意識が飛んでいたことを認識できたのはなのはの悲鳴にも似た声だった。耳がつーんとしててよくは聞こえないけどそれだけはわかった。
右手の感覚はない。赤い地面に赤い腕。左手にぬるりとしたものがまとわりつき気持ち悪い。
「ユーノくん! しっかりして! ねぇ、ユーノくんってばぁ!!」
必死に僕の名前を呼ぶなのは。目には大粒の涙が生まれては流れ、また生まれている。
体が勝手に揺れるのはなのはが揺さぶっているからなのだろうか。
「よかった……大丈夫みたいだね、なのは」
「で、でもユーノくん腕が、腕が……」
「このくらいは大丈夫だから。治癒魔法でなんとか……なるよ」
改めて腕を見る。よかったついてる。肘から下、あちこち引き裂け血が噴出している以外は僕の腕だ。
左腕をあてがい治癒魔法を発動する。儚い光が腕を包んだ。止血だけでもしないといけない。まだ戦いは終わってないから。
のろまな意識がようやく体に追いついてきた。意識を失ってたのはほんの一瞬だったみたいだ。
眼前のヒュードラは今の攻撃の反動か動こうとはしていない。ただ緋色の瞳が僕達を捉えている以外は。
空間を湾曲させ魔法を引き剥がし、魔力を凝集させ攻撃に転化。一連の空間湾曲がヒュードラの仕業なら自分の周りだけ空間を捻じ曲げることは容易いだろうし、魔力を吸収する特性ならなのはのようにそれを攻撃に利用することだって可能なはずだ。
要は僕らがやったことをそのままそっくり返されただけだった。
「よくも……よくもユーノくんを…………許さないから……絶対に許さないからっ!!」
「……なのは?」
「レイジングハート!」
『Divine shooter――over』
いくつもの光弾がなのはの周りを取り囲んだ。数は全部で十七個。それは明らかになのはが制御できる数を超えていた。いやそもそもそこまでの数、生成したことすらない。
一目見てなのはが我を失っていることはわかった。ただ怒りのままに磨耗した魔力を無理やりに引き出して戦おうとしている。
「だめだ、なのは……そんなことしちゃ……」
なのは答えない。代わりにゆっくりとレイジングハートを構え直した。
これじゃ敵の思う壺だ。ディバインシューターなんかじゃヒュードラに傷を与えるはおろかさっき攻撃を誘うようなものだ。それはエサを与えることに等しい。
「ディバインッ!!」
なのはがここまで感情をあらわにしているなんて信じられなかった。どんな状況でもなのはは落ち着いていれたのに。
ここまで来たらもうなのはを止めることは出来ない。でも止めなければなのはがやられる。
だったら――!
「バス――」
「なのはっ!」
両腕に包まれる小さな体。ほとんど体当たりのような感じで僕はなのはを抱きしめた。
「は、離して! これじゃ撃てない!」
「落ち着いてなのは。僕は大丈夫だから、それにそんなことしたって倒せない」
「そんなのやってみなきゃわからない!」
「見ればわかる! こんな魔法でできっこない」
「やれるよ! わたしもレイジングハートもまだ大丈夫だもん!」
腕の中で暴れだすなのはに僕はさらに力をこめて押さえつける。身をよじるなのはに腕の傷から血が溢れ出した。さっきはそうでもなかったのに激痛が腕に走る。
いつも聞き分けのいい子だと思ってけど、流石に頑固すぎる。本当になのはなのか。
「しっかり状況を把握してなのは」
「してる! 怪我してるんだからユーノくんこそじっとしててよ!」
「なっ……?」
どこの状況を把握してるんだ。僕一人でなく周りを、大体自分のことすら省みてないだろ。
自分のバリアジャケットが血で染まっていくことすら気づいていないなのは。もう我を失っているより錯乱しているといった方が正しかった。
全くもってこんな時に。痛みと苛立ちを押し殺すのも限界だった。
なにかが、結界が破れたみたいに弾けた。手加減なしになのはの体へ力を込めた。
「ああ、もう!! いい加減にしろよっ! なのはっ!!」
