「だからあれは不可抗力だったんだ。それに謝った、すぐにさ」
怒り肩で自分の潔白を訴えるクロノ。フェイトはそれを静かに聴いていた。
「それに被害を受けたのはこっちだ。一方的にだぞ」
しきりにこめかみを指差している。蹴りを貰った所だろうか。治癒魔法のおかげかもうその場所には痣も傷も残っていないがクロノの表情でそれがどのくらい豪いものだったか頷けた。
「首が抜けると思ったよ」
「大変だったね、クロノ」
情けない武勇伝を語り終えたクロノにフェイトは取り合えず慰めの言葉をかけた。
「ああ、フェイトもそう思うだろう? それでちゃんと謝ったのにこの仕打ちさ。不注意とはいえ僕はもう何も悪くない」
あくまで全責任は向こうにあり。腕を組んでクロノはふてる。
だけどフェイトにはそれまで査定するつもりは毛頭なかった。
「ねぇ、クロノ」
そうフェイトがこの部屋に来たのは一方的に愚痴を聞きに来たのではない。今度はこちらの番なのだ。
「このアースラで一番強いのは誰?」
「はっ? ……それは執務官として常時動ける僕だろう。常に現場の第一線にいるんだ、当然じゃないか」
予想もしない質問に一瞬気の抜けた返事をするクロノ。それでも勤めて冷静に自分の意見を口にできるところは流石に現役執務官のなせる業か。
もっともこの答えこそフェイトの狙ったものであり彼女が彼から本位を聞くための切り口でしかないのだが。
「じゃあなんでエイミィに殴られたり、蹴られたりしたの?」
「そ、それは突然だったからに決まってるだろ。不意を突かれれば誰だってこうなるさ」
「でもクロノ、私の……その着替え見たときはすぐにドア閉めたと思うけど」
その言葉でクロノの表情が一瞬固まる。実は先日よりも前にクロノはフェイトの部屋で彼女の着替えを――あられもない姿ではなくちょうど上着を脱ごうとしている所だが――これまた不可抗力とはいえ見てしまったのだが。
その時はクロノもすぐにドアを閉め先の大惨事になるようなことはなかった。瞬時の判断を誤らなかったクロノ持ち前の冷静さの賜物である。
「おへそ……見たよね」
「そ、それだけだろ……そ、それにそれとエイミィに何の関係が」
関係大有りだ。心中ではあまりに容易にクロノが自分の罠にかかっていく様に少し高揚感を感じながら次の一手をフェイトは押し込む。
「私は気にしてないからいいよ。でもジロジロ見られたエイミィはどうなんだろう?」
「あ、謝ったからいいだろ。それに誰がジロジロと……」
「じゃあ見とれてたの? じゃないとエイミィに殴られる隙がどうして出来たの?」
質問攻め。攻勢のフェイトにじりじりと追い詰められるクロノ。
思うところがあるのだろう。段々と視線もそれ、表情も固くなっている。
「男の子は別に着替えぐらいって思うかもしれないけど、女の子はすごく恥ずかしいんだよ」
言って腰掛けていたベッドから立ち上がる。自分の言いたいことは八割方言えたと思う。
「おい、待てよフェイト」
後姿を呼び止めようとするクロノ。それでもフェイトは振り向くことも返事すらもしない。
ドアが開く、その間際フェイトが口を開いた。
「もう他人じゃないから、妹として言わせて貰うけど」
クロノを見ないで、声だけで応える。
「どんなに気を許した相手でもちゃんとした言葉じゃないと気持ちは伝わらないんだよ」
いつか自分に気持ちをぶつけてくれた友達がいた。彼女のように、今度は自分がそれを他人に伝える。
フェイトの言葉にクロノはそれ以上声を出すことが出来なかった。
「みんな二人が元通りの仲になるのを待っているんだよ。だから頑張って……兄さん」
ドアが閉まる。一人残されたクロノは、心の中で渦巻く複雑な感情に戸惑いながら、誤魔化すようにベッドに倒れこんだ。
「兄さんか……」
妹に叱咤されるとはわれながら情けなくなったものだ。
確かに言われてみれば言葉は足りなかったのかもしれない。気の知れた相手だからこそ自分の気持ちは十二分に伝わっていると思った。
そっけない謝罪。思えばそれからエイミィの様子がああなったのだ。自分の行動を省みれば顔をまともに見て謝ってすらいなかった。
「あんまりだな、僕は……」
自嘲じみた笑みが浮かぶ。
でも今更どうすればいい? 正直言うとあの姿を見てしまってから自分の心に現れた些細な変化に対応しようとするので精一杯なのだ。今でもエイミィの姿を見るだけで胸の鼓動が早くなる。
これでも一応十四歳。第二次性徴やら性への目覚めやら、いろいろと例えはあるものの単刀直入にいってしまえばクロノ・ハラオウンにもエロスの女神が舞い降りた、ということ。
この間も医学書の女性についていつも間にか十二分に学習していたり、股間の高鳴りをどのように処理すべきか思案していたり。
フェイトはまだどうでもよかった。自分より年下で妹、さらには発達のない体になど欲情はしないのは当然のこと。
だが――。
「……だから思い出すな」
浮かぶ情欲の念を首を振って押し返す。
クロノにとって、いやこの時期の少年にとってエイミィの体はあまりに危険すぎた。あんなあられもない姿を披露されてはたまったものではない。
まさに異性として彼女を強く意識する執務官の出来上がりだった。
今まで抑えてきたツケ全部が思いもよらぬ形で返って来た。
「どうすりゃいいんだ」
こんな時に自慢の頭は何もいい解決案を提案しない。はなっから想定外の命題にフリーズしているようだ。重症だった。
天井を見つめながらクロノはため息をつく。そのままを眼を閉じ意識を閉じた。
こういう時はひとまず寝ればどうにかなる。楽観的ではあるがクロノにとっての精一杯の解答だった。