(3)
 その夜、ヴィッター夫人はいつもにもまして丁寧に夕食を作りテーブルを飾りつけた。
 食後もすぐにはくつろごうとせず、より入念に食器を洗い、普段は見なかったことにしているシチュー鍋の焦げ付きまで頑張ってこそげ落とした。
 少尉は居間のソファに座り夕刊を読んでいる。フランシア伍長が話をしたがってうずうずしていたが、ヴィッター夫人はどんなコゲも許さない、と鍋底をガリガリこすった。  
 時間帯からしてあの自殺騒ぎはまだ新聞には載っていないだろう。ならば明日朝刊が来てからのほうが……何を怖がっている、ただの報告だ。
 鍋はまだ完全に綺麗になっていなかったが、後片付けは終わりにした。居間では新聞紙を畳む音が聞こえる。仕事の話を持ち出すにはいい頃合だ。
 部屋に入ると少尉はマントルピースに向かって立ち上がろうとしていた。ラジオをのスイッチを入れるつもりなのだろう。
「今よろしいでしょうか。報告があるのですが」
彼は動作を中断し再びソファに腰を下ろした。「なんだ?」
「今日の午後、例の男の家族に会いました。ティラミスを連れて散歩をしている時です。……正確には会ったというより遭遇したと言うべきかもしれませんが」
「どういうことだ?」
私は公園帰りの出来事を、主観を交えずただ事実だけ報告した。少尉は腕組みをしていつもの仮面のような無表情で黙って聞いている。話が終わると視線をこちらに向けたが、そこには何の感情の動きもなかった。
「なるほど仇討ち妄想か。これで個人的な恨みが動機、という線が強くなったな。むろん不確かな情報によるただの推測に過ぎないから、今しばらくは周囲への警戒も怠るべきではなかろう」
「あの、花屋の主人や奥さんにもっと探りを入れてみましょうか? それとも自殺した妻の近辺の調査を? 彼女の周辺を探ればあの男の過去……いえ、接触相手のことなどがわかるかもしれません」
「いや伍長、前にも言ったがもし情報をリークしたものがいるなら、こちらがわざわざ行動を起こさなくてもそのうち向こうから動いてくる。それより下手に騒いで地元警察の眼に止まるようなリスクは避けたい。我々の任務の目的は探偵の真似事ではないのだぞ、慌てず引き続き様子を見よう。……それに案外、ヤツが私を見つけたのは偶然だったのかもしれんしな」
「わかりました」
少尉が私の返答にうなずき報告は終わった。再び顔を上げた時には、彼の視線はもうラジオへ向かっていた。
 単に話が終わったせいか、それとも男の件にこれ以上触れたくないということなのか。表情からは判断がつきかねる。
 ラジオが鳴り出せば本当に襲撃でもない限り、この事件が再び話題に上ることはないだろう。何を怖がっているのだ、と自分を奮い立たせた。潜入パートナーとして今後も行動を共にする上官なのに相手の過去をまったく知らないのでは困る。少尉が共和国で活動を続ける限り、またこのような出来事が起こらない保障はないのだから。
 私は気付かれないように小さく深呼吸をすると、今にも立ち上がりそうな上官の横顔に問いかけた。
「少尉、あの戦時中の爆破事件の実行犯はコールド・ヴィッターなのですか?」
ラジオに向かっていた視線がこちらに戻ってくる。冷たい眼差しはいつものように何の感情も映さず、ただ私の姿が映っていた。
「何故そう思う?」
「爆破などと派手な手段を用いた割に、戦略的に見れば敵の輸送網の一部を遮断したに過ぎない重要度の低い任務だからです。それでいて帝国諜報部員の“冷淡”さは効果的に演出できる。……もちろん当時潜入していたのは彼だけではないでしょうし、これはただの個人的な憶測に過ぎませんが」
「なるほど。死人の妄想に引きずられたのではない良い判断だ。伍長、キミの憶測は正しい」

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