出国はつつがなく終わり、数ヶ月に渡ったテストケースは無事終了した。
帝国に到着後、私たちは各種手続きや報告書作成に追われ、特に少尉はどういうわけかたびたび上層部に呼び出され、私の前にいることはほとんどなかった。
おそらくテストケースが正式ミッションになるので何かと会議があるのだろう。夫婦潜入がどのように評価されているか聞き出したいところだったが、単純な好奇心では声をかけにくい。あんなふうにプロポーズを断ってしまったから少尉と面と向かっては話すのは正直億劫だったし、それに実をいうと私はあの夜からずっと腹を立てていた。
結局あの人は私を部下としてではなく、ただの女としてしか見ていなかったのではないか。そう思うとひどく意固地な気分になり、ちょっとぐらい悩めばいいのよと列車の中でも帝国についてからも、愛想のよい部下を演じつつわざとまともに視線を合わさなかったものだ。
もちろんそんな子供じみたことをいつまでも続ける気はさらさらなく、テストケースが正式任務になったら私はいつでもコールド・ヴィッターの妻を演じるつもりでいた。その頃には少尉ののぼせ上がった頭も少しは冷めて、
『複数潜入も悪くない』
と言った時の気持ちを思い出しているだろうと。
だから数日後、少尉が休暇も取らずとある非同盟国で別の任務につくらしいと聞いた時、私はただ驚くしかなかった。それどころか彼はすでに下準備のため、周辺のセーフハウスの一つに向かって出発したという……部下には何も告げず、たった一人で。
それでは夫婦潜入の件は一体どうなったのか、と考える間もなく私は二課長執務室に呼び出され、そこで待っていたのは思いもよらぬ話だった。
「フランシア伍長。共和国での任務中、ヴィッター少尉からセクシャルハラスメント行為があったそうだが事実か」
見慣れた机に両肘をついたラインベルカ少佐が、組んだ手の向こう側から全てを見通すような例の蛇めいた目つきでこちらを見ている。黒髪を腰まで垂らした副官は書類の束とともに上官の傍らに控え、私は机の前にたたずんだまま問われたことの意味を理解できず呆然となった。
「あの……おっしゃっていることがよくわかりません。少尉と私の任務中の性行為は、偽装工作のひとつとして義務付けられていたはずです」
「そんなものを問題にしているのではない。少尉から報告があったのだが……」少佐がそちらに目を向ける前に副官がすかさず抱えたファイルの一つを机に置いた。「ヤツは上官という立場を利用して貴様に婚姻関係を強要したそうだな?」
あの夜のことを言ってるのだ、と私は呆然としたままの頭で少尉のプロポーズを思い浮べた。パジャマのボタンを喉元まできっちりかけた大真面目な顔とビロード張りの宝石箱。小さなエンゲージリングが光りを受けて輝いたのは、ほんのわずかな間のことだったろう。
「まことか?」少佐はファイルを手に取りページを繰り出した。「日付は確か……」
報告書に記載してあるのなら適当な誤魔化しはできない。他人の口から少尉との思い出をあれこれ語られるのは嫌だったので、私は慌てて口を挟んだ。
「はい、でもあの」
「ふむまことか」
少佐は制すように素早く私の言葉に割り込み、傍らの副官に目配せをする。彼女はその動作の前から胸ポケットのペンを取り出していて、抱えていた書類になにやら書きつけようとした。
「待ってください、あれはセクシャルハラスメントではありません!」
少佐がいぶかしげにこちらを見る。副官の手の動きが止まった。
「どういう意味だ。貴様は断ったのだろう?」
「確かに断りました……でもあれはセクハラとは違います、なぜなら……なぜなら少尉は一度も強要していないからです、私が拒むと彼はそれ以上何も求めてきませんでした。確かにプロポーズはされましたが結婚を強要された覚えはありません」
「だから報告しなかったというのか。しかしヴィッターによれば、それは貴様が上司の報復を恐れておるからということだったぞ? そのような心配は無用だ、事実を述べよ」
「ですからこれが事実です、強要されてもいないのに何を恐れるというのですか。とにかく私はこの件も含め、テストケースの期間中ヴィッター少尉から性的嫌がらせを受けたことなど一切ないと断言できます」
少佐は組んだ両手を机の上に置き、面白がってるような顔つきで私を見上げた。その目は瀕死のネズミをいたぶるのを楽しんでいる猫を思わせた。
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