その後、私たちは……普段と変わらぬ任務の日々を送った。
敵国の視線を感じながら囮(おとり)として過ごす日常。通例なら私のような若手にまわされるような出世に繋がるとも思えない重要度の低い任務を、コールド・ヴィッターは煩雑で面倒な規律から少しも外れることなく、典型的な帝国諜報部員として几帳面に遂行し続けた。相変わらず愚痴ひとつこぼさず、決して手を抜くこともなく。
そして以前言っていたとおり、少尉が取り乱すようなことは二度と再びなかった。非情な任務の折々に時たま冷淡な仮面の向こう側の素顔が垣間見える事はあったけれども、それは彼が部下に隙を見せるようになったというよりは、単に私が上官に対して敏感になっただけだと思う。
そんなわけであの出来事の後も我々の関係は帝国を出発する前と何一つ変わらず、無愛想な年上の夫とかわいい新妻を演じる上官と部下であり続けた。
ただ小さな変化はあった。
私たちはだんだんと例の任務の曜日やベッドの窮屈な定位置にこだわらなくなっていった。そして平日の夜の距離が少しずつ縮まっていくにつれ週末の任務がなにやら気恥ずかしいものとなり、何かと理由をつけては義務を怠るようになった……義務としては。
だからと言って別に馴れ合ったわけではない。
平日の夜に軽く触れる以上のキスをかわすようになっても、私たちの間にはある種の清涼な距離があり上官と部下であることに変わりはなかった。むしろいわゆる恋人同士みたいにファーストネームで呼び合ったり、甘え合ったりしたらそちらのほうが不自然で気持ち悪く感じただろう。
単純にベッドの上の瑣末なルールが、共和国を欺くという共通の大きな任務の前では取るに足らぬもののように思えてきただけだ。そんなつまらないことに日々の神経をすり減らすより、我々にはもっと重大な使命がある。
なんだか少尉の仕事に対する信念や熱意が、いつのまにか自分にも伝染したような感じだった。軍に入隊して以来、こんなに物事に真剣に向き合ったことがあったろうか?
当初、私はこの夫婦潜入という任務をかつて陸軍情報学校へ入学を命じられた時と同じ気分で受けいれていた。また“フランシア伍長の娘”が利用されるのかと、どこか他人事のように。いや、父の葬儀以降、私の全てがそんな調子だった。哀れな兵士の娘が勝手に一人歩きしているのをただ遠巻きに眺めているだけ。
葬儀の後、フランシア上等兵のとの思い出を手放して見知らぬ伍長の娘となった時、本当の父と一緒に過去の自分も葬ってしまったのかもしれない。亡霊が付きまとうのも当然だ……私自身が幽霊だったのだから。
しかし同じ様な茶番を演じさせられていも少尉は違う。コールド・ヴィッターと本当の
自分とのギャップに悩み苦しみつつも真剣に任務に向き合う彼は、揺れ動く心を持ったひとりの人間だった。感情を排した機械でもなければぼんやり漂う幽霊でもなく、確かにそこに存在していた。
私はヴィッター少尉を通じて初めて、哀れな兵士の娘などではない本当の自分、二課諜報部員“フランシア伍長”として生きる道を知ったのだ……。
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