第3章 3 探知 前編

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黒澤に相談しようと思っていた、繰り返しかかってきていた非通知と
公衆電話の件について、今頃思い出したからだった。

「あなたに、相談があったの」
美香は黒澤の顔を真剣に見つめてそう言った。
「俺に?……事務所での用だけじゃなかったのか?
こいつを、返しにきたってことだけじゃなく、か?」
そう言いながら、美香の胸に煌めくダイヤを指で弄ぶ。
「今、思い出したの…あなたに、探偵としての黒澤さんに相談がしたくて」
なぜ、今まで思い出しもしなかったんだろう……。
一日に起きた事柄が多すぎて、刺激が強すぎて、かき消されてしまっていた。

「探偵として?」
黒澤は、真顔になって美香に向き直った。
「イタズラ電話っていうか…非通知で、電話が何度もかかってくるの」
「いつ頃から?」
「先週のはじめから……」
それから美香は、これまでの概要を黒澤に話した。
「ふうん……なるほど」
黒澤は、聞き終えると考え込んでいる様子だった。
「どうしたらいいと思う?私……」
美香はすがるような目と口調で、黒澤に訴えた。
「身に覚えはないのか?」
「……覚え、って……」
「嫌がらせされたりするような覚えだよ。おまえが振ったりした男とか
喧嘩したとか、そんなことは思い当たらないか?」
美香は頭の中で、これまでの恋人関係や、友人関係を思い浮かべてみた。

「……特に、思い当たることなんて……」
「おまえはそうでも、向こうにとってはそうじゃないのかもしれないぜ。
ちょっとした言動を悪意に受け取ったり、曲解する人間なんてごまんといる。
傷つけるつもりもなく言った、ふとした一言が相手に意外な精神的ダメージを与えてる
かも、ってことさ」
そんなことを黒澤に言われると、不安感が増してきてしまう。
それでは、自分の電話番号を知っている、あらゆる人たちに疑いの目を向けてしまい
そうになる。
「……もっとも、この場合はちょっとつっこんで調査しないと、まだ今はなんとも言えないな」
「こんなケース……実際に相談されたこと、ありますか?」
「電話ストーカー、って奴だな。あるさ、この手の話は多いもんだ。
犯人が恋人を奪われた女からだったり、悪徳興信所を使って調べた変態ストーカー
だったりな……まあ、多種多様だよ。ひとくちに言えない」
黒澤の言う悪徳興信所、という言葉に意外な響きを感じた。
自分からそう言うには、少なくとも自分自身はそうではない、という自負する意識に
よるのだろうか。
そして彼が仕事上の知識に関して饒舌に語るのを、これまた美香は意外な思いで
聞いていた。

彼女の困り果てたような顔を見て、黒澤は笑って美香の頭を撫でた。
「不安なのか?……気持ちはわかるけど、そんな顔するな。なんなら、俺が明日にでも
調べてやるよ」
「本当……?」
美香は顔を上に向けて、黒澤の顔を正面から見つめた。
「ああ。もしかして、盗聴でもされてるかも知れないしな。探知してやるよ」
「お願いしてもいい?……怖いの。今、黒澤さんに言われたこと……
考えてるだけで、怖くなってきちゃった……」
美香は自分で自分を抱きしめるようにして、ぶるっと身体を震わせた。
「いいよ。……名刺を渡した時に、言っただろう?困った時には何でも言ってくれって」
黒澤は、また明るい笑顔になって美香にそう言った。

あんなに激しくされたあとで、またこんな風に優しくされる。
この話題を美香がふらなくても、そうされていたのだろうか?
本当に、なんて……この男は、女を操ることに長けているんだろう。
「シャワーでも、浴びて来いよ。疲れただろう」
「……身体が、ふらつくの。お願い、一緒に……来て。怖い……」
美香は、自分から大胆にシャワーに誘ってしまった。
不安感が強くなり、この男に素直に頼ってしまいたい気持ちだった。
すがりついてしまいたい。
強く、抱きしめていて欲しい。
この漠然とした不快な気持ちと恐怖感に、胸が締め付けられるような気がする。

「わかったよ。抱いていってやろうか」
美香を最初にシャワーに入れた時のように、身体を軽々と横抱きにして運び入れる。
美香を湯船の縁に座らせると、黒澤はボディーソープを
手で泡立てて彼女の身体に塗りつけた。
「くすぐったい……」
美香は脇腹のあたりを手で撫でられて、思わずくすっと笑ってしまった。
「ようやく、笑ったな」
黒澤も笑いながら、美香を見ている。
「俺と一緒にいても、笑わないだろう。距離がある。……もっとも、あんな
レイプまがいのことしてきた男に対して……当たり前だな」
彼は自嘲気味にそう呟いた。

「ねえ………」
美香は思いきって、今まで聞きたかったことを尋ねようとした。
「……あの日、私にいやらしいことしてきたのは……どうして?
私が無防備になるのを狙ってたの?……私のこと、尾行してたの?」
「前にな……何回か、おまえのこと見かけたんだよ」
やっぱり……と、美香はなんだか胸がすうっと冷たくなっていくような感覚に襲われた。

「はじめに見たのは、3ヶ月くらい前だったか……。
おまえ、ずっと電車の中で泣いてただろ。うつむいて、涙こぼして。
新宿で乗ってきてから、吉祥寺まで…ずっと、そうして泣いてたな」

