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 監視カメラはいつものように、裏門から走り去る車の後を見送った。
 人間の警備員なら今しがた出て行ったのが工場でただ一台のベンツで、さらに棒を飲み込んだように不自然な姿勢でハンドルを握っているのが、免停になって久しい徳川だとわかれば必ず不信感を抱いたに違いない。
 しかしカメラの仕事は登録者と登録車が一致しているのを確認すればそれでお役御免であったから、後部座席の同乗者のことなど気にするはずもなかった。

 
「都市伝説なんか信じてんのか?ドーム壁に薄いところがあってトラックで突き破って出て行っただの、穴が開いてるだの」
 徳川は運転席で正しい姿勢を保ったまま、見えもしないのに真後ろを探るような目つきをした。首の右側には鋭利な刃物が当てられ、握っている手の主は後部座席の陰に隠れていて見えない。
 工場を出てしばらく車を走らせると、シートの陰に隠れている窮屈な姿勢から徳川の首筋に当てた刃物はそのままに、運転席の後ろから坊主頭が現れた。その端正な顔がヘッドレストの真横に乗り出すのを、徳川はルームミラーで確認した。
「そう言ってるところみるとたんなるカプセルの夢というわけではないのかもしれないな。火の無いところには煙は立たないだろう」
「ドームの外がどんな所だかわかってんのか?」
 ルームミラーの徳川は神妙な顔つきで、後ろを気にしている。
「知らん」
 土井垣は微笑みながら答えた。
「そんな、よく知りもしない所へ出て行く気になれるもんだな」
「ここにいるよりはマシだ」
 土井垣は徳川が何か反論してくるかと思ったが、老人は何も答えず、ただ言われたままに、J地区に向かって素直にベンツを操っている。しかし、お世辞にも上手な運転とは言えず、赤信号の度に車体は大きく傾いだ。
 何度目かの大揺れの後で、ルームミラーの土井垣の顔が斜め下を向いた。気遣わしく眉根を寄せている。
「犬飼のヤツずっとお寝んねしてるみたいじゃねぇか」
信号が変わり、アクセルを踏み込む徳川の顔を青く照らした。「またMCチップがイカレたのかな」
 土井垣が顔を上げる。
「またって?どういうことだ」
 徳川はハンドルを切った。右手にTプラントが遠ざかっていく。犬飼の弟が大勢眠っているであろう場所。
「前回逃げた時はチップが破損していた。壊れたから逃げたのか、逃げようなんて思ったから壊れたのか、そこんところはわからずじまいだったがよ。その前ん時は二回とも薬物で記憶を操作するだけでよかったのに、外科手術をする羽目になっちまった」
 土井垣の視線が下の方へ動く。眠れる犬飼を見守っているのだろう。
「何度逃亡したんだ?犬飼は」
「都合三回、今回で四回目だ。全く困ったやろうだ、十五年も同じオーナーに可愛がられているのに」
「俺は?……俺は何回目だ?」
「お前は新品だよ、がっかりしたか?こちとら大損だよ。まぁ犬飼にゃたっぷり稼がせてもらったからなぁ」
 対向車のヘッドライトが眩しいのか、土井垣が目を伏せた。徳川は話を続ける。
「アイツはもう商品としては駄目だ。これ以上強力な薬物マインドコントロールにゃ脳がもたんだろうし、チップが破損してたらもっとやっかいだ。埋め込み手術なんか簡単なもんだが何度もやるようにはできちゃいねぇからな、どっちみち今の薬漬けの状態じゃ体が耐えられるかわからん。意識が戻ってドームの外を拝めるかどうか、怪しいもんだぜ」
「しかしプラントへ戻れば即処分、だろ」
 土井垣のつぶやきに徳川は忌々しそうに片手でハンドルを叩いた。
「全くよう、お前ら青年素体ってヤツはまだまだ商品としては欠陥だらけだ……これまで寿命をまっとうしたやつがいねぇ。七、八年が平均ってとこか、プレミアムの二倍は持つように設計されているのに。たいていは精神崩壊してぶっ壊れるか自殺するか、だ。犬飼小次郎は延命記録更新中だったんだがなぁ。しかしやっかいなもんだな、どうしてこう色々考えちまうのかね?廉価版みたくお人形でいればつまらん気苦労もないだろうに……」
 ルームミラーの土井垣がじろりと徳川を睨んだ。
「気に障ったか?おっかない顔しやがって、男前が台無しだぜ。……ところでよう、俺はいつまで運転してりゃあいいんだ?まさか一緒に連れ出そうってんじゃねぇよな」
 冗談じゃない、と言わんばかりの徳川の口調に、土井垣は何故か苛立たしさを覚えた。人間はドームシティを出て行きたいとは思わないものなだろうか。俺が出たいと感じつづけていたのは自分が素体だったから?もし俺が人間だったらここで幸せに暮らしているのだろうか。本物の野球もできないようなこの街で。
