「……?」
限界を超えた心地よい疲労の中、母の胸を枕に眠りに落ち
ようとした少女を母の一言が引き留める。
「なんて顔してるの。鳩が豆鉄砲撃たれたみたいよ」
汗で頬に張り付いた髪を母の指がつまみ取る。
「だ、だって……」
今何と言ったのか、その問を少女は口にできなかった。そ
れは突拍子もないことで、ましてや母の口から聞くとは想像
することすらできないことだったから。
「何かおかしいかしら。だって家族なんだもの。ううん、家
族になるんだから」
「……ぇ?」
何を言っているのだろうか。少女は意味が分からず、いや、
分かりたくなくて嫌々と首を振った。
「・・・はお父さんだと嫌かい?」
「いやって、な、なに言ってるの……?」
優しく少女を見守る父と母の笑顔。ついさっきまでと同じ
なのに、見守られているだけで嬉しくなる笑顔なのに、言葉
だけが知らない外国語になってしまったかのように分からな
い。
「・・・はもうちゃんとした女の子だってことだよ」
「女の子って……」
少女は女の子以外の何物でもなく、女の子の意味すること
など少女の知る限りそれ以外の意味はない。
「ちゃんと教えたでしょ。女の子は大好きな人のを受け入れ
られるって」
「うけいれ…る……」
それは、男性器が少女の中に挿入されること。
少女の大好きな異性、それは少女の父。
つまり、父と一つにつながること。
「そんなの、わたし、むり……」
一度母の中で達したのか、父のものは白濁液で濡れていた。
だがそれは衰える気配もみせず、天を突き上げるように固く
起立している。
「大丈夫よ。指だって入るんだし、ちゃんと中でいけるんだ
もの」
「でも……」
母が大丈夫と言うならそうなのかもしれない、ごく普通の
ことなら。これは普通のことではないが、それでも母への信
頼は揺るいでいなかった。少女にとって、そして多くの幼子
にとって、親とは絶大な存在であるが故に。
「そうか、父さんは・・・に嫌われてるのか」
「そ、そんなことない。お父さんのこと大好きだよ」
ふざけた感じもなく肩を落とす父の様子に、少女はあわて
て否定する。父も母も大好きで、兄と姉ももちろんのこと。
元より嫌いなものが少ない少女であるが、大がつくのもそう
多くはない。その中でも家族は一番上に位置するものだから。
「なら大丈夫だよ、心配ないって」
「お姉ちゃん?」
稽古を終えてシャワーを浴びてきたのか、バスタオルを巻
いただけの姉が部屋に入ってきた。その後ろには同じく腰に
タオルを巻いた兄が続く。
「初めてだから怖いのは分かるよ、お姉ちゃんも・・・と同
い年くらいの時だったし」
「お姉ちゃん、も?」
姉の手が少女の両頬をそっとと包む。
「うん、お姉ちゃんも怖かったよ。だけど、大好きなお父さ
んだから大丈夫だった」
「そう…なの……?」
かしげた少女の首を母の腕がふわりと抱く。
「そうよ。女の子のはじめては大切なもの。だから、大好き
な人に捧げられるのは幸せなことなの」
「やっぱり最初は泣いちゃうほど痛かったけど、でも途中か
らとても気持ち良くなって、最後は嬉し涙になってた。だっ
てお父さんにはじめてをあげられたから」
当時のことを思い出したのか、懐かしげな笑みが姉の顔に
浮かぶ。きっと大切で幸せな思い出なのだと、見上げる少女
にはよくわかった。
(…はじ…め…て……)
その手のことに疎い少女でも、そのロマンチックな響きに
は何となく幼い乙女心をくすぐられる。
「でも……こわい……」
姉が少女と同じ年の頃には、既に包帯を巻くような怪我を
ものともせず剣の稽古をしていた。今はまだまだでもいずれ
追い抜かれると兄に言われる姉に比べ、運動は全くだめで剣
よりも勉強のために市立の一貫校を選んだ少女は、けして臆
病ではなかったが痛みに対しての耐性や心構えは年相応のも
のしかない。
「あらあら、困ったわね。これは高町家の仕来りみたいなも
ので、みんなしてるのだけど」
困ったと言いつつ、あまりそうは見えない母。だが、その
言葉は昆虫標本を留める虫ピンのように少女の心へ突き刺さ
る。
「み、みん、な……?」
仕来りというのがどんな意味か、少女はもう十分に理解で
きる。
「そうだよ。だから、お姉ちゃんは恭ちゃんのはじめてをプ
レゼントしてもらったの」
「あぁ、あの時は美由希も後ろがはじめてだったな」
楽しかった旅行の思い出でも語るような兄と姉。たとえそ
れが知らないことでも、いつもなら横で聞いているだけでも
楽しいことなのに、今はその一言一言が痛みを伴って突き刺
さる。
菜の花に舞う姿のまま標本箱へ飾られた紋白蝶のように、
心に突き刺さった虫ピンが少女を封じた。
「もし……もし、やっぱりだめ、なら?」
答えを聞くのがとても恐ろしい問い。聞かずとも判ってい
る答え。それでも、わずかな可能性であっても、それだけが
少女に残された唯一の逃げ道。
「うーん……それは困ったな」
にこやかな笑顔を崩さず、ぽりぽりと頭をかく父。
「せっかく家族になれると思ったのに」
皆が少女を見ていた。
少女の手の届く位置で。
笑みを顔に張り付けたまま。
「おとうさん?」
答えはない。
「おねえちゃん? おにいちゃん?」
さっきまで話していたのに、答えはない。
「……っ、お、おかあさん!?」
最後の命綱をつかむように、母の腕にすがって。
「…………」
少し悲しげな、寂しそうな、あきらめたような、顔。
「お、おかあさん! ねぇ、おかあさんっってば!」
答えはない。
「そ、そんな……」
肌の温もりすら感じられる距離。
大声で叫んでも届くことのない距離。
少女と家族の間は遠く遠く、切れそうなほど遠く離れて。
「なんで……」
少女が拒んだから。
「どうして……」
少女が拒んだから。
(やっぱり、だめなの?)
少女が少女だから。
名前がない少女だから。
本来存在しない少女だから。
(かぞくになれないの?)
家族でないものが、なぜここにいられるのか。
人気のないがらんとした家の中。
広いテーブルに一人分だけ用意された食事。
何が放映されても誰も反応しないテレビ。
有らん限り叫んでも答えは返らず。
汚しても散らかしても叱る者はおらず。
涙を堪えて寂しく部屋を片付けて。
冷たいベッドは幼子一人には広すぎて。
泣いて泣いて泣きつかれてやっと眠りに落ちて。
家族がそろった暖かい家を夢見て。
ただただ辛かった日々。
それでも夢はいつか現実になると信じていられた。
それは、ここが家族の居場所だから。
だから、家族でない者に居場所は無い。
(や、いや、やだよ)
すぐに追い出されることはないにしても、家族としては扱
われず。
いずれどこか施設へ預けられ、この家に帰ること叶わず。
辛い日々を何とか耐え抜けたのは、いつか必ず帰ってくる
と、家族みんながそろうと信じていたから。
なのにたった一人、家族のいないところで生きていくこと
ができようか。
「まって!」
誰もそんな事は言っていない。
それは少女の思い込み。
おびえた少女の妄想。
「わたし、やる!」
だが、少女は選択した。してしまった。