梔子の夜

〜The night of the gardenia〜

2


「今日は楽しかったね」
「ああ」
 僕は隣の岡田の声に相槌を打ちながら、映り過ぎて行く窓の外の景色に目をやった。
 土曜日の夕暮れの電車の中。
 高校のクラスメイトの岡田に映画に誘われて、今話題らしいラブロマンスを一緒に見た帰りだった。世の中ではこういうのを『デート』とか言うんだろうけれど、僕にはどうでもいいことだった。
「映画、面白かったね。今度はどこに行く?」
 隣で岡田が弾んだ声を上げる。
「ん…ああ、べつにどこでも……」
 僕は生返事をしながら、窓の外を眺め続けた。
 僕は今年で高校二年生になる。
 女には興味はない。一度も興味をもったことはない。
 僕が興味あるのは……。


 岡田は僕の事が好きらしい。そのことに気付いたのは、わりと最近の事だったけれど、周囲の話によると、もうずっと前からの事らしかった。
 僕はわりと同世代の女の子に好かれやすい。僕は女の子には興味がないから、他の男子達と違ってガツガツしていない。彼女達の目にはそれが大人っぽく映るようだった。
 僕は岡田に請われるまま、彼女を家まで送ることになった。隣で岡田は上機嫌だが、僕は内心、ひどく面倒臭いことになったとこっそり溜息をついた。
 どうして今日の映画、断らなかったんだろう。興味もないクラスメイトとくだらない恋愛映画を見るくらいなら、家でゆっくり本でも読んでいる方がどれほど良かったか。
「……でねぇ……本間君、聞いてる?」
「ああ、聞いてる」
 僕は無気力に頷く。
 退屈な会話。退屈だ、何もかもが……。

 ―――何もかもが…………。

 僕は目を閉じ、五年前の夏の、まるで夢か幻のような出来事に思いを馳せた。
 僕の十七年分の記憶の中で、一番鮮烈で一番忌むべきもの。それがあの五年前の、夏の記憶だった。


* * * * * * * * * * * *


「さあ、これでよし」
 彼は家に招き入れた僕の膝の傷を丁寧に消毒し、軟膏を擦り込んでガーゼを置き、クルクルと器用に包帯を巻いた。それほどたいした怪我じゃないのに、なんだか大袈裟で少し恥ずかしかった。
「ありがとうございます」
「少し休むでしょう?紅茶でも入れようか」
 彼はそう言い、立ち上がって僕と自分のために紅茶を入れた。おいしそうなクッキーを出され、僕は自分がひどく空腹だったことを思い出した。
 彼はゆっくりと紅茶を飲みながら、忙しくクッキーを紅茶で流し込んでいる僕を見つめた。
「頬についてる」
 彼は笑いながら、僕の頬についたクッキーの屑を払い落とす。
 僕はがっついていた自分が恥ずかしくて、無言で軽くお辞儀した。
「君、何年生?」
「六年です」
「名前は?」
「本間聡」
「そう……」
 それから僕らは少し話した。彼はユウマと名乗り、大学一年生だと告げた。もっと大人だと思っていた僕は、少し驚いた。
 会話が途切れ、手持ちぶさたになった僕は、広い部屋を見渡した。古い家だが、手入れがよく行き届いていて、家具も趣味のいい年代物だと子供の僕にでもわかった。
 不意に、彼の長く細い指が、僕の顎に伸びてきた。
「あ……」
 僕はただ、ユウマの端正な顔が、僕の上に落ちてくるのをじっと見つめていた。ユウマは唇が触れ合うわずか手前で、その動きを止めた。目の前のユウマの瞳が、面白そうに細められる。
「逃げないの?」
「え、あの……」
 逃げなくてはいけないのか、逃げる必要があるのか、正直よくわからなかった。間近で見るユウマの瞳の色は、綺麗な薄茶色で、玻璃のようにキラキラと暮れかけた日の光を反射させていた。
「君の目、綺麗だね」
 僕の方こそそう思っていたと、僕がある種歯がゆい思いで言おうとした時、ユウマの唇が僕のそれに触れた。その冷たくて、柔らかな感触に驚いた僕が驚いて離れるよりも早く、ユウマが静かに身を引いた。
「君の唇、あたたかい」
 僕は何と言っていいかわからず、ただユウマの顔を凝視した。
 さっき会ったばかりの、しかも男の人にキスをされた。僕の年頃では、早いヤツじゃもうファーストキスも済ませているけれど、僕の周りじゃそんなヤツいなかった。
「それに濡れてる」
「あ、紅茶……飲んでたから……」
 なぜ僕はこんな言い訳めいた事を言わなくてはならないんだろう?
 僕はいきなりキスされたことに対して怒らなければならない、と思いながらも、ユウマとのキスがまったく嫌じゃなかったことに愕然とした。
「キス……嫌じゃないの?」
「あ……」
 優しい声と共に、もう一度唇が落ちてくる。さっきよりも少し強く唇が押し当てられ、僕はその甘く柔らかな感触に酔った。
「可愛い唇」
 そう言って、ユウマはうっとりしたように僕の唇を何度もついばんだ。唇で僕の唇を挟み込み、舌でチロリと嘗める。ユウマは何度も何度も同じことを繰り返し、僕をすっかりリラックスさせた。
 ユウマとのキスは楽しかった。僕はお返しにと、ユウマのやり方を真似て、そっとユウマの唇を自分の唇で挟み、ぎこちないながらも丁寧に嘗めた。薄いけれど、柔らかくて弾力のある赤い唇にうっとりする。
 唇を離して、ユウマにそっと微笑んだ。上手く出来たね、と優しく誉めてほしかった。
 だが、ユウマが次にとった行動は、僕の予想を遥かに越えていた。
 彼はいきなり僕の後頭部を掴んでぐいっと引き寄せ、荒々しく唇を塞いだのだ。
「んっ、ん……!」
 いきなりの事に、僕は驚いて抗ったが、所詮は小学生の力だ。大学生のユウマに容易く取り押さえられ、ソファに押し倒される。
 ユウマが僕の両手を押さえ込んで、奥に引っ込んでいた僕の舌を誘い出し、激しく吸い上げる。そして上顎をぞろりと嘗め上げられ、僕の身体はピクンと硬直した。いつしか僕は抵抗をやめ、ユウマの強引で荒々しいキスに身を任せていた。
「あっ……ふ……」
 混ざりあった唾液が僕の唇から溢れ、僕の顎を濡らした。
「こんなキスは好きかい?」
 ユウマは押さえ付けていた僕の手首から手を離し、僕の頬をそっと撫でた。
「……わからない」
 これがキス?想像していたものは最初にユウマとしたような軽く唇を合わせる程度のもので、こんな激しいものじゃない。僕は困惑してそう答えるしかなかった。
「ふうん。そうか」
 ユウマはさして気を悪くしたようでもなく、ソファから身を起こした。
「君は男が好きだろう?」
 いきなりそう尋ねられても、僕は答えることができなかった。僕は初恋すらまだだったのだ。
 でも、男が男を好きになるのは普通じゃないということくらいはわかる。
「違います」
 僕は自分の名誉を守るため、そう答えた。
「じゃあなぜ、最初にキスした時、嫌がらなかったの?」
「それは……」
 僕は言葉に詰まって俯いた。
 ユウマはそんな僕を許さず、顎を持ち上げて無理矢理顔を上げさせると、僕の目をじっと覗き込んだ。
「男にキスされて嫌がらないって事は、君は男が好きなんだ。僕は最初からわかっていた」
 綺麗な茶色い瞳を見ていると、なぜかユウマの言うことが全部正しいのだと思えてきた。
「可愛いね、君は……」
「僕……」
 もう帰ります―――そう言わなければ……。僕の理性はそう告げているのに、そう言うと二度とユウマに会えなくなるかもしれないという思いが、僕の口を鈍らせた。
「なぁに?もう帰るかい?」
 ユウマは、そんなことこれっぽっちも考えていないように、僕の鼻をつついた。
「帰らないよねぇ?君が帰っちゃったら寂しいよ」
 ユウマの薄く形良い唇が、甘い言葉を紡ぐ。
「寂しいよ……聡」
 そう言って、まるで子犬のようにペロリと僕の唇を舐める。あっと思う間もなく、それはさっきよりも激しいキスへと発展した。
 顎を掴んで、唇を無理矢理こじ開けられ、舌に舌を絡ませて吸い上げられる。
「あ…んんっ!」
 まるで女のようなヘンな声が出て、僕は慌ててユウマの肩にしがみついた。
「餓鬼のくせに、いっぱしにいやらしい声出すじゃないか」
 ユウマはそれまでの優しい青年の仮面をすっかり剥ぎ取り、嘲るようにニヤッと笑った。二人分の唾液で光る唇が卑猥に釣り上がる。僕は本能的に、その笑顔の中に邪悪なものを感じ取って後ずさった。
「僕……」
「帰さないよ。もう帰さない……」
 ユウマは歌うようにそう言い、僕の頬を優しく撫で上げて、腕を引いてソファから立ち上がらせた。
「服を脱ぎなさい」
 優しい仕種とは対照的な、容赦のない言葉に、僕は身をすくませた。
「聞こえないの?早く脱ぎなさい」
 深くソファに座ったままのユウマの冷たく滑りを帯びた目に急かされ、僕は着ていたシャツのボタンに手を掛けた。服を脱げばどんなことをされるのか、わからなかったわけじゃない。でも気付けば僕はまるで操られるようにシャツを脱ぎ捨てていた。
 ユウマが無言で、ズボンも脱ぐように顎をしゃくった。
 僕はそろそろとズボンを脱ぎ、下着と靴下だけの姿になった。恥ずかしくて心許なくて、僕は震えながら思わずその場にしゃがみ込んだ。
「どうしたの。まだ全部脱いでないよ?さあ、恐くないから、全部見せて?」
 一転、ユウマは優しい笑顔を見せ、僕の脇の下に手を差し込んで無理矢理立たせると、着ているものを全て取り去るように指示した。
 僕は半ば泣きそうになりながらも、どうしても許してもらえないとわかると、渋々ながらも靴下を、それから下着を脱ぎ、生まれたままの姿になった。
「可愛い裸。白くて、綺麗だね」
 ユウマはその美しい顔をわずかに上気させ、うっとりと僕の身体を見つめた。
 そしてユウマの白い手が伸びてきて、まだ小さな乳首をそっと摘まれる。
「やっ!」
 僕は驚きに身をすくませ、ユウマの手を押し退けようとした。
「嫌じゃないでしょう?こんなに勃ってる」
 ユウマが僕の腰に手を置き、引き寄せた。

「おいで。……濡らしてあげる」

 僕は妖しく光るユウマの瞳を見つめたまま、身を震わせた。
 僕の中に隠れていた、淡く小さな欲望が、目の前で陰靡に笑う男によって、引きずり出されようとしていた……。



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