「はぁ…はぁ…つ、強くなったな…」
クロノが息も切れ切れに話しかける。
「そ、そんなこと、ないっ、て…」
額の汗を手の甲でぬぐいながらなのはが答えた。
どうやら勝負は引き分けのようだ。お互いの魔力は飛ぶのがやっとというところまで消費されている。
「ふぅ、まったく末恐ろしいな」
そう言いながらクロノは天井を仰ぎ見て深く息を吐いた。
――約1時間前
「ぼ、僕と戦いたいって?」
クロノは突然の申し入れに少し上ずった声をあげた。
「う…うん」
なのはは恥ずかしそうに俯きながら続けた。
「あ、あのね。これからもっと色んな事件に関わっていくだろうし、魔導師としての技術と言うかレベルを上げたいなーとか
思ってるんだけど、なかなかわたしより強い人っていなくて、それでフェイトちゃんがたまに鍛えてもらってるって聞いて
わたしもいいかなって思ったんだけど…」
もじもじしながらも結構とんでもない発言をするなのはにクロノは閉口させられた。
「だ、駄目かな?」
なのはが上目遣いで見上げながらクロノに懇願した。身長差からくる必然であり、決して狙ってやっているわけではない。
どっちにしろ効き目は抜群で、クロノの心臓は自分でカウントできるくらいまで高鳴った。
「あ、あ、ああ。べ、別にかまわない、ぞ?」
意識しなくても顔が上気しているのを感じ、せめてもの抵抗として目を合わせずに言うクロノ。
「ありがとう!!それじゃ、さっそくいこ?」
そういってクロノの手を引っ張りながらなのはは走リ出した。5歳も6歳も年下の女の子に手を引かれながら後をついていく姿は
なんとも情けなかったが、今のクロノには自分を客観的に見れるほどの思考能力はなかった。
トレーニングルームに着くと、さっそくクロノとなのははお互い向き合った。
「それじゃあ、よろしくおねがいします!」
ぺこりとお辞儀をして、なのはは胸元からレイジングハートを取り出す。
「レイジングハート、いくよ!」
『stand by ready』
レイジングハートがキラリと光り、いつもの機械的な音声が聞こえた。
「セーット、アーーップ!!!」
レイジングハートを高らかに投げ上げると、なのはは赤い光の球に包まれた。
バリアジャケットを着用するための光の球を見て、ようやくクロノの心は落ち着いてきた。
(今のなのはは僕でも勝てるかどうかわからないな…。本気で行かないと)
キッ前を見つめ、精神を集中する。
ポケットからカードを取り出し目の前に放り投げる。クルクルと回転したカードが一瞬にして黒い杖へと変わった。
「いこうか、S2U」
ぱしっと杖を掴みながらクロノが囁いた。
お互い準備が整い、杖を構えながら少しずつ空中へと上昇した。
途中、クロノがルールを説明した。
「あくまで模擬戦だからカートリッジの使用は不可。もちろんエクセリオンモードはもってのほかだ。
戦闘での致命的なバインドを受けたり、魔力が尽きた時点で終了。
まあ、フェイトから話は聞いているだろうからあとはやるだけだな」
部屋の中央の位置でぴたりと止まり、クロノがくるっと杖を一回転させて持ち直した。
「それじゃあ、スタート!!!!」
掛け声と同時に、部屋の中で青い光とピンクの光がはげしく飛び回った。
*
「お疲れ様、なのはちゃん」
ガラス張りの休憩室で休んでいる二人を見かけたエイミィがジュースを差し入れに来た。
「あ、エイミィさん。ありがとう!」
飲み物を受け取って笑顔を見せるなのは。クロノは椅子に腰掛けタオルで汗を拭いていた。
「ほら、クロノくん」
エイミィが缶を放り投げ、クロノが片手でそれをキャッチした。
「ありがとうエイミィ。そういえば、仕事の方はいいのか?」
缶をあけ、豪快に喉に流し込んだ。久しぶりにレベルの高い戦闘をしたので疲れもひとしおだった。
「あ〜、うん。前に一気に事件が重なった反動かな?今はさっぱりなにも起こってないよ」
オーバーに両手を左右に広げてエイミィが話した。
何も起こっていないというのは言い過ぎだったが、大きい事件というのは今のところ報告もなく、その結果クロノやなのは達に
暇が出ていた。といっても、クロノは事務的な仕事を生真面目にこなしていたし、なのはの本分は学生である。
さらにこんな模擬戦までして、エイミィとしては少しは休んでほしいと思っていた。
「起こっていないが、今この瞬間起ころうとしているのかもしれない。未然に防げればそれに越したことはないんだがな」
「気は抜けないってことだよね…」
クロノが苦笑し、なのはが真剣な表情で手に持っている缶を見つめた。
(まったく、この二人はほんっと真面目なんだから!)