美香は、息を飲んだ。
それは、恋人と別れたとき。
座席の片隅で、一人きりでずっと顔を伏せて泣いていた……。
悲しさがこらえきれなくて、声を殺してただ涙を流していた。
まさかそれを、黒澤に見られていたなんて。

「その時のことが妙に印象に残ってて、なぜかよく覚えてるんだよ。
しばらくして、またおまえを見かけたんだ。車両をあまり変えて乗らないだろう。
三回くらい、夜に見かけたことがあった。
でも……尾行したりはしてないぜ。あの夜は……たまたま、
おまえの近くに乗り合わせたんだ。眠ってるのを見て……」
「眠ってた時に、私が抵抗できないのを承知で触ってきたんでしょう?」
美香の声に多少の棘が混じる。
「悪かったと思ってるよ。…脅したりもしたな」
黒澤は目を伏せて美香の非難を避けるようにうつむいた。

「ほんとうに、悪かったなんて思ってるの?」
「おまえは、Mの雰囲気を醸し出してるんだよ」
黒澤は急にそう言った。
「なに……なに、言ってるの!」
突然話題を変えられたことに怒りもあって、美香は狼狽した。
「触れなば落ちん、って感じで…隙があって、どこか危なっかしいんだ。
俺とのこと以外にも、危ない目にも遭ってるんじゃないか?」

美香はぐうの音も出なかった。
ほんとうに、黒澤に出会う以前に…痴漢に感じさせられて、
きっぱりと拒むこともできずに危うく犯されかけていた。
「いやな目に遭っても、拒否しきれないところがあるだろう。
そういうタイプ、時々いるんだよ。それで、俺のような男に目をつけられる」
「私が、悪いっていうの……?」
美香は黒澤をきっと見据えながら弱々しくそう言った。
「そう言ってるんじゃない。もっと毅然としなくちゃ駄目だ。
……俺が言えることじゃないな。……何を言ってるんだろうな……」

ふう、と深く大きな溜息をついて黒澤は黙り込んだ。
まるで恋人同士の喧嘩のような雰囲気になっていた。
「今度、護身術でも教えてやるよ。まったく、危なっかしくて見てられん」
「狼が、赤頭巾に狼の倒し方を教えるかしら?」
美香は精一杯の皮肉を込めて言ってやった。
黒澤は一瞬目を見張ると、美香の拗ねたような表情を見つめた。
「……ほんとに、時々……なかなか言うな、おまえ。
頭の回転がいいんだな。驚かされるよ」
「自称、優良探偵さんには負けるわ」
くっくっ、と黒澤はおかしそうな笑いをこらえきれない様子だった。

「自分で悪徳行為を働いてる、なんて言わないものよね。
今までに、何人私みたいな女を手込めにしてきたのかしら?」
そこで、黒澤は声をあげて笑った。
「手込め、って……おまえ、幾つなんだよ。俺は時代劇の悪代官かよ」
ははは、と大きく笑い声をあげて笑う彼に、
美香はそんなに笑われるようなことを言ったのかと不思議だった。

「おまえ、引き出しが多いな……さっきまで泣きそうになってた女とは思えないぜ。
ベッドでのたうち回ってたマゾ女とも違う」
黒澤は美香の身体を抱き寄せると、そっと彼女に頬を寄せた。
「本気になっちまいそうだ……」
小さく、そう呟く。

…………え?
いま……なんて?
 
「出よう……もう、寝るぞ。明日、またゆっくりしよう」
美香の身体を抱きかかえて、脱衣所に出る。
身体を拭ってもらうと、黒澤がシャツパジャマを持って来た。
「これ、着ろよ。大分大きいかもしれないけどな」
水色の爽やかなストライプ模様の、パジャマの上下。
黒澤は、Tシャツとぴったりしたズボンのタイプのものを着ている。
「客用のだけど、これ使えよ」
と未使用の歯ブラシを渡される。
わざわざ客用の、と言うけれど……女のために用意してあったんじゃないかと
気持ちが騒ぐ。

「お客さんが泊まるなんてこと、あるの?」
「たまにな……大学の友達とかな。八巻も時々泊まるくらいか」
大学、というのにちょっと驚いた。
この人が大学生をやっていたなんて、想像がつかない。
「どんな学生だったの?」
「真面目だったよ。ごくごく真面目な。授業にもちゃんと出てたし、
悪い遊びもまったくやらなかった」
美香は懐疑的な目で彼を見ていた。
「疑ってるな?……ほんとだぞ。今の俺とは結びつかないか」

美香は素直にうなずいた。
「まあいいさ。昔のことだからな」
そう言う彼の表情に、一瞬暗い影が差したように見えたのは気のせいか。

美香は歯磨きを終えると、黒澤の寝ているベッドに入り込んだ。
美香が洗面所にいる間に、汗に濡れたシーツは取り替えられていた。
彼が、美香の乳房に触れてくる。
「や……」
その手を押しのけようとするが、耳元で優しく「触るだけだよ」と言われる。
お互いに抱きしめ合うような形になる。
暖かい広い胸、がっしりとした腕に包まれていると…さっきまでの怯えが嘘のように
安心する。
美香もいつしか眠気がさしていった……


どれくらい眠っていたのか……
部屋の中が、薄明るくなっているのがわかる。
美香は、まだ重い瞼をようやく開けてみた。
部屋の中に、薄日が差し込んでいるのが見える。
遮光カーテンをも突き通す、冬の朝の眩しい光。
ベッド近くの時計を見ると、もう朝の8時を過ぎていた。
まだ、黒澤は美香の隣で寝息を立てている。

