そんなつもりはなかったが非難めいた口調になった私に、少尉は表情も変えず説明した。
『もう四日になる。確信が持てず昨日カマをかけてみたが、引っかからないので考えすぎかと思ったのだが……今日確信した』
従来の単独潜入なら取り越し苦労や勘違いまでわざわざ誰かに知らせることはない。昨日までの彼も同じ調子で、単に部下に報告する必要性を感じていなかったのだろう。黙っているうちに話しは続いた。
『それと今日もう一つ確信したんだが、ヤツはどうやら私を始末したいらしい。観察してみるか?』
心の動揺を抑えつつ私は小さくうなずき、顔を上げた。
「見て、あれとっても素敵!」
ショーウィンドウに飾られた高級バッグに目を奪われたふりをして立ち止まり、カサから出て店の軒下に近づいた。
窓ガラスは額縁を模した金属性の幅広な飾り枠で止められている。表面にゆがんで映っている男の姿をバッグを見つめる視界の隅でこっそりと盗み見た。
通りの向かいで立ちすくんでいる黒髪の中年男。鏡像が歪んでいるせいで顔立ちまではわからない。
どこかで似たような雰囲気の人を見なかったっけと眺めているうちに、なんとなく上着の右腰あたりが不自然に盛り上がっているのに気付いた。あの型崩れしたジャケットの下には銃を隠し持っているに違いない。尾行はずぶの素人だが、銃器の扱いには慣れている感じがした。
ひょっとして殺し屋? だがコールド・ヴィッターを目下観察中の共和国情報部が、わざわざ外部の殺し屋など雇うだろうか。
けれども男の標的が一般市民のヴィッターだとしたらますますわけがわからない。
「どれどれ」
後ろから近づいてきた少尉が覗き込むように頭を下げ、私と同じ目線になる。カサの陰に隠れて男の姿は下半身しか見えなくなった。すり切れたズボンの裾からはすでに雨水が染み込んでいそうな、みすぼらしい履き古しの靴がのぞいている。まるで浮浪者の足元だ。身をやつしているのかもしれないが、こんな靴ではいざという時に支障をきたすだろう。
この男はプロの殺し屋ではない、と私は少し安堵した。浮浪者かそれに近い人物が後腐れのなさから何者かに雇われたといったところか。銃器の扱いに馴れてそうなのは……従軍経験がある?
私が銃に気付いたのがわかったらしく、ショーウインドウに映った少尉の唇が小さく動いた。
『たまたま人波の途切れた時に一度抜きかけた。……どうやらこちらが人混みから離れる機会を狙っているらしい』
『ならば私と合流したことで狙撃相手が二人になったわけですから、今日は手を出してこないんじゃないでしょうか』
ガラス窓にはハンドバッグを指差し、甘えた顔で傍らの夫の耳元に口を近づけている妻と、高額のおねだりに困り果てた年上の男の顔が映っている
『たぶん今日はな。しかしここからカサをさして帰れる範囲に私の住まいがあることが知られてしまった。ひょっとするとキミの顔も。明日は何が起きるかわからない』
いったい何者でしょうと言いかけてやめた。相手の正体がわかっていれば少尉はとっくに何かしているだろう。あるいはわからなくても、これから何とかしようするところだったのに私と合流したせいで計画が狂ったのかもしれない。
『家までついてこられるのは厄介ですね。これからどうします?』
『このまま時間稼ぎをして相手の出方を探る。……あきらめないようなら今夜中に方をつける』
彼は顔を上げ私の肩を叩き、体の向きを変えた。
「高いな、クリスマスまでに貯金をしなくては。そうだ、迎えに来てくれた礼に夕食は外にしよう」
「まぁうれしい!」
私たちは雨の中を再び歩き出した。
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