3章(1)
 数日後、夕方から思いがけず急に雨になったので駅へ少尉を迎えに行く事にした。
 濡れて帰るにはいささかきつい雨足だったし、ヴィッター夫人を周囲にアピールする任務に終わりはない。
 外の湿気た不快な大気を感じているのかティラミスは床に寝そべったまま動こうともせず、いそいそと支度する私をのんびり見送るだけである。
 玄関のカサ立ての前でニヤリとしながら一回り大きな男物だけを抜き取る。仲良しヴィッター夫妻はいつも相合傘なのだ。たとえ生真面目なコールド・ヴィッターがどんなに嫌がっても。
 雨の降りしきる中アパートメントを出てしばらく歩くと、以前、学生たちがビラ配りをしていたあたりにさしかかった。
 あの出来事も子供たちの命日が過ぎてしまえば再び忘れ去られたようだ。もう喪章をつけている人も見かけない。当然私も外している(上着につけっぱなしになっていた少尉の喪章も少し前に外しておいた)。
 また来年、学生たちが街頭に立つまで人々は忘れていることだろう。いつまでもしつこく悲しみ続けているのは遺族だけだ……テストケースが本採用になったら再び喪章をつける機会もあるかな、などと思いながらレインブーツで石畳に溜まった雨水を蹴散らし、私は街角を足早に通り過ぎた。

 駅周辺の建物の下では、突然の雨に足止めをくらった帰省客が人待ち顔でぼんやり空を見上げている。
 少尉はなかなか見つからなかった。行き違いになったのかと諦めかけた頃、少し小降りになってきた雨を避けるようにツィードのハンチング帽を目深に被り、見当違いの方向へ歩いていく彼の姿が眼に止まった。お菓子のティラミスみたいにこめかみ辺りから白黒模様になった頭髪を隠してしまうと、この人はびっくりするぐらい無個性になる。あまりに目立つ容姿でも諜報部員として不適格だし、逆に平凡すぎてコールド・ヴィッターを覚えてもらえないようでも困る。なるほどラインベルカ少佐は上手い人材を見つけたものだ。
 雨の中を少尉はそ知らぬ顔でどんどん離れていく。本当に相変わらずな人ね、と舌打ちしながら私は大急ぎで駆け寄った。
「アナタ!」
彼はやっと立ち止まりこちらを向いたが、きっと嫌な顔をするだろうと予想していたのに返ってきたのは満面の笑みだった。
「助かったよフラウス。さぁ帰ろう、カサに入れてくれ」
きゃ、なによキモチワルイ……肩を抱き寄せられた耳元に、少尉の低いささやきが聞えた。
『つけられている。そこから緑の屋根の建物が見えるか? 軒下で雨宿りしているこげ茶の上着の男だ』
「もっとくっ付かないと濡れちゃうわ」
私は甘ったるい声を上げて体を寄せた。少尉と合流したのはまずかったのかもしれないが、今さら仕方がない。
『あの黒髪の背の高い男ですね』
「そうだな、これは私が持とう」
少尉がカサを持ち、私は肩を抱かれながら通りを横切る。正面の店先のショーウィンドウに、道の向こうからこちらに渡ろうかとこまねいている男の姿がぼんやり映っていた。訓練を受けた諜報部員がこんな無様な真似をするわけがない。一体この男は何なのだろう。
『プロの尾行ではありませんね。さっさとまいてしまいますか』
『それがあいにくとヤツは私の仕事先を知っている。このまままいても昨日と同様、明日もイタチゴッコだ』
『今日が初めてではないのですか!』

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