この人は、鼾をかかない人なんだ、と美香は少し驚いた。
美香の兄も、父も、そしてつきあっていた恋人達も、
程度の差こそあっても鼾をかくし、特に父と兄はひどい。
美香は眠っている彼の顔を見つめる。
まさか昨日は、ここでこんなことになるだなんて、夢にも思っていなかった。

……昨晩一夜が、長い夢の中での出来事のようにも思える。
優しく抱かれたあとでの、拘束され、言葉で嬲られながらの激しいセックス。
昨日は、あのまま抱かれ続けていたら、
いくらなんでも気が狂ってしまいそうなほどの高ぶりを感じていた。
黒澤の激情と、それに応えてしまう自分自身の貪欲な性への欲求にそら恐ろしくなる
ほど……。
美香はそっとベッドを下りると、大きなパジャマのズボンを脱ぐと顔を洗って歯を磨く。

キッチンの方へ向かうと、静かに冷蔵庫の中身を見てみる。
案の定、生鮮食料品は少なかった。
生野菜の類も少なく、かわりに冷凍庫の中に冷凍野菜が多く入っている。
ここら辺は、美香も同様なものでもあった。
たぶん、ほとんど自炊をしていないと思われるいやに片づいた調理台。
あれだけの肉体を維持するのに、どうやって食事を摂っているのだろう。
やっぱり外食が多いのだろうか。
美香は自分自身ではあまり頻繁に食事は作らない。
せいぜい友達が遊びに来たり、泊まりにくる時くらいは作るけれどそれ以外の時には、
自分の食べたいと思ったものを衝動的に作るくらいだった。
相手がいれば、やっぱり作ってあげたいと思うんだろうか。
押しつけがましいと、思われないだろうか。
でも……

美香は、恋人の部屋で朝を迎えたら、朝食を作ってあげて、
それを目覚まし代わりにして相手が起きる…そんな願望を持っていた。
今までの相手には、それはできなかった。でも今、黒澤に対してそんな思いを抱いている。
思い切って、このまま作ってみることに決める。
冷凍のほうれん草とコーンを解凍させて、バターでさっと炒める。
卵を溶いて、オムレツもどきにしてみる。
手早くそれらを片づけていくと、部屋の中にも芳香が漂っていくのがわかる。
まもなく、彼が起きてくるのがわかった。
美香がキッチンにいるのを見て、驚いた様子を見せる。
「ああ…悪いな、そんなことまでしてくれたのか」
なんとなく照れたように頭を掻きながら言う。
「何もなかっただろう。時々しか自分では作らないからな」
「ごめんなさい…勝手に入るの、悪いなって思ってたんだけど。
なんだかしたくなっちゃったの。…自炊、あまりしないの?」
美香もなんだか気恥ずかしくて、黒澤の顔を正面から見られない。
「自分ですごく食いたい、と思ったものしか作らないな。それ以外は外食ってことが
多い」
それを聞いて、やっぱり……と美香は思った。
冷凍してあった食パンを持って「パンは何枚焼くの?」と訊く。
「ああ、じゃ二枚頼む」
そう言うと、彼はシャワーを浴びに行った。
まもなく戻ってきた彼と、カウンターキッチンの高いスツールに座って隣り合って
朝食をとる。
なんだかこんなことまでしてしまったのが、今になって気恥ずかしい。
男の部屋で夜明かしするのが慣れているみたいに思われたら、いやだ。

黒澤は、食事のスピードが速い。それでいて、ちゃんときれいに食べる。
美香も食事の仕方は遅いけれど、彼はその倍以上の早さで平らげる。
「食べるの、早いのね……もう終わりなの?」
美香はあっけにとられてそう言った。
「あ?ああ……やっぱり早いか。職業柄、習性みたいなもんだな。
味わってるみたいに見えないって言われるよ」
それを聞くと、美香は胸に小さな棘が刺さったような感触を覚えた。
こうして、女性に手料理を作ってもらって、早食いを指摘されたんだろうか。
この人の年齢からいって、そんな経験なんてあって当たり前なんだろうけど。
「うまかったよ。ありがとう……。こんなふうな食事は、ほんとに久しぶりだった。
……陳腐なセリフだけど、いい嫁さんになれるよ」
美香の肩を抱いて、笑顔でそう言ってくれる。
「新聞、取ってくる。そのままにしといてくれ」
「いえ、片づけて洗っておきます。私が勝手にやったことなんだし……」
食器を手早く流しに入れて、さっさと洗い始める。
「悪いな……」

まるで、同棲を始めたばかりのカップルみたい。
なぜか美香はそう思うと、照れくささと嬉しさを感じてしまう。
黒澤が新聞を手にして、テレビのニュースを見る。数紙の新聞を持っているのに
美香は驚いた。
「いつも、そんなにたくさん読んでるんですか?」
「ああ。比較して読むと面白いんだ。新聞によってまったく事件の取り扱いや論調が
違ったりしてな。
Aは大きく扱ったと思うと、Bは完全無視とか。内容も批判的、好意的、中立と立場が
違うと見方も違う。」
そういえば、学生時代に政治経済や現代社会の教師が似たようなことを言っていたのを
思い出した。
確かにそうかもしれない。