「……あなたは、ここを出ようと思ったことはないのか?」
 対向車のヘッドライトが眩しい。徳川が顔をしかめた。
 唇がへの字に垂れ下がり、八の字に寄せられた眉は困っているようにも哀しんでいるようにも見える。
 ルームミラーに映る顔が一変に老け込んだような気がして、土井垣がさらに言葉を続けようとしたとき、急に自動車の速度が落ちた。
 前方に渋滞の列が見える。
「こんな時間に渋滞だと、この道で?くそっ……そこを左に曲がれ。うちの警備体制ならもう少し時間を稼げるだろうと思っていたのに」
「警察の検問ってか」
 徳川が面白がっているような口調で言った。「プラントが気づいたんなら身内で済ますさ、通報なんかするもんかい。青年素体の逃亡なんざそれでなくても保護委員会がうるさいのによ。大方、犬飼のオーナーが手を回したんだろ。小次郎ちゃんが夜のお勤めに出てこねぇ、また逃げたんだろうとかなんとか旦那の尻を叩いてさ。保安警察総監夫人だからな、ヤツのオーナーは」
 車は言われたとおりに暗い裏道へ入っていった。一帯には背が高く窓のない建物が密集しており、そのどれもが同じ外観をしている。おそらく、貧民層が詰め込まれているカプセル住宅だろう。
 辺りには公園も娯楽施設も飲食店も見当たらなければ、煙草や飲料の自動販売機さえない。
 無線LANからアクセスすれば味気ないサプリメントも有名シェフの料理に化けるし、本物の公園を散歩する必要もなければ、本物の娯楽をする必要もない。
  ソフトの種類は豊富で更新も早く、わざわざ実体験で時間を浪費するよりは、ずっとお手軽で効率的というものだった。何より偏った嗜好を習慣にしたところで実害はないに等しい。
 土井垣は車窓に映る、巨大なカプセルが並んでいるとも見て取れる殺風景な町並みを眺めた。
 こんな素振りもキャッチボールもバーチャルでなければできないようなところに住んでいても、俺が人間だったらここを出て行きたいとは思わないのだろうか。……ルームミラーの徳川に目をやれば、街並みを眺める彼の目つきは何となく腹立たしげである、思わず土井垣は先ほどと同じ台詞を繰り返した。
「あなたは、ここを出ようと思ったことはないのか?」
 徳川は答えなかった。
 何か考え込んでいるようにも見えるが、たんに道幅が狭くなったので運転に集中しているだけなのかもしれない。
 この地区の住民の多くは自動車を所有していないのだろう、路地と形容したいような道である。建物の窓々から洗濯物のロープでもぶら下がっていれば古い映画で見た街並みのようだが、向かい合う建物には窓一つ無く、コンクリート製の大きな墓を思わせた。
「そこの角で止まれ……。降りろ」
 土井垣の指示に、徳川は黙ったままブレーキを踏んだ。
 ベンツは路肩に停車した
 街路灯が極端に少ないために、ヘッドライトが消えたら辺りは相当暗くなることだろう。
 夜間、人の出歩くことがほとんどない街を明るく照らす必要はない。間近にそびえるコンクリートの建物の中には何百人眠っているか知れないが、外からは人の気配さえ感じられず、あたりは静まり返っていた。
 後部座席の若者が身を乗り出すと、運転席の老人は素直にドアを開け外へ出ようとした。しかし何を思ったのかふいに振り向くと、土井垣の顔を見た。
 額に寄った皺と、下がった眉が妙に物悲しい。
「若けぇってのは無茶やるな。大昔の俺もそうだったがよ……ドームが出来た時、俺はもう五十三だった。あれから五十年はたつんだなぁ」
 目の前の若々しい顔に、徳川は弱々しく微笑むと視線を逸らし、車外に体を向けた。
「五十年も年を取らずに生きてきたんだ。チップの老化遅延剤は取り替えなきゃならんから、外に出たら人間は自然に老いていくんだろうな。でもな、年の取り方なんか忘れちまったよ。俺はここから出られねぇ……外にゃぁ旨い酒があるだろうがよ」
 老人は車体から離れると、帰りの算段でもしているのか辺りを見回している。
 もう逃走中の素体のことなど眼中にないように見えた。保安警察が動き出したので、民間人が今からどうこうしても仕方がない、ということだろうか。
 土井垣は運転席に乗り込むとドアを閉め、一瞬、以前たどった道を脳裏に思い浮かべた後、再びエンジンをかけた。
 走り出した車のミラーに映る街並みは見る見る小さくなってゆく。
 徳川の痩せた猫背のシルエットがこちらに向かって小さく手を振ったような気がしたが、土井垣は確認することなくアクセルを踏み込んだ。

