11


 結局、それからベッドで一回、洗ってあげるから……と連れて行かれたバスルームで一回抱かれた。
「もう……めちゃくちゃやりやがって……」
  狭いバスタブに二人で入りながら、怒った振りでそう言ってやる。
「ごめん。ほんまにごめんな?」
 ユウヤはその言葉を真に受け、オロオロしながら後ろからギュッと抱きしめてきた。チャポン───と湯が跳ねる。
「アキラ……すごい気持ち良さそうやったから、俺も嬉しなってやり過ぎてもうた。身体辛いか?」
「別に……辛いっていうか、ダルいけど、何とか大丈夫だよ」
 僕の後頭部に頬を押し付けて一生懸命言い訳しているのを聞いていると、なんだか可哀想になってきて、ついそう言ってしまった。
「そっか、よかった……。しかしエッチの最中のアキラ、もう滅茶苦茶色っぽかったなぁ」
「やめろよ」
「いや、本当のことやし……っていうても自分で自分の顔はわからんか。もう滅茶苦茶……」
「もうやめろってばっ!」
 僕は赤くなってユウヤの顔に湯を掛けた。
 ユウヤはめげる気配もなく、上機嫌のまま僕の肩に顎を乗せて笑っている。
「なあ、聞いていい?」
「ん、何?」
「アキラ……なんであの掲示板にあんなこと書いたん?」
「単なる……悪戯だよ。本当は、返事を貰っても会うつもりなんてなかった」
「じゃあ、なんで俺とは会ってくれたん?」
 肩の辺りを優しく撫でながらそう尋ねられ、僕は一瞬言葉に詰まった。
「それは……」
 僕は、本当のことを全部話してしまいたい誘惑に抗えず、ポツポツとあの掲示板にあんな書き込みをした経緯を語った。
「僕さ、実は昨日彼氏と別れたんだ。わざわざ東京から大阪まで会いにきたら、浮気相手とヤッてる真っ最中でさ……それ見て飛び出してきちゃって。あはは、笑っちゃうだろ?」
「………………」
 振り返って、ユウヤの顔を見る勇気はなかった。
 ユウヤは、相変わらず黙って僕の肩をゆっくりと撫でている。僕はその手に励まされるように、先を続けた。
「で、ネットカフェに入って、なんとなくあのサイトに辿り着いたんだ。……最初はさ、ただの興味本位っていうか。返事くれるヤツを見て笑ってやれと思ってただけだったんだけど」
 チラリと振り返ると、ユウヤは気分を害した様子もなく真剣な表情で僕の話に耳を傾けていた。
「でもユウヤのメール見て……気になってさ。名前、僕の好きなネット小説のキャラと同じだったし、なんか礼儀正しくていい人そうだったし」
「そうか」
「……ごめん。メールくれた人達にも、すごく失礼なことしちゃったと思ってる。なんかもう、昨日は頭の中ぐちゃぐちゃで……」
 声音がどんどん言い訳めいてきていることに気付いて、僕は内心苦笑した。なぜ自分は、旅先の一晩の恋の相手にこんな言い訳をしているんだろう。
「部屋飛び出してから、彼氏に連絡した?」
 僕は無言で首を振った。
「こっちからは連絡してない。向こうからも……メールの一通もないし……もう、ダメなんだよ」
 僕は溜め息を一つ付き、再び口を開いた。
「……っていうかさ、振られてみてわかったんだけど、元々そんなに好きじゃなかったんだ。ただ、一人じゃ淋しいから付き合ってただけっていうか……。浮気現場を見ちゃった時も、彼が他の人とセックスしてたってことより、その場で二人にバカにされたことの方がショックだった。結局僕も、自分のことしか考えてないサイテーなヤツなんだよ」
 そう、そして僕の心は今、急速にユウヤに向かって進んでいる。───言ったところで、引かれるだけだろうけど。
「お前は、サイテーなんかじゃないやろ。そんな風に言うな」
 ユウヤは、珍しくぶっきらぼうにそう言った。
「ありがとう」
 僕は何と答えていいかわからず、ただお礼だけを呟くように口にした。