美香は軽くシャワーを浴びて歯磨きし、服を着替えようと思った。
寝室に行き、昨日着ていた服と化粧道具を持って洗面所に戻る。
ワンピースを着て、ガーターではなく普通の黒ストッキングに履き替える。
化粧も昨夜よりは抑えめに、でもいつもの美香よりは気持ち濃いめにする。
そういえば薔薇のイヤリングをしていたのに、いつのまにか外れてしまっていた。
軽く首筋にトワレを吹きかけ、髪をかきあげる。

背後に気配を感じて振り向くと、いつのまにかシャツとスラックスに着替えた黒澤が
戸口に立っていた。
「いやだ……見てたんですか?!」
黒澤はにやにやと笑って美香の狼狽ぶりを見ていた。
「全部じゃないけどな」
美香は彼の脇をすり抜けていこうとするが、当然黒澤に立ち塞がれる。
「待てよ。……キスだけしようぜ。朝のご挨拶、してなかっただろう」
「ほんとに……キスだけ?」
「ああ。ほんとだ」
美香の身体を抱きしめると、黒澤が唇を重ねてくる。
最初は軽く、何度も唇を合わせるだけ。
それを繰り返すと、まるでほんとうの恋人同士のような錯覚に陥ってしまう。
そして唇をこじ開けられ、男の舌が美香の口内に押し入ってくる。
優しく滑らかな動きが、彼女の感じやすい部分…歯茎の裏、上顎のあたりを幾度も
往復する。
美香の舌を黒澤のそれが捉えて、逃げないようにと絡みつくように執拗に擦りあわ
される。
「ん……」
美香の口から、鼻に抜けるような甘い声が漏れる。
こんな風にされると、自分から彼の肩にしがみつくようにしてもたれかかる。
いつもこうして、キスだけで濡らされてしまう。
腰を洗面台に押しつけていなければ、もう立っていられなくなりそうだった。

美香のワンピースの裾に、黒澤の手がかかる。
慌ててその手を押さえようとしても、強引に裾布を捲り上げられてしまう。
唇を外されると、美香は息を弾ませて黒澤を軽く睨んだ。
「いや……。キスだけ、って言ったのに……」
「はき替えたんだな。昨日着けていたのと違うじゃないか」
美香は自分が今、きっと赤面していると思った。
「俺とするのを予想して、着替えを用意してたんだな?おまえは、濡れすぎるくらいに
濡れるからな……」
替えた総柄のプリントレースのショーツの股間に、確かめるように指が伸びる。
「いやっ……」
「入れないぜ。キスだけ、って約束だ。ここにも、キスだけしてやるよ」
そう言って、黒澤は美香の足元に座り込む。
「ほら……足を開けよ」
美香の足首を持って、左右に開かせるように仕向ける。
朝の光が満ちている中で、淫靡な行為が行われようとしていた。
敏感な内ももに唇をつけると、強く吸い付けられる。
「あっ……」
痛みを感じるくらいにされて、美香は下を向いた。
「ほら。キスマークだ」
「……いや……」

下肢から、異様なほどの熱気と高ぶりが立ちのぼってくるのを美香は感じた。
「この前つけたのも、おっぱいや首のは消えてても、
このへんのはまだ薄く残ってるぜ。柔らかい所だからな」
そう言うと、反対側の太ももまで、同じように強く吸われる。
そしてショーツのクロッチ部分に口をつけられてしまう。
「あ、あっ……」
たまらずに、美香は高い声をあげてしまう。舌先だけで、そこを執拗に舐められる。
男の唇と舌の熱さと吐息、ぬめぬめとした蠢きが美香の秘所を疼かせる。
朝からこんなふうに、求められるなんて思ってもみなかった。
感じているのも、既に向こうに知られているだろう。
黒澤の手が、美香のショーツを下ろしていった。
すぐに、その濡れた部分に舌が分け入ってくる。
クリトリス周辺を数回舐められただけで、美香は大きく喘いだ。
背後の洗面台の縁に手をかけて、自分の体を支えていなければ、
足元から崩れ落ちていってしまいそうだった。
「い……や……。……あ、ああん……」

口先だけでいやだと言っても、それは男の気持ちを煽り立てるものでしかない。
彼女の秘部は貪欲に快楽を追うために、男の愛撫に応えていく。
昨日のセックスの数々だけで、身も心も黒澤に支配され、惑乱されきっているのに。
気が狂いそうなほどの快感が、美香をセックスのことだけしか
考えられないような淫らな女に変えていこうとする。
そうならないでいられるのは、時折優しさを垣間見せる黒澤の素顔を見ているせい
だった。
「い……き、そう……。あ、ああ……」
美香はすぐに迫ってきた絶頂感を、黒澤に伝えた。
彼はそれに答えず、かわりに舌先の動きが激しくなる。
また昨夜と似たように、立ったまま、いかされる。

「あっ……あ!ああ、あ……ああ〜〜んっ…………」
美香は上体を大きく弓なりにのけぞらせて、昇りつめていった。
彼女の身体が洗面台に入ってしまわないように、黒澤の手が支える。
艶めかしい半開きの唇に、また情熱的なキスが与えられる。

達したばかりで無防備な美香の股間に、指がぬるりと入り込んできた。
「あっ……」
濡れきっているそこは、簡単に男の指を受け容れてしまう。
「さあ、これでもキスだけでいいのか?」
からかうように言いながら、指で内部をゆっくりとかき回される。
愛液で濡れた指を美香の内ももになすりつけると、黒澤はジッパーに手をかけて
下ろしていった。
「こいつにも、お返しにキスしてくれるか?」
そそり立つものを手で示すと、美香の太ももの間に擦りつけてくる。
「あっ……。あ!」
美香は髪を振り乱して、首を振った。
「しゃぶるか?朝っぱらから……」