 
 
 
 
 ゴーストタウンと化した街並みの中を、ベンツはゆっくりと進んでいた。
 出発した時は真夜中だったが、もう太陽はかなり高くなっている。
「まずいな。エンストしちまいそうだよ」
 運転席の坊主頭の男は、燃料メーターを見ながら後部座席に声をかける。返事はない。
「警察、諦めたのかもな。追いかけてこなくなった」
 男は頭が痛むのか顔をしかめながら言った。
 しばらく走り、背の高い建物群が途切れドーム障壁が現れると、ベンツは停車した。遠くに見える灰色の壁。
 坊主の男は双眼鏡で障壁を調べ始めたが、しばらくして助手席に放り出すと、投げ出すようにシートに体を預ける。ヘッドレストに後頭部がぶつかった。片手で疲れたように両目を覆う。
「やっぱり伝説なのか。どこもかしこも同じ外観だ。崩れたところんなんかありゃしない。もっと近寄って壁を叩きながら回るか?どこが一番薄いのか。それとも建物の陰になっている部分をしらみつぶしに調べるとか?」
 男は笑い声を立てた。壁のすぐそばでうろうろしたりしたら、すぐにこの間の二の舞なのはわかりきっていた。今でさえ頭痛がひどいのだ。
「どうする?犬飼」
 土井垣は後部座席を振り返った。
 シートに身じろぎもせず横たわる男の顔色は土気色だった。
 身を乗り出し、血の気の無い唇の辺りに手を触れると、微かに呼吸が感じられた。腕を取り脈を測ってみたが弱々しくほとんど感じ取れない。
 プラントへ戻れば……土井垣は考えた。犬飼はもう商品価値はないと言われた。こういう場合は通常リサイクルに回される。たぶん他の廃棄されたT素体と一緒にリサイクルされることになろう。犬飼は死なない……あの眼鏡の弟になって廉価版として市場に出回るのだ。
 土井垣は犬飼のこけた頬に触れた。肌が荒れ、伸びた髭がモミアゲと繋がりそうだ。
 俺はどうだろう。チップを埋められて、何もかも忘れてあのオーナーのところへ売られるのだろうか。ひょっとしてお前みたいに何度も脱走する困った商品になるかもな。いや、S素体はもともとが従順だからなぁ。
 そのほうが幸せなんだろうか。……犬飼の額に手を当てる。車に乗り込む前は燃えるように熱かったのに、日の高くなった今、生き物でないように冷たい。熱が下がったからというよりも命が失われつつあるような気がして、土井垣は頭を垂れる。
 廉価版は野球なんかできないぜ。維持費もかからない代わりにほとんど活動もできない。そんなのお前とは言えないよな。俺はどうなんだろう。……わからない。いぜれにせよ今の俺は消えてしまうんだ、プラントに戻れば。今までのお前が何度も消されたように。
 戻れば、二人ともキャッチボールなんかできやしないな。
 
 やがて土井垣は顔を上げた。もう一度、犬飼の顔を見る。
「犬死はつまらん。……死ぬつもりはない」
 後部座席に体を伸ばすと、もう一度犬飼をしっかりシートに固定しなおす。手の甲で冷たい頬を軽くなぶると微笑んだ。
「大人しく寝ていろよ……。ちょっと荒くいくぜ」
 再び運転席に乗り込み、シートベルトを硬く閉めた。
 深呼吸をする。
 昔、ドームを出て行った人々がいたという。
 車で壁を突き破ったという話もある。軍用トラックだったとか装甲車だったとか、車種はわからない。もともとそのことが頭にあったから徳川のベンツを借用したのだった。……本気ではなかったけれど。
 行く手には灰色のドーム障壁が立ちはだかっている。気が付けば初めてJ地区に来た時歩いた道と同じだった。
 土井垣は再び深く深呼吸をすると、ハンドルに手を置きエンジンをかけた。
 障壁が近づくにつれ、ベンツはスピードを上げる。
 運転席の男は無表情で、後ろを振り返ることも無い。
 灰色の壁は見る間に近づいて来た。
 土井垣はただ、アクセルを踏み込む。
 質感がわかるほど近づいた。コンクリートのように見えるが、本当のところは何かわからない。
 壁の模様がはっきりと見えた。
 土井垣はハンドルを握り締め、頭を下げると目を閉じ、アクセルに脚をふんばり来るべき衝撃に備える。
  
 ベンツは、灰色の壁に吸い寄せられていった。

 
 


 

(7)に続く


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