(2)
 フランシア伍長の娘ではなかったかもしれない自分を振り切るように顔を上げ、ティラミスを促し公園の外へ向かう。そろそろ散歩はおしまい。帰ったら夕食の支度をしなくては。しかし気持ちを二課の伍長からヴィッター夫人に切り替えようと思ったのになかなか上手くいかなかった。こういう時に限って誰も話かけてこないしティラミスもやけに大人しい。
 また自分のためにお花でも買おう、これも情報収集のための必要経費よ、などと考えながら公園から出て石畳の角を曲がると、道の前方に人だかりが見えた。
 みな緊迫した雰囲気で一斉に顔を上げ……見上げる視線の先は高い建物の屋上で、女性が一人立っている。フェンスのこちら側。青ざめた顔、見開いた目。
 不意に女性が泣き出しそうに顔を歪め目を閉じた瞬間、視界から姿が消えた。続いて何かが地面に落下した大きな音。誰かの悲鳴。周囲のどよめき。
 私は……ティラミスを抱え、乱れ始めた人だかりに向かい走り出していた。
 女性に見覚えがあった。この辺りとは異なる、どこかの地方出身らしい服をまとった中年の婦人。
 ごったがえす人波をかき分けて進んでいくと、騒音の中から不意に聞いたことのある声が耳に飛び込んできた。
「ああなんてこった! やっぱりこんなことに」肩を落としている小太りの後ろ姿。花屋の主人が呆然と前方を見つめている。やがて視線に気づいたのか、こちらに振り返った。「おや奥さん?」
「あの……見覚えのある人みたいだったので」
「えっ、奥さんもあの人と知り合いだったんですか?!」
「い、いえ、以前この辺りのデモで見かけたことがあるなと。花輪を持っていらした……」
「あの花輪はウチで作ったものだったんだ」
人波に押し流されそうになりながらも、どうにか花屋の主人の隣を確保する。この場所だと私の背の高さではほとんど何も見えなかったが、遺体確認より情報収集を優先することにした。
「デモでは落ち着いていらしたのに……とても悲しそうでしたけど」
「いや、原因はたぶん旦那さんのことだ。奥さん、ビルの焼け跡から男の死体が発見されたニュース、知ってるかい?」
「!!」思わず息を呑んでしまったが慌てて取り繕う。「え、ええ、元復員兵の浮浪者でしたっけ」
「あれ家出中の旦那さんだったんだ。あの人、おととい花を買いに来てね……デモの間に女房と親しくなっていたから目的は話をしたかったんじゃないかと思うんだが……ほとんど放心したような感じでそんなことを話していたよ。私が悪いんです、ってひどく自分を責めていた」
「なぜ自分が悪い、なんて」
私も放心状態だった。バラバラな出来事が一つに結びつこうと頭の中を駆け回っている。店の主人も相当ショックを受けているらしく、大した知り合いでもない私にとめどなく話を続けた。
「嫁さんに刺激されたのか、旦那も仕事を見つけようという気になったらしくてね。ここや隣町で探していたみたいなんだが、ある日ふっといなくなったそうだ」
「仕事だと騙されて何か事件にでも巻き込まれたんじゃないかしら。あの人のせいではないと思いますけど」
「女房もそう言って慰めたんだがなぁ。でも私がいつまでも子供の死にこだわっていたからだと、その一点張りでね。デモなんかに参加しないで、ずっとのん気な田舎に引っ込んでいればよかったとも言っていたよ。そうすれば今までどおり、ただの酔っ払いの仇討ち妄想で済んでいたかもしれないのにって」
「仇討ち妄想って?」
「ああ。何でも子供の……」
花屋の主人が語りかけたとき、警官が到着し野次馬を追い払いだした。彼は群集に押されながらしばらくソワソワと死体を調べる様子を見守っていたが、やがてちょっと警察と話をしてくるよと言い残し、人だかりから離れていった。
 いつのまに聞きつけたのかマスコミ関係者もやってきたらしく、警官とのせめぎあいがますますひどくなる。インタビューの相手はもう死んでしまったのに、と私は奇妙な既視感に襲われながら群集の中を漂っていた。
 不意に腕の中でティラミスがもがき、クゥーンと窮屈そうにうめく。
 私はやっと我に帰り、後ろ髪を引かれながら現場を後にした。

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル