(2)
 駅付近の公園は、街中にしては立派な規模で広場には噴水や花壇があり、遊歩道の脇にはマロニエが植えられていて並木を作っている。
 木立に入り込み、木々の間を縫うようにティラミスをチョコマカ好きなように歩かせるのがいつもの散歩のコースで……少し歩き疲れたので路肩の古い木の幹にもたれかかり、緑の心地よい香りを感じながら休息する。
 普段と違う行動といえば、もたれかかりながら幹に開いた手ごろな高さのウロにこっそり右手を突っ込んだことだろう。足元のティラミスもあたりをクンクンしながら木の実や何か小さな生き物でも探している様子だが、時折うかがうように顔を上げるしぐさで実はあたりを警戒しているのがわかる。幹のウロに集中している間の警護は任せて、のつもりのようだ。
 すばやく手紙を探し当て、コートのポケットに滑り込ませる。あとは落とさぬよう盗まれぬよう我が上官殿に届ければ、本日の任務は終了となる。
 電信の時代になんと古臭い、と思われそうだが、このやり方が伝書鳩とならんで通信文のやり取りでは一番確実だったりする。傍受される心配はないし、なにより電線も設備もいらないのが一課に比べ何かと懐事情の寒い二課には都合がよい。あらかじめ日時と場所をタイミングよく決めておけば、情報が漏れるか尾行でもされていない限り、奪い去られる心配はほとんどないのだ。
 私の緊張がほぐれたので任務終了がわかったらしく、ティラミスが本気で地面を引っかき始めた。
 土の中から小さくて黒いのやら足が沢山ある赤っぽいのやらがゾロゾロ這い出してくる。
「こーら、あんまり泥だらけになったらお風呂に入れちゃうぞ」
リードをひっぱり歩道へ誘導し、ポケットの通信文のことはすみやかに頭から消し去る。遊歩道へ戻った頃にはすっかり散歩を楽しむ一般市民になっていた、。
 いつものように公園を一周する道すがら、顔見知りの飼い主たちに出会い立ち話をする。傍らをすれ違う、乳母車を押す母親に走り回る小さな子供たち。ベンチでもの思いにふけるお年寄り、足元で眠そうにうずくまる犬。ホットドッグの出店にソーダ水のスタンド、突然の噴水の音に驚いて飛び上がる鳩の群れ……。歩きながら、帝国よりも共和国のほうがいく分か戦争の痛手は少なかったと認めざるを得ないのを感じる。スパイ活動をしながら敵国の豊かさに浸るなんて、父の仇の国だというのに“フランシア伍長の娘”に相応しくない……。
 いや、今日の任務はもう半ば終わったことだし、今はただのかわいい新妻ヴィッター夫人だもの、と言い訳しながら私はふと立ち止まり顔を上げた。公園の植え込みの向こうに花屋が見える。そうだテーブルの花、そろそろ替え時だ。まだ枯れていないぞ、と少尉は文句を言うだろうけど、あの人の言い分をきいていたら花瓶の中で茶色のドライフラワーになってしまう。
 本音を言うとヴィッター夫人として家事に勤しむ生活は結構楽しいものだったりする。もちろん父と暮らしていた頃の懐かしい日々を思い出すからであって、無愛想で冷淡な旦那さまとは何の関係もない。
 食卓の花や廃物を利用して作った壁飾りのような何気ない生活のうるおいや工夫を父は喜んだものだが、我が上官殿はぜんぜん気付かないようだ。
 まったく一緒に暮らしてよく知れば知るほど、少尉と父はまるで性格が違うタイプの男性なのだと感じる。
 だから安心するのよ、と私は唇をゆがめ、研修の初日――二人が初めて合った日にも同じ気持ちになったのを思い出した。

 規則を重んじ一つの違反も許さないコールド・ヴィッター。
 彼は決して父のように規則を破ったせいで死んだりはしないだろう。
 それはつまり、私が少尉のために泣くことはありえない、ということだ。
 あの人は父とぜんぜん違う。優しさや温厚さとは程遠い。きっとあの脱走事件の際、少尉なら規則どおり、何の迷いもためらいもなく捕虜の銃殺を優先したに違いない。軍用犬廃棄の話しを聞いて真っ先に軍事機密や手続きを心配するような人なのだから。
 だからこそ安心するのだ、と私は冷めた気分で“夫”の無表情な顔や抑揚のないしゃべり方を思い浮かべ、心の中でつぶやいた。
 いくら夫婦同様に暮らして、どれほど同じ夜を過ごしても。
 何度身体を重ね口づけを交わそうとも。
 私がコールド・ヴィッターのために涙を流すなんて絶対ありえない。
 だから安心なのよ……。

「よしティラミス、お花を買いにいこ!」
生真面目な我が上官殿は私がなんでも任務の必要経費にすると不満げだけど、帝国の典型的な女子諜報部員は浪費家だと敵に思わせておけばいいのだ。そのほうが典型的な男子諜報部員のケチンボぶりと対照的で面白い。
 いってらっしゃいのキスにうろたえている、エリート諜報部員にあるまじきカッコ悪い姿を意地悪く思い浮かべながらそんなことを考えていると、どういうわけか少尉への暗い感情は薄れていった。
 リードを軽く引っ張り遊歩道を曲がる。ティラミスを従え、私は植え込みを抜けて公園から通りへ出た。

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