理不尽な苛立ちのようなものがこみ上げ、考えもなしにエイミィは口走った。
「もう!二人とも模擬戦もいいけど、もっと年齢相応のこともしないと。暇があるなら二人でデートでもしてきたら?」
一瞬沈黙がおり、休憩室が静寂に包まれた。
「なななな何を言ってるんだ!暇じゃない暇じゃない暇じゃない!!」
真っ赤になって否定するクロノとは対照的になのはの目は点になっていた。
さすがに、もうすぐ成年になろうとしているクロノが惨めに見え、エイミィは助け舟を出すことにした。
「ま、冗談なんだけどね。あんまり無理してるといざって時に困ることになるよ。そんじゃね〜」
そう言って休憩室を飛び出すエイミィ。自分で撒いた種にはとことん水を与えないタイプである。
残されたクロノはどうしていいかわからず、とりあえずなにか言わないと、と思いなのはに話しかけた。
「あ、あの…えっと…ま、まったく!エイミィのやつは!!い、今のはほんとに冗談なんだから、な?」
一応確認をとると
「うん、わかってる」
笑顔とともにあっさり肯定され、それはそれで惨めになるクロノだった。
*
「う〜ん…」
黒いリボンが心なしかしおれて見え、金髪のツインテールがふわっと机に広がった。
「うわ!どうしたんだいフェイト!具合でも悪いの?」
ボリボリとおやつ代わりにドッグフードを食べていたアルフが心配そうにフェイトの顔を覗き込んできた。
「あ、うぅん、違うの。ちょっと問題がわからなくって」
そう言って起き上がりながら机に散らばったプリントを一つにまとめた。
「お!これが執務官試験ってやつの問題かい。ひゃ〜むつかしそうであたしにゃ無理だね〜」
「うん。っていうかアルフ文字書けないよね、その前に」
冷静に突っ込みつつ手元の本を開いた。ミッドチルダの魔法に関する分厚い書籍だが、これにも載ってないような
問題まで出てくるんだから驚きだ。
執務官試験を受けると決めてから数ヶ月、その難易度の高さに少々お手上げ状態だった。
学校の試験のように他者と比べるような試験ではなく、あくまで個人の能力を見てふるいにかける試験なのだから
難しくて当然と言えば当然だ。
「でもフェイト、実技ならフェイトが一番じゃないのかい?」
アルフが不思議そうに尋ねてきた。一番とか、そういうのじゃないんだけど…と言おうと思ったが先に問題点を話しておこう
と思った。
「うんとね、執務官は平均的に能力が高くて、色んな状況に対応できるようじゃないと務まらないんだ。
だから実技じゃそういうのも求められて…」
そう言いながら現執務官であり、兄でもあるクロノの顔が思い浮かんだ。あの生真面目な兄が一度落ちた試験だ。
それを超えたいと思う一方、自分じゃ無理ではないのかという気弱な考えも浮かんだ。
「あ!!わかったよ!フェイト、防御系は苦手だもんね〜ってあたしもなんだけど」
耳をピーンとはったかと思いきや、しゅんと伏せさせながらアルフが言った。
使い魔と主人の性質が似るのは当然だが、こうはっきりと突きつけられると悔しいやら情けない気持ちになった。
「はぁ、誰かに教えてもらわないと駄目かな…」
「せっかく兄妹になったんだからクロノに教えてもらえばいいんじゃないのかい?」
しっぽを振ってすり寄りながらアルフが言ったが、フェイトは首を振った。
「クロノは今も忙しいし、それに…執務官試験に受かるために執務官から教えてもらうのは、その、なんか違うかなって」
「う〜ん、あたしゃそれでもいいと思うんだけどね〜。ま、フェイトがそうしたいってんならそれでいいと思うよ。……あ!」
フェイトの太腿に頭を乗せていたアルフが再び耳をピーンと立てながら頭を上げた。
「いい先生がいるじゃあないか!うん、それがいいよ!!」
そう言ってアルフは机の上にあったフェイトの携帯を開きピポパとボタンを押し始めた。
…が結局操作方法がわからなかったので、アルフの提案を聞いたフェイトがその“先生”に電話をかけた。
「ちょっとやってみたかったんだよぉ…」
自分の想像通りにいかなかったので、ふてくされ気味に残りのドッグフードをぼりぼり食べるアルフだった。
*
「あの…よろしくお願いします」
「えと、こちらこそ…」
ここは無限書庫の前にある数ある客室の中の一室。
まるでお見合いのように向かい合って座る少年と少女。
