少年から受け取った砂色の衣をはためかせ、少女は走る。
行かせてくれた二人の友に感謝し。離れたままの兄と己が従者の身を案じながら。
殆ど明かりのない、暗い回廊を駆けていく。
自分を産み出した、黒き魔導師の下へと向かって。
───まずいな。2,3本、いってるかもしれない。
それとは、意識せずに。
以前フェイトの様子を見になのはの家へ滞在した際、借りて読んだ漫画本の主人公と全く同じ台詞を、クロノは心の中で吐いていた。
一度読んだだけのものなのだから、覚えてないのもそれはそれで無理もないのだが。
左手で押さえた脇腹が、呼吸をするたびにズキズキと痛む。
どうも、肋骨が折れているらしかった。
「く・・・」
「まだ、やる気かしら?そろそろ、こちらとしても終わりにしたいのだけれど」
「・・・当たり前だ!!まだ!!」
「ふん・・」
「あなたの目的はわかってるんだ・・・これ以上、他人を・・・フェイトを巻き込むんじゃない!!」
「黙りなさい」
「出来もしないことにこだわるのはもうよせ!!死んだ人間は二度と・・・」
次の瞬間には、クロノの体は瓦礫の中へとつっこんでいた。
意識が一瞬遠のき、遅れて痛みが全身をかけめぐる。
「!!・・・ぁ・・・ぐ」
「黙りなさいと言っている・・・聞こえなかったの」
「ぐ・・・・?」
紅き魔力の残滓の迸しる右手を下ろすプレシア。
精一杯の力で身を起こしながらも、クロノはどこかその光景に違和感を感じる。
(何だ・・・・?何か、が・・・?)
「アリシアは必ず復活させる・・・・私はそれだけの力を手に入れた。そのために帰ってきたのだから」
「っ・・・!?」
その時、クロノは気がついた。
いつから、そこにあったのか。
プレシアの発する魔力と、同じ輝きを持ち。
彼女を護るかのように側に浮かぶ。
血のように紅い宝石の存在に。
(あれ、は・・・・?)
色と大きさは違うが、その宝石の形状は、クロノですら一瞬見間違えるほどかつてのジュエルシードとそっくりだった。
(ロストロギア・・・・?)
「・・・・本当に、暗かったわ。アリシアの身体を飲み込んでいった、あそこは」
「!!」
ジュエルシードを巡る事件。
その終焉において、彼女とその娘、アリシアの亡骸は『虚数空間』と呼ばれる暗闇へと堕ちていった。
彼女だけでも助けようと手を伸ばした、フェイトの手をとることなく。
どこまでも、どこまでも。ただ、堕ちていった。
「あの闇の中で、私はこのロストロギアと出会った」
そして、気がつけば時の庭園の残骸に、横たわっていた。
右手には紅い宝石が握られていた。
いつ、誰が、何の目的で作ったのか。何故そこにあったのかもわからない。
だが、事実として。
自分がこの宝石によって助かったということだけは確かだった。
「私は確信したわ・・・この力ならば、アリシアを蘇らせることができると」
「く・・・」
(虚数空間を破るなんて・・・あの中にそんな力が・・・!?)
だとしたら。あれが暴走しでもしたら、それこそ未曾有の大惨事が引きおこされてしまう。
「けれど・・・ひとつだけ、足りないものがあった」
「何・・・?」
それは、蘇りし精神を宿らせるべき、肉体。
ロストロギアの力を使い庭園を修復しながら、プレシアは蘇生のための実験を繰り返していった。
小さな昆虫、小鳥、実験動物。かつてアルハザードへの道を欲する以前から、術式だけは既に考案してあった。
それができなかったのは、出力の問題。常識では考えられないような魔力を必要とするその術式が不可能であったからこそ、
プレシアは別の方法、失われた都への道を望んだ。それももはやそれは昔のこと。
紅い宝石によってその問題点はクリアされ、すべての実験は成功していった。
だがいよいよアリシアの復活のための儀式を行おうという段になって、一つの問題が浮かび上がった。
それまでの実験は全て、元の肉体に復活した精神を定着させるもの。
しかしアリシアの肉体は虚数空間において失われてしまっており、その方式を使うことはできない。
「現に肉体なしの再生は、失敗だったわ。リニスは・・・あの子は、かつての記憶を『持っていなかった』」
「リニス・・・だって・・・?」
自身のかつての使い魔すら実験に投入した結果待っていたのは、またしてもの行き止まり。
そんな折思い出したのは、娘と同じ姿の、以前創った人形のことだった。
「それで・・・そんなことのためにフェイトを・・・!!」
「そうよ」
怒りと共に言葉を吐き出すクロノに対して、あくまでもプレシアの視線は冷ややかだった。
その視線がクロノから外れ、その後方へと向けられる。
「・・!?」
「・・・・聞こえたかしら?私のお人形・・・」
小さな足音が聞こえ、クロノは少し離れた、背後の真っ暗な通路を振り返る。
「・・・・フェイト・・・」
「兄さん・・・母さん・・・・」
出て行くに、行けなかったのだろう。
全て、聞いていた。
暗闇の中から歩み出てきた少女は、一目見てそうわかる、沈痛な表情をしていた。