6章(1)
 こんなふうにいつしか少尉は私にとって“唯一無二の特別な上官”になっていたが、彼が部下をどう思っていたのかはわからない。コールド・ヴィッターは感情を露にしたり口にすることは滅多になかったから(私がいきなり甘えた時以外は)。
 ただ少尉は難しい仕事が成功裏に終わった後などに
『複数潜入というのも悪くないな』
と漏らすようになり、明らかに私の補佐を計算に入れていたと思われる行動をとるようになった。任務の成功率は格段に上がり、複数潜入の成果は誰の目にもはっきりしていた。
 自分で言うのもなんだが、その頃の私たちは息の合ういいコンビだったと思う。もう何年も前から二人で同じ任務についているような気がしたものだ。我々は上官と部下であると同時に、すでに互いにとってかけがえのない存在になっていた。
 そして全ての予定が計画通り順調に進み、途中で本国に呼び戻されることもなく、上層部の反応もまずまずらしいという噂の中でテスト期間終了が間近に迫った。
 私はアパートの住人にそれとなく子供ができたかもと吹聴し、少尉も職場で転職をほのめかしているらしい。出国の準備が始まった。
 そしてその日も引越しの作業に追われていた。
 このアパートメントの一室も今となっては思い出深いものとなったが感傷には浸らなかった……ここに戻ってくることはなくても、きっと共和国には帰ってくる。
 もちろんその時は少尉も一緒だ。こんなに順調に進んでいるのにテストケースが正式ミッションにならないわけがない。
 荷造りの手を休めると少し考えてから、スターチスの花束を不用品の方へ移した。以前公園近くの花屋の主人にもらった、おまけのピンク色の花をドライフラワーにしたもの。リボンで束ねて壁飾りにしていた。
 少尉は相変わらずティラミスの世話に関しては知らぬ存ぜぬなので、この子の荷物は全て私のスーツケースに収めなければならない。軽いけれどもかさばり、壊れ易いので重ねることもできないドライフラワーは厄介な品物だった。
 気持ちだけ持って行くわ、と私は空いたスペースに犬用ブラシのスペアを押し込んだ。『二人の仲が永久に続きますように』なんてきっと大丈夫。コールド・ヴィッターとフランシア伍長はこれからも帝国を代表するエリートおしどりスパイよ。
 そんなことよりできれば年に一回でも、あの街灯の下に花束をお供えするのを忘れないで下さい……と、もう二度と再び合う事はないであろう人物に心のなかで願う。
 予定のところまで荷造りが進んだので、ゴミを棄てがてらティラミスを散歩に連れて行くことにする。
 他の不用品とともにピンクの花束が廊下のダストシュートをすべり落ちて行っても、私にはなんの感慨も浮ばなかった。


 日が暮れた頃、少尉は朝よりも重くなった鞄を抱えて帰宅した。職場から自分の持ち物をいくつか引き上げてきたらしい。
 準備は順調ですかと尋ねると彼は一言
「ああ」
と答えたが、なんだか元気がないように感じた。
 夕食の後は出国の打ち合わせ。旅立ちの日が近いことをあらためて感じる。
 彼の口調はいつもにもまして事務的だった。任務終了を間近に控え気を引き締めて行こうと言う事だろうか、本当に真面目な人だと思う。
 夜も更けてから私たちは休んだ。上手く言えないのだけれど最近の少尉はなんだか以前とは違う。私はひどく疲れ果てすぐに寝入ってしまった。
 それからどれくらいたったかはわからない。
 真夜中にふと寝返りを打ったとき、なんとなくいつもと違う感覚に目が覚めた。
 傍らに少尉の姿はなく薄闇に目を凝らすと、パジャマのズボンをはいただけの彼が背中を丸め、ベッドの端にぽつりと座っていた。月明かりに青白く浮ぶ裸の背中は寒々しくひどく孤独に見え、なにやら考えに耽っているらしく私の目覚めに気付くこともない。
 風邪を引きますよ、と起き上がりかけたところで、背中よりもっと寒そうな部分に気がつき思わず微笑んでしまう。毛布の端をこっそり握ると、えいやっと頭からかぶせた。
「ご、伍長?!」

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