校のことを知りたくて。
夜が明け始めた校庭を全身に大怪我を負って血まみれで…だけど目はまっすぐに前を向いて歩くあなたを見た。声をかけられなかった。
見つかるとかそういうことを心配したんじゃないの。昼間のあなたはどこか上の空で危なっかしいのに、校舎に向かうあなたがあまりにも気高く思えて恐れ多くて…息をするのも忘れたくらい」
学校で迎えた初めての満月、それは生まれて初めてたった一人で迎えた満月の夜でもあった。そのころはどうすれば知られずに済むのかだけを考えていたからクラスメイトはおろか、ルームメイトさえ顔も名前も知らないままでいた。あの頃は――
今、どんな顔でリリーの話を聞いているだろう。できるかぎりあの頃のことは思い出さないようにしていたが、その思い出のままの姿のリリーが目の前にいては、それも無理なことだった。感情の制御ができなくなるかもしれない。
「…それで僕が…?」
辛いのは人狼であることを知られていた事実ではなく、その思い出そのものだ。それでもリリーに話のさきを促した。
「それからも夜中に何度も見かけてたの。あなたったらゴーストや肖像画たちと楽しそうに喋ってた。昼間とは違う…あたし、あなたと普通にお喋りしたり笑ったりしたかった…だからたくさんの文献や過去数十年分の新聞を調べてた。だけどそれだけじゃ自分でもなにを調べているのか分からなかった。次に傷だらけで歩くあなたを見たとき、もしかしたらって思った」
「……満月の明けた朝…?」
「そう。満月に関係する現象、事件、事故を調べて…十一年前に起きたあることに突き当たった」
「……記事になっていたのは知らなかった…」
「ゴシップ紙だったし、それも取上げていたのはその一紙だけ。名前は噛んだ人狼のものだけだった。子どもは辛うじて命を取り留めた。しかしその子どもの将来を思えば助かったことが果たして良いことだったのかって酷いことが書いてあった」
「その通りだと思うよ…」
はっきりと分かるほど憂いをたたえた瞳が自分を映す。とうとう溢れた涙にも構わず、リリーはまっすぐにリーマスを見つめた。
「……あたしね…その記事の子どもがあなただと分かったとき、助かったことに感謝した。だって死んでしまってはあなたに会えなかった……人狼となった人たちの境遇を知ってはいたけれど…どんなに辛い生活か想像したって分からないけれど、そのとき、あなたを生かそうとしたすべてのことに感謝したの…」
だけど今、君はいない、どこにもいない。誰も、君をジェームズをピーターを助けてはくれなかった。その言葉をやっとのことで抑えた。
「…君は…セブルスが言っていたように過去からきた人なのか…?」
声も肩も震えて、視線を落とす。
「そうよ…試したいことがあって、最初はあなたに会うなんて考えてなかったの…だから大人のあなたを見たとき…嬉しかった。卒業したら世界中を旅すると言ったわよね。それはもう二度と戻らないことだと思ったから」
「そのつもりだったよ…戻るつもりはなかった」
誰もいないところで、一生を終えるのだろうと、卒業間際のころは思っていた。この楽しかった思い出さえあれば平気だと思っていたから、悲観などしていなかった。
卒業式が終わったその日のうちにこの国を離れ、最初に姿現しで辿り着いたのは中国のとある砂漠のなかだった。東へ何日も歩いたさきに万里の長城を見た。南極に現れてしまったこともある。
満月の夜は岩盤の洞窟や廃虚となった建物の一室に自らの魔法で封印し閉じこもった。再び自分で身体を引き裂くようになったが、子どもの頃に比べれば恐怖や嫌悪が少なくなっていたように思う。
そうして過ごす旅は、行きたいと思う場所と自分の姿現しの精度が必ずしも合致しないが最初の二年は気ままで生活をしていた。
とある村で正体を知られ、村外れにあった小屋に閉じこめられた。その際に村人が放った排除の呪文を背中に受け、大量の出血で動けなくなったところに火を放たれた。そのとき、ここで終わることになっても構わないと思ったのだ。燃え広がりつつあった新聞紙の一面を見るまでは。
『十数人を一度に殺害』、『現行犯で逮捕』、『犯人シリウス・ブラック』。
それら切れ切れの単語が目に飛び込み、自分の状況を忘れ、復元の呪文をその新聞紙に使った。そして渾身の力を杖に送り、その場を姿くらましで脱出した。
