(5)
 その日の夕食はいつものように沈黙のうちに終わった。二日間煮込んだシチューでも缶詰シチューでも、この人はまったく同じ顔つきで文句も言わずに食べてくれるのでありがたい。
 こんなダンナさまでも花を懐かしんでくれる日がくるのかしらと、テーブルフラワーの中の、ピンク色の小花に目をやりながら考える。今の彼は卓上に花瓶があることに気付いているかどうかもあやしい。
 夕方の街角での一件は少尉にはまだ話していない。
 通信文の提出をする際に敵情視察の一環として報告してもよかったのだが、時間のあるときにもう少し突っ込んだ内容を聞きたかった。彼が当たり前に知ってそうなことを私が知らないというのは……なんだか居心地が悪い。
「本日夕方、共和国内における反政府活動の証拠を手に入れました!」
食事が終わってソファで食後のコーヒーが来るのを待っている彼に、私はわざとらしい真面目くさった態度でトレイの上の押収物を差し出した。コールド・ヴィッターに余計な話をさせようと思ったら、朝の玄関先のキスみたいないつものペースを乱す工夫が必要だ。
 お盆の上には当然コーヒーが載っているものと思っていたのか彼はひとまず面食らい、そのあと部下のふざけた態度に少し眉をしかめてから喪章を眺めビラを手に取り……一呼吸置いたのち、顔を上げた。
「これをどこで?」
いつもと変わらぬ抑揚のない平坦な声が返ってくる。残念ながらペースを狂わす作戦は失敗したようだ。
 市場の付近で手に入れたいきさつを手短に説明すると少尉は、
「ああ、あれか。裕福な学生のお遊びといったところだが、遺族を連れてきて街中でこんなビラを撒くとは内容が少し変わってきたようだな。大学関連はこちらの管轄ではないが、今後も街頭で目立つ動きがあるなら定時報告に入れておこう」
と素っ気なく言ってからビラをトレイに戻した。
「この事件、私はまるで知りませんでした」
つれない態度が少々悔しかったのでもう少し食い下がってみることにする。
 冷めたい眼差しが再びトレイの上を泳ぎ、やがて報告書を読み上げるような熱のない口調が続いた。
「普通に当時の新聞に出ていたと思うが。とは言え号外が出るほどのことではなかったから、たぶん君が見落としたか忘れてるかしているのだろう。戦略的には敵の輸送網の一部を遮断したに過ぎないし、教科書に載るような話でもない」
感情を排したいかにもコールド・ヴィッターらしい答えが返ってくる。
「なぜ幼い非戦闘員の被害を当時の共和国は国際世論に訴えなかったのでしょう。宣伝如何ではネビュロ(西方諸国連盟)の騎士たる我が国のイメージダウンに繋がり、正義のための戦いという大義名分に傷をつけることも可能だったのではないかと思うのですが……ビラに書かれたとおり人間の盾だったのでしょか」
少尉は再びビラに視線を落とした。
「これではあえて触れていないようだが、共和国は何もしなかったわけではないぞ。君の言うとおり当初は向こうの抗議で我が国の旗色は非常に悪くなった。幼い命が多数失われたのは事実だからな。だがこっちは非戦闘員が軍事物資を運ぶ貨物列車に乗り合わせていたなどということは知らんとひたすら突っぱねた。その頃は共和国の軍施設が方々で破壊工作を受けていたのに、そちらのほうこそ何故そんな危険な路線にわざわざ子供たちを送りこんだのだと。人間の盾という言葉はそのあたりのやり取りで出てきた記憶がある。その後、貨車に乗せられていたのは帝国との混血の多い地方の子供たちだったという事が発覚し、だんだん共和国のほうがトーンダウンしていき……そうこうしているうちに皇帝陛下の鶴の一声だ」
「停戦合意に事件は忘れ去られた……故意に、というわけですか」
「私には何とも言えん。真相は藪の中だ」
「学生たちの真意がわかりません。こんな事件、今さら蒸し返しても共和国にとって何の利益にもならないでしょうに」
「合理的な共和国人らしからぬ、ということか? ……この国で活動をしていれば伍長もそのうちわかるようになる。ここは帝国とは違う。人々の考え方もな」
何と答えればよいのかわからず私が黙り込むと、少尉はテーブルの上の新聞に視線を落とした。会話は終わったと思われたようだ。まだ心の奥になんだか引っかかっているものがあったが、急に戦争を知らない自分がとやかく言うことではないような気がしてきて、それ以上の詮索はやめにした。
 少尉がガサガサと新聞紙を広げ始めるのを聞きながら、トレイをテーブルに置きビラを折り畳んでいるとき、ぽつりと取り残された黒いリボンに気がついた。
「共和国の一市民として喪章はつけるべきでしょうか?」
「伍長ならどう判断する」
彼はもうこちらを見ようともしない。記事に集中しているようだ。
「事件に人々は同情的で、その場でつける人も大勢いました。反政府活動というよりは単に喪に服すためと受け取られているようですし、私が共和国人だったらつけると思います」
「ならそうすればいい」
答えは広げた新聞の陰から聞えた。やはり少尉にとってこの事件は、敵国で起きた戦時中の数あるエピソードの一つに過ぎない事なのだろう。
 そう思うと花輪の女性が急に色あせて私にとってもすっかりただの昔話になってしまい、喪章とビラをエプロンのポケットにしまいながら何気なく尋ねた。
「リボン、少尉の分ももらってきましょうか? つけている男の人も大勢いました」
きっと、ああとかうんとか気のない返事が返ってくるだろうと思っていたのに。
 新聞紙の向こうは奇妙に沈黙している。
「少尉?」
「……好きにしろ」
単によく聞えなかっただけらしい。すぐにいつもの抑揚のない声が返ってきた。
 再びインクのにおいとともに紙がガサガサ音を立てはじめる。
 私は食後のコーヒーを淹れるために立ち上がり、トレイを抱えキッチンへ向かった。

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