嗅ぎなれぬ匂いに興奮したティラミスが吠えたてる中、テーブルを押しのけ、リビングの真ん中にもみの木はそびえ立った。
土台のバケツには本来は土を入れるところだが、買い置きの家庭菜園用の土では半分ぐらいの高さしかなかったので、その上は代わりにソーセージの缶詰だのピクルスの瓶詰めだのが幹を支えている。
こうなってしまっては今更もみの木に文句を言っても仕方がない。
いそいそと紙袋の中身をテーブルに並べているフランシア伍長の横で、しかし紅茶を淹れるヴィッター少尉は不機嫌な顔つきだった。
先ほどの一杯目は運搬に汗を流したもみの木売りの親父と、ナイト気取りで手伝いを買って出た通りすがりの青年にみんな飲まれてしまったので、これは新たに淹れなおした二杯目である。
まったく近頃の若い者は、とヴィッターは青年のフサフサした頭髪とすくすく伸びた脚を思い浮かべ顔をしかめた。
『お父さまですか?』
などと……伍長より年上とはいえ二十も離れてはいないぞ、貴様の目はフシアナか!
早々と追い払ってせいせいした、と仏頂面でフランシアに紅茶を勧めながら、彼はテーブルの上の物体に気づいた。
「ん? それはもみの木の飾りではないだろう」
「ええ、マトリョーシカ。思わず買っちゃいました。ずっと欲しかったんです」
テーブルの上には、二十センチぐらいで繭の上部がくびれたような形の、赤い木製の人形が置かれている。
東洋から伝わった入れ子のダルマ人形が原型で、手足のない簡略化された造形だ。しかし表面に描かれた民族衣装の意匠的な少女のペイントは華やかで美しく、大戦前は土産物として帝国内でもよく見られたものだった。
「一番目の子はでぶでぶさん」
フランシアが歌うようにつぶやきながら、人形を手に取った。胸の辺りで上下に別れ、中を開けると……。
「二番目の子はおおでぶさん」
外側のとそっくり同じ模様の、一回り小さな二番目の人形が入っている。
「三番目の子はおでぶさん」
とても嬉しそうな笑顔。そんなに欲しかったなら私が買ってやったのに、とヴィッターは少し寂しく思う。
「四番目の子は太っちょさん。五番目の子は……あれ?!」
中の空洞からガサガサ飛び出してきたのは人形ではなく、粗末なセロファンに包まれたちっぽけなアメ玉だった。
「……もう! 何なのこのキャンディ!」
「チョコレートのほうがよかったか?」
「そんなこと言ってるんじゃありません、たった四ピースなんて、こんなのただの小物入れじゃない!!」
「あんまり値切るからこういうことになるんだ」
ヴィッターは、しかし気の毒そうに言った。
「とはいえ土産物も国営工場製になってからはすっかり質が落ちたらしい。革命前のような何十ピースも入れ子になった手の込んだものなど、国内でも滅多に見られないという話だぞ。まぁ仕方がなかったな」
「昔持っていた絵本では八人姉妹だったのに……」
「八ピースぐらいなら、戦争がはじまったころは子供用のおもちゃとして普通に売られていたんだが……たった四ピースの中身を駄菓子で誤魔化しているようなものはなかったと思う。大戦では共和国も無傷ではいられなかったみたいだな」
陽気な彼女には珍しく、フランシアはがっかりしたように目を伏せていた。
敵性玩具のマトリョーシカが題材とすれば、戦前の絵本なのだろう。きっと彼女の父親・フランシア上等兵が共和国の捕虜に殺害されるずっと以前の事に違いない。
敵性とかは関係なく、彼女にとってのマトリョーシカは父親との懐かしい思い出の詰まった憧れの人形だったのだろうか。
子供の頃のキミを知りたい……。ヴィッターはもっと絵本の話を聞きたかったが、フランシア伍長は手早く人形を片付け冷めた紅茶を一気に飲み干すと、いつもの陽気さに戻り凶悪な笑顔を浮かべるクマ飾りを手に取った。
「さあ、夕飯までに頑張って、飾り付けを済ませてしまいましょう!!」
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