耳をつんざく轟音に、声はすぐにかき消された。
向こうで一体何が起きているのか。
列車が間近を通過し薄闇と轟音だけが辺りに満ちる。
壁にもたれた私は銃を握り締め、鉄の巨体が通過するのをひたすら待った。
轟音が遠ざかり耳がようやく辺りの音を拾い始めた頃、列車の騒音とは違う別の物音が耳に飛び込んでくる。
何かが崩れ落ちる音。
絶叫。
大きなものが落下しながら幾度となくどこかにぶつかり、やがて止まった。
線路の軋む音はまだ続いていたが、私は銃を握り締め壁に背中をつけたまま階段をゆっくりと上がり、最上段が終わると暗い奥に向かって身を乗り出し……出会い頭に現れた人影に、夢中で銃を突きつけた。
「伍長?」
「少尉!」
暗がりの中、いきなり飛び出してきた銃口に顔のまん前を塞がれてよく見えなかったのだけれど、確かに懐かしい上官の声がした。瞬間、緊迫した空気が安堵に変わり、私たちはクロスカウンターを放ったボクサーよろしく互いに銃を突きつけ合っているのに気づいて気まずく腕を下ろす。
「やはり来たか。現地の上官に絶対服従という規則は新設の情報学校では教えないようだな」
答えを待たず階段を駆け下りだした少尉に追いすがりながら、私は澄まして答えた。
「今でも必修です。あれは夫としての言葉だと判断しま……」
不意に少尉が立ち止まったので広い背中とぶつかりそうになる。
「確かこの階だったな。足元に気をつけろ、衝撃で床が抜け易くなっているかもしれん」
私は上官の後についてフロアに侵入した。銃を構えながら奥へ進むうちに、まだ埃の舞っている瓦礫の山の上で、あの男が不自然な姿勢で横たわっているのが見えた。
男はピクリとも動かない。
少尉はしばらく銃口を向けていたが、やがてゆっくりと腕を下ろした。不自然に曲がった首は明らかに折れ、えぐれた後頭部の辺りから溢れ出た血がモルタル片を暗がりの中で黒く染めている。
死体に近づこうとする私を少尉が制した。
見れば瓦礫は焼け残った炎で脆くなったモルタルと鉄筋の上でようやくバランスを保っているに過ぎず、いつ再び崩れ落ちてもおかしくない有様だった。
銃撃戦が行われていたあのフロアで、男は炎にあぶられた床を踏み抜いてしまったのだろう。そして床までは延焼しなかった火元の真下の階まで、三階分ほどモルタルや鉄筋に激突しながらなす術もなく落下していったのだ。
私たちが以前侵入した際は不気味な音を立てながらも、あのフロアのすすけた床はなんとか持ちこたえていたが、今夜はいよいよ駄目だったらしい。
「このままにしておけ。ヤツは私の顔を知らなかった……我々の身元が危うくなるようなものは持っていないだろう」
「そうですね。了解しました」
少尉は死体に背中を向けると、ポケットにねじ込んだハンチング帽を取り出した。頭の白黒模様が隠れ、コールド・ヴィッターが消える。
再び遠くから列車の近づく音が聞こえてきた。私はもう一度男の遺体に目をやってから、すでに階段に向かい始めた少尉の後ろ姿を追った。……こんなところに長居は無用だ。
隣の焼け跡にバッグとカサを回収しにいった私を少尉は待っていてくれた。
傍らに寄り添い腕を絡ませてみたが、彼はいつものように嫌がるそぶりは見せなかった。
私たちは腕を組んだまま暗い路地裏を抜け、賑やかな表通りに出る。
人波に押されさらに身体を寄せる。頬に感じる男物の上着のざらざらした感触、ほのかなぬくもりと年上の異性の匂い。
――狙われていたのは一共和国民のヴィッターではなく、コールド・ヴィッターだった。なぜあんな民間人が? 敵の新たな策略なのか、それとも――
私の頭の中は謎の男のことでいっぱいで、傍らの夫の存在さえ忘れていた。
(5)