……そうしても、いい。
一度こうしてイかせてもらったなら、次にこうされても拒みきれない。
美香は黒澤の腰のあたりに顔がくるように、ひざまずいた。
スラックスのジッパーを開けて、そそり立つものの先を、唇に含む。
もうそこは、先走りの液で濡れ光っていた。
ためらいがちにそこに舌を這わせ、ねっとりと舐めて味わう。
こんな淫らな行為をしている自分の乳房を、自分で触ってしまいたい。
彼に、触ってもらいたい。でも、言えない……。
「ああ……」
黒澤の、感じている声がたまらない刺激になる。
気持ちよくさせてあげたい。今は私が、この人の快感をコントロールしている。
セックスに関してはものすごいほどのテクニシャンのこの人が、
私のフェラチオに声をあげるほど感じてくれている。
そんな淫猥な行為に没頭していることに酔いながら、美香は自然と
膣の奥深くが疼き、ひくつき、愛液を溢れさせていくのを感じた。
さすがに朝から口の中に精液を出されるのには抵抗があった。
それでも、彼が望むのなら……。
美香がそんなことを考えている時に、黒澤が自分から腰を引いた。
彼女は思わず深い溜息をつく。

スラックスのポケットから、コンドームを取り出して装着させる彼を視線の隅で捉え
ながら、美香は入れやすいように自分からストッキングを脱いだ。
黒のレースのショーツも脱いで、片足にひっかけておく。
はじめから、美香の身支度が整うのを待っていて、敢えてここで抱こうとしていた
のか……。
「ほら。そこに手を突けよ」
美香は洗面台の縁に手をかけ、黒澤に向かって尻を突き出す形になった。
通常のバックと違って、立ったままでのバックの場合、上半身を前に倒して腰を相当に
持ち上げないといけない。
身長180センチの長身の黒澤と、158センチの美香との身長差を考えても、腰を高く
しないとうまく彼を迎え入れられない。

熱いものが、美香の濡れたはざまに当てられた。
すぐには入れないで、上下に擦りつけられる。
「ああ…………」
美香の唇から、艶めかしいせつない声が漏れる。
腰を引き寄せられて、先端がゆっくりと入ってくる。
「あっ……。ああ〜〜…………」
刺激的な体位をとらされ、洗面所兼脱衣所の狭い室内で背後から犯される。
刺し貫いてくる黒澤の怒張の太さが、固さが美香の感じるGスポットをつついて、こする……
そのあまりにも快美な感覚に、美香は自ら身体を揺らして応じた。
「んっ……。あっ。あっ……。あ……。はあ……」
気持ち、いい……。
「…こうして立ってると、きついくらいに締まるな……。
こんなに、ぐちょぐちょになるほど濡らしてるのに。くわえ込んで、離れないぜ……」
彼の右手が、美香のクリトリスにそっと触れる。
「ああっ!あんっ!」
悲鳴に近いほどの高い声をあげて、美香は締め付けてしまう。
「……凄い。また、今ので締まってくる……。奥も、締め付けられる。
……おまえは、ほんとに具合がいいな……。そのうえ、マゾだ。最高の女だよ……」
掠れた声で美香を誉める黒澤も、快感が切迫しているのがわかる。

少しずつ、男根の抽送が早まってくる。
そのたびに美香も甘い声をあげてよがり、腰を動かした。
「あっ……あん!ああ……ああ、いい!凄い。凄い、あなたの……」
美香の奥深くに突き刺さるものの充実感で、膣内がいっぱいに埋めつくされている。
素直に、そのことを口にしようとしている。
「凄いの……いっぱいになってる。ああ……熱い。あ、お願い……もっと……」
淫らなうわごとを口走ってしまう。
「これはどうだ?ほら……ほら!」
黒澤が、一層素早く出し入れを始めた。
膣から出そうになるぎりぎりまで引き戻し、そして深奥まで深く貫く。

「ああっ……あ、あんっ!ああ!ああ、凄い……。ああ……」
膣内全体が男根を包み込むようにして感じようとしている。
もっと深く快感を追おうとして、内部が痺れるようになってきている。
意図的に締めなくとも、黒澤に突かれるたびに
彼の熱いものを捉えて奥へと吸い寄せるようにしてしまう。

「……あ……もう……だめ。いき……そう……」
美香は上半身を突っ伏すようにして、頂点が近づくのを告げる。
「そうか……そんなにいいのか。じゃあ、イかせてやるよ。
ほら…イけ!後ろから犯されてるのが、気持ちいいのか!感じるのか!」
黒澤も息を荒くして、激しく言葉と同時に責め立てる。
Gスポットに何度も当たったその瞬間に、美香は声も出せずに達していった。
快感のあまりに息がつまりそうになる。大きな快楽の波涛がどっと過ぎていったあとに、
遅れて溜息が出る。
「……あ……。ああ………」
膣内が蠕動を繰り返しているその時に、黒澤も声を放った。
「……ああ……イクぞ。出すぞ、美香……。ああっ……」
こらえきれないといった上調子の声が、快感の大きさを示している。
解き放たれた黒澤の欲望が、美香の中で大きく弾けていく。
その衝動が、またしても美香に細波を呼んでいく。
美香は完全に上半身を前に倒し、洗面台の縁に突いている自分の両腕に預けていた。
そうでもしていないと、倒れ込んでしまいそうになる。
内部を満たしていた怒張が引き抜かれ、その感触に美香は喘いだ。
彼は呼吸を乱している美香の顔を横に向けさせると、軽くキスをしてくる。
そのまま美香は床にへたりこんでしまう。