 風呂から出て、僕はベッドに腰掛けて服を着るユウヤをぼんやりと見つめた。
「今日はもう、帰るだけなんやろ?」
「……え……?」
 一瞬、言葉の意味を理解できなかった。帰るだけ……帰るだけ…………
───そっか。帰らなくちゃダメなんだ、東京に……
 すっかりそのことを忘れていた。もう、ユウヤとさよならしなくちゃダメなんだ。あと一日、こっちにいたい─── 一瞬そう思って、すぐに考え直す。あと一日こっちにいたって、ユウヤとの別れがより一層辛くなるだけだ。
「何時の新幹線?」
「えっと……確か最終だったはず。九時十八分…かな」
「あと一時間か」
 ユウヤは腕時計を嵌めながら、ポツリと呟いた。
 僕らは急いで支度をし、ホテルを出た。
 あと一時間……どうしよう?僕はチラリと隣の長身の男を見上げた。
 そろそろお腹が減る頃だし、ユウヤはきっとどこかの店に入って食事をしようと言うはずだ。
 僕がそう考えた時、ユウヤが駅の前で立ち止まった。
「じゃあ、俺はここで……」
「え?」
「ごめん。ちょっと用事あるんで……」
「あ、そうなんだ」
 僕はそう言いながら、乾いた笑いを漏らした。多分、顔が引きつってしまっていたと思う。当たり前のように、僕が帰るまで見送ってくれるとばかり思っていた自分が恥ずかしかった。
 考えてみるまでもなく、僕ら二人は一夜の恋人。単なる行きずりの関係なのだ。まるで遠距離恋愛中の恋人同士のような愁嘆場なんて、どんな顔して演じろというのだろう。
「じゃ、俺は御堂筋線やから、ここで」
「うん」
 僕は極力口を動かさないように返事をした。あんまり喋ると、唇が震えてしまう。
「元気でな」
 ユウヤはそれだけ言って、雑踏の中に消えて行った。
 あまりに呆気無い別れに、僕はしばらく呆然とその場に突っ立って、その広い背中が見えなくなるまで見送った。
「恋人でもないのに、なに勘違いしてんだろ。バッカみたい」
 僕は誰にともなく虚勢を張って肩を竦め、歩き出した。
───あと一時間か……
 僕はのろのろと駅への階段を上った。大阪から新大阪までは一駅だ。五分もあれば着くだろう。
 さっきまで結構お腹も空いてるような気がしたんだけど、ユウヤにあっさりと別れを告げられたら、食欲もなくなってしまった。
 気が付くと、僕は新大阪のホームでぼんやりとただ立ち尽くしていた。
 駅員さんに言って、早い時間の列車に変えてもらうこともできたけれど、それすら面倒で、ただホームに突っ立ったままビルの派手なネオンサインをボーッと眺める。本当は、立っているのも辛かったが、一度座ってしまうとそのまま立ち上がれなくなりそうだった。
 ヒデちゃんと別れたことが、遠い遠い過去のような気がする。本当は、たった二十数時間前の出来事なのに……。
 ユウヤの記憶があまりにも鮮烈で、僕の頭の中はユウヤのことでいっぱいになってしまっている。昨日別れた男の記憶など、僕のちっぽけな脳味噌の中にとどまっている余地はなかった。自分でも、なんて薄情な男なんだろうとびっくりする。
「ユウヤ……」
 思わず、そう呟く。
 僕は今日の日を───ユウヤという男と出会ったことを、おそらく死ぬまで忘れないだろう。これから、恋人ができるかもしれないけれど、ユウヤほど素敵な人には巡り会えないだろうと思う。
 ホームにアナウンスがこだました。もうすぐ、僕が乗る最終の新幹線が到着する。
 僕は小さく溜め息をつき、手に持っていたバッグを肩に掛けて列に並ぼうと歩き出した。
「アキラ!」
 遠くで名前を呼ばれたような気がして、そちらを向く。
「───!!」
 瞬間、言葉にできないほどの衝撃が僕を襲った。階段を駆け下りてやって来たのは、ユウヤだったのだ。
「よかった。間に合った!」
 ユウヤは僕の前まで来ると、ハアハアと息を切らしながらにっこりした。額に、玉のような汗が浮かんでいる。
「ど……して………?」
 僕は呆然としながら、絞り出すようにようやくそれだけ言った。
「これ渡したかってん」
 ユウヤは額の汗を拭いながら、大きな紙袋を「ほい」と無造作に差し出した。
「今日の記念に、と思って。プレゼント用の包装してもらう時間なくてムードないけど」
「ありがとう……」
「中身は開けてのお楽しみ。多分気に入ると思うんやけど」
 ユウヤが悪戯っぽくニッと笑った時、僕の乗る列車が滑り込んで来た。
「……用事があるって、もしかしてこれ買いに?」
「びっくりした?」
 僕は泣き笑いの表情のまま頷く。
 もっと話したい───連絡先を聞いてもいいだろうか?
 まごまごしている間に、周囲にいた僕以外の乗客は全て乗り込んでしまった。僕は最後に乗り、あたふたと振り返る。
「ユウヤ、あのっアドレス…」
 僕の声は、発車のベルの音で掻き消えた。
 扉の閉まる向こう側で、ユウヤが笑顔で手を振る。
 僕は思わず、閉まった扉をバンッと叩いた。ユウヤの手が、ガラス越しに僕の手に重なる。何か喋っているようだが、その口の動きから内容を読み取ることはできなかった。
「ユウヤ…ユウヤ……」
 僕は動き出した列車の中で、ただその名前だけを呼んでいた。
 やがて、ユウヤの姿が視界から消える。僕は呆然とそれを見送り、しばらくその場に立ち尽くしていた。携帯電話を手にした人が、デッキでぼんやりしている僕を見て、不審そうにジロジロと見てくる。僕はその視線に耐えかね、そそくさと自分の席に着いた。
 周りは出張帰りらしいサラリーマンが多く、疲れた表情でおのおの缶ビールなどを片手に漫画雑誌を読んだりしている。僕の隣は空席だった。
 僕はユウヤに貰った紙袋を開け、中から厚手の紙の箱を取り出した。
───なんだろう、いったい
 こんな不意のプレゼントでも、喜びよりも悲しみの方が大きかった。どれほどいいものを貰っても、もうお礼を言うことすらできない。
───もしかしたら、連絡先を書いたカードがあるかも……
 僕はまだ諦めきれず、縋るような思いで箱を開けた。
 果たして、何かを包んだ白半透明のペーパーの上に、二つ折りのカードがあった。僕は嬉しさに飛び上がりそうになりながら、震える手でカードを開けた。

