妹の発した言葉に、クロノは我が耳を疑った。
「───私と取引をしてください、母さん」
何を、言っているんだ。
おそらくはフェイト得意の電撃をごくわずかに、神経へと打ち込まれただけだろう。
幸い、意識は残っている。しかし自由を奪われた身体は、その一言すら発することを許してはくれなかった。
「・・・どういうことかしら」
「・・・・前に言ったことと同じです。私の身体を、好きに使ってください。その代わり・・・」
「その小僧達を見逃せと?」
「はい。・・・そして、罪を償ってください。アリシアのためにも。あの子にも会ってほしいんです、私の大切な人達に」
アリシアは、もう一人の私で。私は、もう一人のアリシアだから。
私が経験したことを、彼女もする権利がある。
(バカな・・・フェイト、やめろ・・・)
そんな取引を、プレシアが受けるわけがない。
前回の戦闘でそのことは彼女自身重々認識させられたはずではないか。
「ふん────言ったはずよ。お前の身体は」
「もしも」
「・・・!!」
「もし、この取引が受け入れてもらえないなら・・・ここで、私と一緒にアリシアの元に行ってもらいます、母さん」
「!?」
「な・・・?フェ、イト・・・?」
マントの下に隠してあった右腕を、フェイトが掲げてみせる。
ゆっくりと開いた掌の上に、小さな金色の光が輝いていた。
「アースラ・・・外に待機している次元間航行艦の主砲の、発射キーです。照準はもちろん、庭園中心部。つまり」
私達のいる、ここ。発射準備は、いつでもいいように完了している。
(バカな・・・なんてことを、するんだ・・・本気か・・・)
「・・・大した冗談ね。いつの間にそんなものを身につけたのかしら?」
「冗談なんかじゃ、ありません」
思いつめた表情で、そうありながらもはっきりと、フェイトは生みの親へと言葉を向ける。
その眼に迷いはなく。けっして駆け引きや時間稼ぎのためにやっているようには見えなかった。
「・・・いいのかしら?そんなことすればそこの小僧もあの小娘も無事では済まないわよ?」
「・・・術式破壊のときに打ち込んだ魔力で、なのはの座標はわかります。もちろん、いっしょにいるユーノも」
「ちっ・・・」
「強引な方法だけど、残った魔力を全部それにまわせば3人同時にアースラへ転移させることも不可能じゃない」
「・・・」
いつの間にか、言葉の攻守は入れ替わっていて。
「私は本気です、母さん。選んで下さい、どうするか」
─────そう、私は本気だ。でなければこんなこと、しない。
アリシアを溺愛する彼女なら、選ぶ選択肢は一つのはず。
母の返答を待ちながら、フェイトは自分に言い聞かせていた。
不思議と、震えとか、恐怖はない。ただ、友や家族への、少しの後ろめたさがあった。
(・・・ごめん、すずか、アリサ。・・・なのは)
これが正しいのだ、これが一番みんなが傷つかずにいられる方法なのだ、と。
何度も心の中で反芻する。そして。
(ごめんなさい、兄さん)
自分の考えを今、ここにいる兄だけには、説明しなければならないような気がした。
(私じゃ、こんな方法しか思いつかなかったから)
こうするのが一番正しいと思った。みんながなるべく悲しまずに済む方法だと。
みんなに私は、いっぱい幸せをもらったから。大切な人達が悲しんだり、傷ついたりするのはもう嫌だ。
友達にも、家族にも、ずっと笑っていて欲しかった。
(なんで、だよ・・・だったら、なんで・・・!!お前がいなくなったら・・・!!)
(・・・うん、悲しむかもしれない)
だから、忘れてほしい。フェイトという存在がいたことを。そうすればきっと、悲しみも少なくて済む。
はじめから、フェイトなんていなかった。いたのはアリシアという一人の少女だけ。
(な・・・)
(受け入れてあげて欲しいんだ、あの子のことを)
あの子。それはまぎれもなく、もう一人のフェイト───アリシアのこと。
(私、すずかと話していて、気がついたんだ)
(すずかと・・・?)
(兄さんも、なのはも、リンディお母さんも。ユーノやアリサ、すずかだってそう。みんな私の大切な人。だけど)
それと同じくらい。
(・・・やっぱり母さんも私にとって大切な人なんだ、って。私、母さんにも笑顔になってほしい)
プレシアはフェイトにとって愛おしい人物だったから。
私がみんなからもらった喜びや笑顔と同じくらい、たくさんの幸せを、彼女にあげたい。
十分すぎるくらい私はもらったから。今度は、母さんとアリシアがもらう番だと思ったから。
(そのためには、アリシアがいないと、だめなんだ。私じゃ、駄目)
(っ・・・・・・約束、は・・・?)
(!!)
「約束はどうするんだ!!したんだろう、彼女達と!!」
念話だけでは止まらない。掠れた声を振り絞り、クロノは叫んでいた。
「!!・・・」
一瞬びくりと反応したフェイトだったが、再び無言で押し黙る。そして。
(だから・・・あのリボンを渡したんだ。帰ってきた私を・・・『アリシア』を受け入れてもらいたいから)
(!?)
「ちゃんと、約束は果たすよ。・・・もう、一人の・・・私、が」
フェイトの答え。
それは彼女自身にとって、あまりに残酷で。
クロノは自分の問うた無神経な言葉を、心底悔やんだ。
(それでも、約束を破ることになるのかもしれないけど・・・なるべく二人との約束は、果たしたいと思ったから)
アリサ達の下へ、なのはを連れてフェイトが帰っていくとき。即ちそれは、彼女がもうこの世界から消え失せてしまっている、そういうことなのだから。
たとえそれがフェイトであっても、二度と彼女が、「フェイト」が友人たちと笑いあうことはない。
約束が守られたとき、そこにいるのはフェイトの姿をした別の人間なのだから。
それでも彼女は、彼女の愛すべき者達すべてのために犠牲になる覚悟を決めている。
(だから、アリシアに全てを任せたいんだ。きっと、あの子はやさしい子だから)
生みの親に、笑っていてほしいから。そして、大切な人達にこれ以上傷ついて欲しくないから。
(私にしてくれたみたいに・・・アリシアにもやさしくしてあげてくれると、うれしいな)
「やめろ・・・そんなの、僕は、認めない・・・!!」
「兄さん」
「やめてくれ!!」
踵を返し、振り向いたフェイトは、泣いてはいなかった。
彼女を知る者皆が大好きな、暖かい微笑みを浮かべて。
「兄さんが・・・ううん、クロノが私の兄さんでいてくれて、よかった」
泣き顔で別れたくは、なかった。だから、フェイトは笑っていた。
「さよなら、クロノ」