痙攣でも起こしたようになのはの体が震えた。ゆっくりと体から力が抜けていく。回りに漂っていた光もそれと呼応するように霧散していった。
信じられない。そう言わんばかりの表情を浮かべてなのはが恐る恐る顔を向けた。
「あ…………ゆ、ユーノくん?」
「なのは……クロノが言ってたこと覚えてる? 魔導師たるものいかなる窮地に追い込まれても」
「……冷静を保ち好機を見極めろ。そうすれば勝機はその手の中に」
その言葉は魔法の訓練を始めて間もないころクロノがテキストと共に送りつけてきた格言。正確にはクロノの持論だけど。
「覚えているなら大丈夫だね」
言って腕を解いた。本当の所、もう力をこめているだけでも辛かった。
「わたし…………」
「謝るなら悪いけど後にして。今は相手を倒すことだけを考えて」
手でなのはを制し前へと向き直る。相変わらずヒュードラが僕たちを見下ろしていた。
さっきのような荒々しさはそこにはない。不気味なほどの沈黙をヒュードラは身に纏っていた。何かがおかしい。やるならば僕となのはがもめている間に攻撃を仕掛ければよかったものなのに。
(まさか……動かないじゃなくて動けない……?)
確かに説明はつくだろう。だけどわざわざそんな隙を作ってまで攻撃をすることはないだろう。明らかに互いの力の差を考えれば急ぎすぎる攻撃だ。そこまでして僕たちをここから排除したい理由があるのだろうか。
(聞こえる? ユーノくん、なのはさん)
(リンディさん? 終わったんですかそっちは)
(いえ、残念だけどもうしばらく時間がかかりそうなの。もう少しだけ、もう少しだけ頑張れる?)
リンディさんからの念話。どうやら向こうもうまくはいっていないらしい。
それでもヒュードラが飛び込もうとしているゲートの封印は着々と進んでいる。それさえすんでしまえばもう次元震の心配はない。
『Enemy exclusion……enemy exclusion……』
あの声が後に木霊する。ただの機械音声、だというのにそれはどこか尚早に駆られているように僕には感じられた。
もしかしたらヒュードラは……。
疑問が確信に代わる。だけどヒュードラが新たな魔力球を生成し始めたことでそれは後一歩の所で踏みとどまった。
今は無駄なことは考えられない。自分の世界となのはの世界、他の世界が懸かっているんだ。
「なのは、スターライトブレイカーもう一度撃てる?」
「後一発ならなんとか大丈夫だと思う。でもさっきのやられたら……」
不安が顔に浮かぶ。そう、さっきの攻撃をされたらひとたまりもない。
相手の結界を突き破る。それだけならスターライトブレイカーで十分だ。けど今度は勝手が違う。
歪みに耐えられるほどの魔力を集中させ、尚且つ湾曲空間を突破してもヒュードラを仕留められる位の強力なもの。
「大丈夫、考えはある」
それはなのはを元気付けるための嘘。
僕が見る限りなのはの魔法資質は放出と操作。今のなのはの技術じゃ到底無理な要求だ。
出来ないなら別の方法を探すしかない。
「僕が道を作るから、その隙に撃って」
「どうするつもりなの?」
「相手が空間を歪める前に僕が空間を歪めて魔法の通り道を作る」
「でもそんなことしたらユーノくんに……」
「ギリギリで避けるから」
勤めて明るく、気丈に振舞った。僕が出来ることはそれだけだから。
さっき教わったばかりの結界魔法。あれで空間を歪めればまだ勝機はある。
危険はある。まず魔法を制御できるかわからない。もちろん避けられるかも際どい。早く動けばヒュードラに防御する時間を与えてしまうだろうし、かといって遅ければヒュードラもろともスターライトブレイカーで木っ端微塵だ。
「なのはのこと信じてるから」
「ユーノくん……」
「行くよ、なのは」
なのはが思いとどまるより早く、半ば急かすように促す。
「うん……わかった」
少し戸惑いを見せてなのはは頷く。なのはの賛同を得たことを確認すると僕は前へと向き直る。
『No master』
無機質な声が頭の中へではなく直接耳に飛びこんできた。僕たちに待ったをかけた声の主。それはなのはの握り締めるそれ。