「……僕は、過去から来た君が知ってはいけない情報をいくつも持っている」
「分かってる。十八年も未来の世界だもの。だからどうしてあたしがこの世界にいないのかも言わないで」
「リ……」
顔を上げ、リリーを凝視してしまう。リリーは涙で頬が濡れているにも関わらず微笑んでいた。
「そんな驚いた顔しないで。自分のことだもの、分かるわよ、それくらい…自分の気配は誰よりも分かってる」
リリーはローブのポケットから長い鎖に繋がった砂時計を出した。
「………逆転時計……」
呆然としたままルーピンは呟いた。全学年必修科目の担当教師が、時間を遡ることができるこの時計を利用してカリキュラムをこなす。防衛術も必須科目のため、ルーピンもこれを持っているが、彼の場合は満月の翌日を休息日に当てているためもある。それでも体調が回復しないときもあり、何度かスネイプが代わりに授業を受け持ってくれたことがあるが、グリフィンドールの三年生だけは今後頼まないで済むよう、カリキュラムを組み直した。
「………回転の向きを変えた……?だけど、これは過去の方向にしか回転しない」
「そうなの? あたしのはどっちにでも回るの。だからこっちに回したら未来に行っちゃうのかなあと思って」
「…た、試したいことって…このことかい?」
「そう。あっさり未来にきちゃったからびっくりした」
「………リリー……思い出したよ、君は全科目を取っていたね……」
気が抜けた。一方方向にしか回転しないようにした原因は、恐らくリリーのこの行動のせいだ。
「笑った」
にっこりとしてリリーが見上げている。
「もう居ないあたしがこんなこと言うのはおかしいかもしれないけれど…生きていて、リーマス」
「リリー、僕は…」
「お願いだから……どこにいても生きていて。何があなたを苦しめているのか聞きたいのだけれど、それはあたしが知ってはいけない情報なのね?」
「………そうなんだけど……でも」
「あたしも聞きたいのを我慢しているんだから、あなたも言わないで」
きっぱりと告げられて、押し黙ってしまう。もし、数年後に起きることを教えればどうなるのだろう。
「……ごめん、リリー」
誰もが誰も救うことはできない。それは受け入れなければいけない事実なのだろうか。
「いいの。何があるのかわからないけれど、それは当たり前のことじゃない」
ルーピンの、傷が見え隠れする手首をそっと持ち、もう片方の手で杖を取った。
「リリー?」
「少し腫れてる」
ルーピンが聞いたことのない言葉をリリーが呟いた。ほんのりとした淡い光が杖さきに灯り、まるで液体のようにぽとりと手首の上に落ちた。傷跡が滲んだようになり次第に消えていく。
「ふふ、やっと完成したのこの呪文。癒しの呪文って難しくて」
「オリジナルの呪文?」
「そうよ。今度はこれを発展させたものに挑戦するつもり」
杖をポケットに入れると立ち上がった。
「そろそろ帰るわね、リーマス」
すっかり日が落ちて、室内は青い薄闇に染まっていた。ルーピンも立ち上がる。
「そう…。手首の傷、ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
砂時計の鎖を首にかけたリリーは思い出したように言葉を続けた。
「ね、恋愛感情じゃないって言ったけど、他の女の子よりかは好かれてる自信があるの。それってなに?」
唐突に、以前と同じ質問をされて慌てた。リリーから三度目の告白をされ、同じ答えを返した頃のことだと思う。確か五年生のときだった。
「ど、どうしてって…それは…」
はた、と気付いた。あのとき、困惑しきったなか、ようやっと告げた言葉はここで繰り返すものではないと思った。
「それは……帰ったときに向こうの僕に聞いてみるといいよ」
「……ちゃんと答えてくれる? リーマスったらすぐお菓子でごまかそうとするし」
「今度はちゃんと答えるよ」
リリーは花が咲きほこるような笑顔でうなずいた。
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セリフだけをまず書いて、あとから描写なんかを足していく、
というやりかたはどんなもんなんでしょうか…
次回は最終回。たぶん再来週……すみません。
2005.12.10
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