「また、腰が立たなくなっちまったのか?」
黒澤は呆然としている美香の様子を見下ろして嘲った。
「お嬢さんには、朝から刺激が強すぎたかな。こんな場所だし、余計に興奮してたん
だろう?」
まだ彼は、サディスティックな言葉でのいたぶりをやめようとしない。
美香はどれも否定できない。
冬の陽光の眩しさが、隣接するバスルームの窓から満ちている。
昼日中から、こんな所で、こんなことを……。
身支度も終わったばかりだというのに、またこんなに乱れさせられた。
このまま、この男の部屋に軟禁されていたら……
もしも、こんな風に繰り返し抱かれていったら……。
自分がどうなってしまうのか、自我が崩壊してしまうような恐怖感が美香を戦かせた。
快楽の強さのあまりに、呆けたようになっている美香の背後から黒澤が出ていった。

そこで、やっと我に返る。
またしても、下半身だけで、立ってバックからいかされてしまった。
さしずめ、昨夜の再現のようなセックスとでもいうのだろうか。
幾度繰り返し、抱かれたのか…何度イったのか、美香にももうよくわからなくなって
しまった。
立ち上がり、もう一度身支度を済ませようとした。
軽くシャワーを浴びると、タオルを使う。
昨夜から何度もシャワーを浴びているので、幾つもタオルを使ってしまっている。
気になって、それを全部洗濯機に入れて洗うことにする。
美香が帰ったあとで、これらを黒澤が始末するのを想像すると、なんとも彼にはそぐわ
なさすぎる。
そういった日常の家事や雑事が、あの男には似合わない。
乾燥機もついているので、終わり次第ここに入れてしまえばいい。
洗濯の最中に、髪を乾かし、落ちた髪の毛を拾い集める。
また念入りに化粧をし直し、これからの外出に備える。

「何をしてるんだ?」
黒澤の声がする。
あまり長いこと美香が出てこないので、気になって様子を見に来たらしい。
「大丈夫か?気分悪くなったりしてないか?……入るぞ」
さっきは無遠慮にしていたくせに、今になって断ってからドアを開ける。
「あ……もう一度、シャワー浴びてたの」
洗濯機が動いているのを見て、黒澤は驚いた様子だった。
「洗濯まで、してくれたのか……」
「ごめんなさい……勝手にいじっちゃって。だって……気になっちゃって」
「いいよ。よく気がつくんだな。美香、長女だろう。違うか?」
「……どうしてわかるの?……調べてあったの?」
美香は目をぱちくりさせて彼に訊いた。
「調べたというか、おまえから訊いたことを裏付けたのは、
あくまでもおまえの個人情報だけだよ。家族のことは調べてない」
美香は黒澤の目を見ていると、多分それが本当なんだろうと思えた。
「世話焼くのが性分なんだろう。年の離れた妹か弟がいるだろう」
「……4歳下の弟と、3つ上の兄がいるけど……」
「やっぱりな。そうだろうと思ったよ。兄貴がいるのは、俺と同じだな」
「お兄さんが、いるの?次男?」
なんだか、この男とこんな身内の話をしているなんて、不思議な感じだった。
「ああ、気楽な次男坊だよ。あっちは海外で活躍中、俺はこっちで好き勝手やらせて
もらってる」
彼はそこで言葉を切ると、その話を続けたくないのか下を向いてしまう。
「あとは俺がやるから、美香はあっちで休んでろよ。また疲れさせちまったな」
「でも……」
「いいから。まだ出かけるには間がある。盗聴探知は夜しよう。その方が、おまえも
近所に変な邪推されなくて済むだろう」
邪推……男を引っ張り込んでる、とか……そういったことだろうか。
どうせ近所づきあいもろくにないから、別にかまわないんだけど。

「疲れただろうから、横になってろよ。夜から本格的に動くからな」
にっと、意味ありげな笑いを浮かべて美香の顔を見る。
それは探偵としての仕事ぶりを指して言うのだろうけど、
セックスのことを暗示しているようにも受け取れる言葉と表情だった。

美香は暫くベッドに横になった。
いろいろありすぎて、疲れてしまった……。
なのにまだ、これから先にも胸を暗くする原因を探らなくてはならない。
でも黒澤に協力してもらえるのなら、それが最上の手段だと思う。
なによりも、彼の仕事ぶりの一端を間近で窺える絶好のチャンスといえる。
自称・優良探偵の、お手並み拝見というところだ……。

うとうとと浅く眠っているうちに、隣に気配を感じた。
目を開くと、黒澤が美香に寄り添うようにしている。
美香の唇を塞ぐと、優しく幾度もキスを繰り返す。
愛おしむように、美香の艶やかな黒髪を撫でてくれる。
美香は黒澤の首に腕を回して、自分から彼の懐に入り込む。
まだ夢心地で、身体がふわふわと頼りなく浮いているような気分だった。
とてもいい夢を見ているような気がしてくる。
美香の首筋に、男の唇が這う。
ネッキングを繰り返しながら、やわやわと乳房を揉みしだきにくる。
「い……や……」
まだ眠気が残っているけれど、懸命に両手で黒澤の胸を押しのける。