「どうしたの? レイジングハート」
『It is not the best.There is still a way』
レイジングハートの言葉。思いもよらない、彼女からの反論だった。
「でも、これしかないよ……」
『Unite power』
その言葉の意味すること。
「わたしがユーノくんと……?」
『Yes.Recall it』
あの日、一つの目標のために力を合わせたこと。フェイトのために僕たちが贈ったプレゼント。
夜空を飾った光の芸術。
「まさかあれを攻撃に応用する気なのか?」
『Yes』
「ユーノくんそれって」
なのはの魔力を僕の結界で押さえ込み打ち上げ花火のようにしたスターライトブレイカーの応用。壊すことしか出来なかった物に新しい役目を与えた形。
「確かにあれなら相手の結界を突破できるかもしれない、だけど……」
平和的応用編。なのはそう言っていた。
この魔法はいわばなのはの想いそのものだ。初めてなのはが人を喜ばせるためことに考えた魔法でもある。
それを攻撃に応用するなんて……。
(それじゃまるでなのはの想いを壊すことになるじゃないか……)
レイジングハートはそれを覚悟で言っているのだろうか。主を、自分達を守るために仕方なく選択した結果なのか。
「……わたしそれでも、いいよ」
「なのは……」
「このままやられちゃうの嫌だよ。わたしも、ユーノくんも、レイジングハートもみんな帰らなきゃ駄目だよ」
俯き加減になのはが呟いた。その手は微かに震えて彼女の決意がどれほどのものか感じさせた。
守るためになのはも自分を犠牲にしようとしていた。
「出来るんだよね、わたしたちに」
『All right』
「信じて……いいよね、レイジングハート」
『Of course.Because――』
彼女が翼を広げる。大きく、眩く、はためく羽が僕らの周りで舞い踊った。
きっとそれは彼女なりの背中の押し方。
『――my master and master's partner』
「……うん……うん!」
なのはの顔が輝いた。不安を浮かべていた彼女はもういない。
レイジングハートは信じている。なのはを、そして僕も。ここにいる全員、気持ちは同じなんだ。
ゆっくりとレイジングハートをヒュードラへ掲げるなのは。足元からは魔法陣が輝き始め周囲の魔力がレイジングハートへ流れ始める。
「ユーノくん、お願いがあるの」
「なのは? どうしたの」
「一緒に握って欲しいんだ、レイジングハートを」
「でも……」
流石にそれは抵抗がある。こんな血まみれの腕じゃレイジングハートを汚してしまう。
さっきだってなのはのバリアジャケットを不可効力とはいえ赤く染めてしまったのだから。
右胸からわき腹辺りまで赤く染まる様はまるでなのはが大怪我を負ったみたいで見ていてとても痛々しい。
「レイジングハートが言ってたでしょ、二人一緒に力を合わせるんだって」
「そうだけど……」
「わたし一人じゃきっと出来ないと思う。だから手伝って欲しいんだ」
言いながら両手をずらした。そこに僕が握る場所ということだろう。
促されるままに僕はなのはの傍らに立ち、それぞれの手でレイジングハートを握り締めた。
髪が触れ合い頬さえ触れ合いそうな距離になのはの顔が映る。
「もう、背中じゃないね。ユーノくんに全部守ってもらってる」
「僕には守ることしか出来ないからね」
「ううん、違うよ。ユーノくんが守ってくれるからどんなことでもぶつかっていけるの」
不意になのはの右手が僕の左手を握った。血のりで汚れることに構うことなく強く握り締める。
なのはが振り向き僕を真っ直ぐ見つめた。
「心が……すごく温かいから!」
輝く魔法陣。輝く笑顔。
見ているこっちにも元気と勇気が沸いてくる。
「……ほんと、なのはには敵わないよ」
さっきまでの臆病風に吹かれていた自分はどこへやら。もっとなのはのことを、その笑顔を守りたくなった。
迷いはない。この二人なら何だってできる。
絶対に出来る。