『出会えたことに感謝します ユウヤ』

───これ……だけ……?
 裏を見ても、やっぱり何も書いていない。
 僕は一瞬でも期待してしまったことを恥じ入りながら、ペーパーのシールを外して中を見た。
「……あっ……!」
 僕は驚きのあまり、一瞬身体に電流が走ったかのような錯覚を受けた。
「これ……」
 中に入っていたのは、昨日の夜、もうシャッターの下りたインテリアショップのショーウインドウで見たスタンドだった。
「…どうして……」
 なぜユウヤは、僕がこれに惹かれたことを知っていたんだろう。彼は、実際に僕がこのスタンドを見ていたことを知らない。飾られているのが何かすら知らなかったはずだ。ただショーウインドウを眺める僕を、少し離れた所から見ていたにすぎないのに……。
 たったあれだけで、彼は僕にこのスタンドを贈ろうと思ったのか。
「超能力者かよ……」
 小さく笑ったつもりだったのに、涙が勝手に溢れ出した。スタンドのシェードにポタリと落ちたその雫を、そっと指で拭う。わざわざミナミまで戻って、これを買って来てくれたユウヤの姿を想像し、また新しい涙が溢れた。
 窓に目をやると、泣き濡れた僕の顔が映っていた。僕はその向こうの眩い光を放っている大阪の夜景をじっと見つめ、静かに目を閉じた。



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