もう、セックスはいや……。
これ以上されたら、どうにかなってしまう。
壊されてしまう。心も、そして身体も……。

「目が覚めたか?」
黒澤は、美香の顔を見つめて笑った。
「今ので、覚めたわ……」
美香は気だるげに髪をかき上げて身を起こした。
再びキスされると、また美香は黒澤から逃れようとした。
「もう、やめて……!これ以上されたら、おかしくなっちゃう……」
「今はもう、しないよ。“今は”な……」

どこまで、この人は底知れない欲望を持っているんだろう。
30歳で、一晩に3回も4回も女を抱くことができるなんて。
それに、ただ入れて射精するだけのことじゃない。
じっくりと時間をかけて感じさせられたあげくの、濃密すぎるセックスを繰り返される。
脱出不可能な、迷宮にひきずり込まれてしまった気がする。
もう、この男を知る前の自分には、戻れない……。
彼に攻められる快楽を知ってしまった今は、以前までのような
おとなしい性行為で満足できるとは、自分でも思えない。

黒澤は美香から離れると、クローゼットを開けて着替え始めた。
「新宿にでも行こうか。食事して、着替えを買ってやるよ。昨日からずっとその格好の
ままだろ」
言いながら、手早くネクタイを結ぶ。
「今日……お仕事の方はいいんですか?」
「ああ、さっき八巻に電話しといたからな。俺は今日、美香の専従だ」
そう言うと、書斎らしきたたずまいの部屋に入る。

事務所の私室のような部屋と体裁は似ているが、
壁面を埋め尽くすような圧倒的な書物の数に美香は面食らった。
壁一面が書棚で覆われ、そこに様々なジャンルの本がある。
心理学、社会学、生物学や多数の警察関係、法律関係の書籍。
大小の六法全書があるところを見ると、学部は法学部だろうと推察できる。
相当な読書家の書棚の片隅に、いわゆるハードボイルド系小説もあるのはご愛敬と
いったところか。
美香がテレビや小説で見たような、「探偵7つ道具」らしきものが入っている黒い
トランクを手にする。
本当に、こういう道具を使うんだ……。
美香はまじまじと、それらと黒澤の顔を見比べた。
「使うときに見せてやるからな」
それから彼は紺色のダブルスーツに着替えた。
思わず美香も見惚れてしまうほどの男っぷりのよさで、すっきりと着こなす。
「行こう。下に車を停めてあるから、それで移動だ」
美香を外へ出るよう促し、二人で彼の部屋を後にする。

エレベーターを下りると、マンションの地下駐車場に降り立つ。
彼がどんな車に乗っているのか、とても興味がある……。
黒澤は美香の肩を抱くと、さまざまな高級車が居並ぶ場内を早足で歩く。
美香は車には詳しくないが、その車のフロントを見ただけですぐにわかった。
濃紺の、スポーティタイプのボルボ。
安全設計と快適性を重視していることくらいは、いくら美香でも知っている。
「意外に堅実だろう?」
美香の顔を見て黒澤は言った。
「もっと派手な車だと思ってたんじゃないか?」
左ハンドルなので、美香は右側の助手席に乗らなければならないことに気づいて、戸惑う。
「免許は持ってるのか?」
エンジンをかけると、黒澤は訊いてくる。
「いえ…持ってません。私の他は、父や、兄と弟が持ってるから。
私は、取ることないって言われて…」
「まあ、都内じゃさほど必要ないからな。…もしかして、運転に不安があるからか?」
「……そういうことです」
美香は図星を突かれて、肩をすくめて見せた。
ははは、と黒澤は笑った。

マンションを出て、新宿へ走り出す。
黒澤の運転はスムーズで、もっと荒れた運転をするのかと
思いきや安全運転のお手本のように上手い。
見かけは大人しそうでも、運転は途端に荒くなる男は割にいる。
友達の彼氏などに乗せてもらうと、何人かに一人は荒っぽい運転の男に当たる。
30年来のゴールド免許を持っている、自分の父親に勝るほどの運転技術に美香は
感心した。
「運転、上手なんですね……びっくりしたわ」
「町中を走るのは好きなんだよ。こいつは図体がでかいから、細い道とかは苦労する
けどな。仕事柄あちこち走ってるから、ナビもそれほど頼らない」
週末の高速にしてはあまり混雑していない。
中央自動車道を通り、初台で下りる。
新宿の大手デパートの駐車場へ向かい、まずは食事をすることになった。
時間は午後1時半、やや遅い昼食時だった。
話し合った結果、今度は和食の店に入る。二人とも鰻を頼んだ後、暫く雑談をする。

