(7)

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 真っ赤に熟れたトマト。夏の日差しに黒光りする茄子。青々とした胡瓜。
 何処からとも無く現れたカラスアゲハが陽炎のように、草いきれの中をゆらりと飛んでいった。
 夏野菜の実る真昼の畑で、青年は黙々と草取りに余念がない。
 汗が一滴、軍手をはめた手の甲に落ちた。額をぬぐうと、雑草引きに疲れた腰を伸ばしつつ、思わず真夏の空を仰ぐ。
「ふぅっ」
 目深に被った麦藁帽子をあみだに傾けると、三太郎は首に掛けたタオルで顔や首を拭いた。目線の彼方には、あおく広がるトウモロコシ畑。向こうの一角はそろそろ収穫時だった。
 青年は微笑みを浮かべつつ――特に嬉しいわけでもなく微笑家は家族を揃ってこんな顔つきなのだが――強い日差しに、麦藁帽を目深に被り直した。
 熟れ過ぎて皮の弾けた真っ赤なトマトが目に留まる。ふと喉の渇きを覚えもぎ取ると、かぶり付きつつ路肩に止めたトラクターに向かって歩き出した。少し休息しよう……。ラジオのスイッチを入れると、傍らに腰を下ろす。
 熟れきったみずみずしいトマトは生ぬるかったが、乾いた喉にはおいしかった。
 今年は雨が少なかったから味が濃い。三太郎がかぶりつきながら作品を添削していると、ラジオから流れる音楽にノイズが混じり始めた。
 広大なトウモロコシ畑のもっと向こうに、灰色の巨大な構造物が見える。しかし生まれた頃から見慣れた目には、その不自然な光景に特別、違和感を覚えるわけでもない。
 周波数を調整しながら、一向に良くならない音質に三太郎は顔をしかめた。
 またドームシティから混線しているらしい。
 再び、顔を上げ、灰色のドームに目を凝らした。あそこでは雨がほとんど降らない、とかいう話しで、いつも気持ちよく晴天が続いているという。そんなんじゃ、旨い野菜は作れないな……。
 三太郎の丈夫な顎は咀嚼を続け、大きなトマトはもうヘタの辺りを残すだけになってしまった。
 まだ残っている赤い部分をガリガリやりながら、濡れた右手をズボンの腿になすりつけた後、ラジオのチューナーを回す。ノイズに混じって言葉が聞き取れた。
『……トウソウチュウ……ニメイ……ダッソウ……』
 トウソウチュウ? ダッソウ?
ドームから脱走なんて、祖父さんが若かった時代の話だろ? 三太郎は興奮した。
 こりゃ面白いや、早速殿馬に教えてやろう。……ひょっとしたらあいつの知り合いかもしれないし……ラジオをつけっぱなしのまま三太郎は立ち上がると、アスファルトの道を駆け出した。

 
 
 
 
 あまりにも予想外の状況に陥った場合、人はすぐには頭を切り替えられず、例えそぐわなくても以前のままの行動をとり続けてしまうものらしい。
 衝撃に備え思わず目を閉じた土井垣だったが、いやにその瞬間が遅いのを訝しく思いながらも、しばらくは目を開けることができなかった。
 体感温度や湿度が変わり、回りの空気が一変したような感じがする。
 半ば恐る恐る顔を上げると、まず目に飛び込んできたのは真っ青な空だった。一瞬ドームの空かと思ったが、下方には積み重ねたような白い塊。積乱雲という言葉が浮かんだが、これはカプセル内の睡眠学習のおかげであろう。ドームの空には入道雲など浮かばない。
 次に飛び込んできたのは、アスファルトの道路をノロノロ直進してくるトラクター。
……ここで初めて土井垣はベンツのスピードを自覚し、慌てて踏みっぱなしだったアクセルを離した。
 トラクターには自分と同じぐらいの背格好の男と、もっと小柄な団子鼻の男が乗っていた。大きいほうの引きつったような笑顔と、小さいほうの出っ歯が丸見えのぽかんと開いた口。土井垣ははっきりと恐怖を感じ、ブレーキを踏みしめた。
 しかし、男たちの蒼白な顔はますます近づいてくる。
『スピードで視野が狭くなってたんで青空しか見えなかったのか』
 今更そんなことに気づきながら、土井垣は夢中でハンドルを切った。
 悲鳴をあげ、軋るタイヤ。
 道を外れ、緑色の景色が迫る。 
 しかし衝撃は、思いのほか軽かった。
 道路の脇に広がる緑の景色には、一体何があったのだろう?
 勢いづいたベンツはなかなか停止せず、人の背丈ぐらいはある頑丈な植物群をなぎ倒しながら進んでいった。フロントガラスはちぎれた葉っぱや折れた茎で見る間にふさがり、目の前のガラス越しに、先端に白いヒゲを生やした紡錘形の物体がぶち当たると、どこかにすっ飛んでいくのが見えた。トウモロコシだった。
 広大な畑に芝刈り機で刈ったような後を残しつつ、紡錘形の弾丸を飛ばしながらベンツがやっと停まった頃には、車体はすっかりトウモロコシで覆われていてた。
 フロントガラスはひしゃげた植物で埋め尽くされ、運転席の土井垣から見えるものは、天井近くのガラスの向こうに広がるわずかな青空のみ。もちろんドアを開けられるわけがない。
『なんだ。……トウモロコシ畑に突っ込んだのか』
 ガラスの向こうでたなびいている白っぽいヒゲを眺めながら、土井垣は拍子抜けしていた。頭がなかなか働こうとしない。
 ドームの外はのどかなトウモロコシ畑が広がっていて。
確か壁に突っ込んだはずだったのに、道路の向こうからは何故か、トラクターが暢気にやってきて。
 迫り来る団子鼻の出っ歯とニヤケタ男の、真っ青な引きつった顔。
 ……そう言えば、あの男たちは?
 ふいに目の前が明るくなり、ドンドンとフロントガラスを叩く鈍い音に、土井垣は我に帰った。あの大きいほうの男がトウモロコシを掻き分けつつ、拳でガラスを叩きながら覗き込んでいる。微笑んでいるが、なにやら怒鳴っているらしい。
 リアウィンドウを作動させると、葉っぱや茎の進入を伴いながらも、なんとか窓は開いてくれた。
「ちょっとあんた!トウモロコシどうしてくれんだよ、もう収穫直前だったのに!」
 男はにっこり笑っているがかなり怒っているようだ。
 フロントガラスがまた暗くなり、顔を向けると、あの団子鼻の小柄な男が車内を覗き込んでいる。どうやらボンネットにちょこんと乗っかっているらしい。
「待て三太郎、今更怒ってもしょうがねぇづら。おっようてめぇ、ドームから出てきたばっかの気分はどうづらぜ?」
 どうやら上手く出られたしい。……土井垣の頭はやっとはっきりした。慌てて後部座席を振り返り、横たわる男の無事を確認すると、団子鼻の男に叫ぶ。
「連れがいるんだ、ひどく具合が悪い。病院へ運んでくれ」
  
 

 

(8)に続く


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