「でも、ほんとにいいの?ユーノだって、仕事があるんでしょ?」
不安げに尋ねるフェイトにユーノは明るく答えた。
「ううん、大丈夫だよ。防御系の魔法は僕の専門分野だし、ちょうど今その研究もしてたんだ。それに…」
ユーノが真っ直ぐにフェイトを見つめた。エメラルド色の瞳が綺麗だった。
「フェイトには僕の分まで強くなってもらいたいしね」
「ユーノ…」
微笑みながら言うユーノにフェイトは何も言えなかった。
でも、ユーノが言うとおり執務官試験を通して自分が強くなると思うと、合否にとらわれずに頑張れる気がした。
「それでね、こことここをもうちょっと詳しく教えてほしいんだけど…」
「あーここはね、このアルゴリズムの方が速くて…」
こうしてユーノの授業が始まり、時間はあっという間に過ぎていった。
*
「あ、だからここはこう変換するのか…」
「うん。まあデバイスを使えばもっと効率的にできるんだけど、条件上こっちを使うしかないんだ」
ところ変わってアースラ艦内。ユーノの所用と休憩もかねて訪れたが、移動しながらも試験勉強は続いていた。
ユーノの教え方は懇切丁寧で、フェイトは昔リニスに教えてもらっていたときのことを思い出していた。
(なんかこう見るとちょっと顔も似てるような…)
ユーノの横顔を見つめていると、その視線に気づいたユーノが急に振り向いた。
「えっと、もしかして僕の顔になんかついてる?」
フェイトと顔を合わせてからかなりの時間が経ってるのに、今までずっとなにかをつけていたんだろうか…。
ユーノは顔を上気させながら頬をぬぐった。
「あの、えっと、ち、違うの。……あのね、ユーノの教え方が昔のわたしの先生に似てるなって思って」
フェイトの顔が少し暗くなったのにユーノは気づいた。
フェイトの昔と言えばプレシアと一緒に暮らしていたときだ。きっとその先生は今はいないんだろう。直感でそう思った。
「そっか。きっといい先生だったんだね。ってこれじゃあ間接的に自分を誉めてるみたいだ」
そう言いながら笑うユーノに、フェイトは暖かい優しさを感じた。
昔のことは自分の中でけじめがついているが、過去は過去として存在するわけで、やっぱり今でも触れるのには勇気がいる。
(わたし、ちゃんとできてるよね?リニス…)
感傷に浸りながら歩いていると、目の前に見知った三人がいるのに気がついた。
「あ、あれってなのはとクロノ?エイミィもいるね」
「ほんとだ」
少し離れたところにガラス張りの休憩室があり、三人が談笑しているように見える。
なのはとクロノは少し疲労しているように見えた。
せっかくだからと近づこうとするフェイトだったが、ユーノの足取りは心なしか重かった。
しばらく歩くとエイミィの声が聞こえてきた。
『もう!二人とも模擬戦もいいけど、もっと年齢相応のこともしないと。暇があるなら二人でデートでもしてきたら?』
「え!?」
フェイトが驚いて足を止め、ユーノは半歩後ろで俯いた。
「あ、あのあの、えっとね、これはたぶん…」
ユーノの顔を覗き込むように言うと、ユーノはばっと顔を勢いよく上げてまくし立てた。
「ああああのさ!ぼ、僕、先に用事済ませてくるから!だから、また今度ね!!」
言うと同時にユーノは今来た通路を逆方向に走り出した。
「あ!ユ、ユーノ!!!」
ユーノの走る足音が響き、通路に一人ぽつんとフェイトは取り残された。
(ユーノ…)
全速力で走っていくユーノの後姿を見て、なんだかとても胸が苦しくなった。
(なんだろう、この気持ち…。よくわからないけど…)
すぐにでもそばに行って慰めの言葉をかけてやりたい。そんな衝動にかられた。
「あれ?フェイトちゃん、こんなとこで何ぼーっとしてんの?あ、そだ!今なのはちゃんがね…」
休憩室から出てきたエイミィがフェイトに気づいて話しかけてきた。
「あ、あの、わたし、ちょっと用事があって!!ま、また!」
そう言ってユーノの駆けていった方向へと駆け出した。
結局その日はユーノとは会えなかった。会っても、なんて声をかけたらいいかわからなかったが。
「また今度…か」
初めて触れる新しい自分の感情に戸惑うフェイトだった。
「えっと…なんかあった?」
取り残されたエイミィは一人ごちた。
意図せぬところで撒かれた種に、自然と雨が降るのを待つばかりとなった。