「凄い数の本だったから、びっくりしちゃった。読書家なんですね」
「俺は乱読派だよ。なんでも興味を持った本は読んでみる。
手許に置いておきたいタイプだからな、置き場所に困ってるんだ」
「どうして探偵になろうと思ったんですか?やっぱり探偵小説とかに憧れて?」
美香はこのことを訊いてみたかった。
「小林少年か?……ジュブナイルから成人向けの文庫本見たら、落差にがっかりしたよ。
あっちには明智しか出ないからな。言っておくけど、明智探偵に憧れてた訳じゃないぞ」
声をひそめて、美香に囁く。
「町中で、あまり俺が探偵だなんてこと言うなよ。壁に耳あり、だ」
「……はい」
「怒った訳じゃない。二人きりでいる場所ならいいけどな」
「ところで、普通はどのくらいの料金がかかるんですか?」
「……見つかれば、10万単位になるところが多いな。うちは7万に設定してる。
部屋が広ければ広いほど高くするところが多い」
「そんなに……」
美香は愕然とした。
「ピンキリだよ。簡易な探知作業だけなら一万もいかない所とか……
あとはもう、個々の業者のモラルに拠るしかない」
現実問題として、金銭のことを言われると痛い。
美香は決して無駄遣いをするタイプではないが、まさかそんな高額な調査だとは思わ
なかった。
「料金のことなら、気にするな。個人的なもので、依頼されたわけじゃない。
俺が自分から買って出たことだからな。プライベートなことで、金は取らない」
「取らないって……そんな。そんなわけには……」
さすがに躊躇している美香の言葉を遮る。
「昨日から、もう充分尽くしてもらったからな。
どうしても、っていうなら……身体で返してくれてもいいんだぜ」
にやにやと笑いながら、美香に好色な視線を向ける。
黒澤が、何を考えているのかが手に取るようにわかる。
服の上から美香を視姦して、さらに裸に剥いているのに違いない。
その視線の意味を察すると、顔から火が出るような思いがする。

「それじゃ、ここは私が……」
美香はそう言うと、会計書を持って行こうとした。
「ばか。女に払わせるなんて真似ができるか」
黒澤は美香の手からそれを取ると、レジに向かっていった。
結局、ここも彼に支払ってもらうことになった。
「すみません…ごちそうさまでした」
黒澤は美香の頭に手を置いて言った。
「すみません、よりもありがとう、の方が気分いいだろ。謝るようなことじゃないときに、
無闇にすみませんて言うなよ。便利な言葉だけどな」
美香はそんなことを言う黒澤の言葉にはっとした。
そういえば、いつも気がつくと「すみません」と言っている気がする……
「ありがとう」
素直にそう言ってみる。
「どういたしまして」
笑って寄り添う二人は、仲のいい恋人同士そのものだった。

それから美香は、黒澤に言われた通りに服を買いに行くことにした。
確かに着衣のままセックスしていたこともあって、着替えたい気持ちもある。
これも黒澤が支払うと言ってくれたけれど、「そこまで甘えられない」と美香は断った。
妙に生真面目なところがある美香を、これ以上押すわけには
いかないと思ったのか、黒澤もそれ以上は言わなかった。
美香の好きな可愛いめの、それでいて清楚な雰囲気の服装を選ぶ。
それに合わせるため、下着も白いものを新調する。
ちょうどお気に入りのブランドランジェリーがバーゲンセール中だった。
自然と、セクシーなものを手にとってしまう。

黒澤は、休憩所で座って待ってもらっている。
どんな下着が好きなんだろう……。
透けてたりするようなのを喜んでいたから、その手のものが好きなのか。
美香はレースを使っているものをまとめて数点買った。
お揃いのブラもスリップも、ピンク色と白のものを買う。
白の下着をその場で着替え、ストッキングも肌色に替える。
目をつけておいた白のセーターと淡いオレンジのタイトスカートを買い、
それらに着替える。

そうこうしているうちに3・40分は経ったか……
美香は小走りで黒澤のいる場所へ戻った。
「ごめんなさい……待たせちゃって」
コートは手に抱えて、美香のがらりと変わった服装を見つめる。
「ああ…さっきまでのもよかったけど、こういう方が似合うな。
いかにも清楚なお嬢さん、って感じだな」
髪も後ろで、リボンバレッタで留めている。
清純ぶっていると言われることもあるけれど、美香はやっぱりこういう
格好の方がしっくりくる。

「そういう方が、乱れさせるとまた、いいんだよ」
笑いながら耳元で小さく言われる。
「もう……。なんでもそっちに結びつけないで!」
さすがに呆れて、美香は手を振り上げる真似をした。

ほんとの恋人同士のデートみたい……。
こんな風に、買い物に男性につきあってもらうのも久しぶりだった。
恋人とは、ホテルで睦み合うことばかりが多かった。
それでもそれなりの濃さがあったと思ったが、黒澤とのセックスと比較すると
子供じみた稚拙さでしかない。

どうしてこんなにも、身体は忘れっぽいんだろう。
以前の男性経験など霞の向こうに追いやられてしまったようだ。
今はもう、この男との行為しか感じられない。
いつも思い出すのも、黒澤の巧みすぎるテクニックだった。
身体を重ねているうちに、いつしか心までも奪われていく。

ときおり黒澤に言われる言葉が胸に深く突き刺さる。
さっきの、なにげない話……すみませんより、ありがとうという話にも
美香の過去の男性にはない含蓄と知性を感じさせる。
そして、セックスで激しく責め立てる時以外に見せる優しさ。
磁力に吸い寄せられるかのように、美香は彼に惹きつけられていく。
ちょうど、S極にN極が向かっていくかのように……

黒澤と書店に寄っていき、見たい本を探す。
美香も読書好きでもあるから、黒澤と本の話をしていて退屈しない。
彼は意外に饒舌で話し上手だとも思った。
結局彼は海外ミステリーを数冊買っていき、美香は好きな画家の本を買った。
黒澤は、オメガの腕時計を見た。



第三章 3 中編へ

第三章 2 後編へ

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