第3章 6 復讐 3
| そんな責めから逃れて、彼は身を起こしてしまう。 なんだ、と思う間もなく彼はソファに深く腰掛けた。 「ここでしろよ」 暗にフェラチオを要求していることに気づいて、それでもあえて美香は とぼけてみせる。 「なにを?」 黒澤は美香の顔をぐっと腰に引き寄せて、唇に触れるギリギリまでに させる。 それが彼女のマゾ的な愉悦を呼ぶ。 「決まってるだろう。しゃぶるんだよ」 薄暗がりの中で、美香のワンピースのボタンを外し、ブラをずらして乳首を こすられる。 「あん…………」 両方の乳房を、力を入れないようにそっと揉まれていく。 「俺の膝に乗れ」 向かい合って、抱きつくような形で美香は黒澤に従った。 乳房を彼の舌が舐めてくる。 「ほんとに、大きくなってるな」 声にかすかに笑いがまじっている。 「ああ……あ、あんっ!」 美香の股間に、黒澤の膨隆したものが下からつついてくる。 半分剥き出しにされてしまった乳房が、彼の顔のあたりに位置するように 座らされ、舌と唇での執拗な愛撫が続いていく。 普段から敏感な乳首が、こんな刺激的な責めのせいでいっそう感じていく。 ショーツを下にずらされ、濡れまくっているところを指が探る。 ぴちゃぴちゃと、卑猥な音がしていく……。 「あ……あ……」 たまらない……。 もう、して欲しくなってきている。 「脱がせろ」 美香の秘所をまさぐる手を抜いて、彼女に命じる。 言われた通りにズボンと下着を脱がせていき、感じて脱力感が襲ってきて いるので、彼の膝の間に座り込んでしまった。 「口で、抜いてもらおうか」 抜く……ということは。 口内射精を意味しているのは、すぐにわかった。 これで一回射精させて、次には可愛がってもらいたい。 「返事は?」 黙っている美香に返答を促してくる。 「はい……」 素直に命令に従って奉仕して、彼を歓ばせて……もちろん、そのあとに疼く 部分を鎮めてもらいたい。 唇にそのものを当てて、感触を楽しんだあとに先端からゆっくりと唇に含む。 もう、興奮のためか先走りの液体が垂れているのがわかる。 それを丁寧に舐め取り、根元から舌を上に向けて移動させる。 「ん……」 美香の顔を、押さえつけるようにされる。 「もっと、奥まで…しゃぶれ」 そう言わせるつもりで、わざと焦らしていた。 口にはなかなか奥まで入れずに、男根の表面の部分だけを舐めていた。 根元までを、ゆっくり唇に含んで顔を上下させる。 強く吸いながら、同時に陰嚢の部分を手で刺激する。 こうされると彼が弱いのも、もうわかっている……。 「あ……。ああ……」 耐えられない快楽の声が、黒澤の唇を突いて出る。 そんな声を聞かされると、美香も濡れていく。 それでいて、黒澤に快感をもたらす行為にますます熱を入れる。 「イクぞ……。ああ、もうすぐ……イク」 幾分声が高くなり、うわずっているのがわかる。 「飲ませて……。飲んであげる、みんな。飲ませて、あなたの……」 唇を離すと、そう言ってみせる。 これも、絶頂が近づく彼への焦らしの一つを兼ねている。 激しく亀頭の近くのくびれを吸い続けると、彼が呻いて美香の頭を 腰に押さえつける。 「ん……んっ!」 熱いものが、どっと堰を切ったように溢れ出てくる。 勢いよく注ぎ込まれ、口蓋に当たる感触のあとに美香はそのまま飲み下す。 下を向いて口唇愛撫に熱中しているせいか、なんだか鼻がつまってしまった 時のように、味とか匂いとかがあまり伝わってこない。 それはおそらく興奮のせいでもある。 もう一度飲みきれない精液を飲み干して、しばらくしてようやく鼻に匂いが 抜けていく感覚が戻る。 でも、黒澤のものは不快ではない。 苦みが感じられても、年齢に似合わず濃厚な感じがするのも、美香の 刺激になりこそすれ、嫌ではなかった。 むしろ、こんなに積極的に飲んでみたい、と思わせるのはこの男だけだと 思える。 最後まで、きれいに舌で残りを始末するまで離れない。 そうしてあげたいから。 こんなことまでしてあげている、淫らな自分に酔えるから。 ひとつ溜息をついて、美香は顔を上げる。 「飲んだな」 美香の奉仕に満足したのか、黒澤は彼女の顔を撫でる。 「どんな味なんだ?」 訊かれて、美香は戸惑う。 「どんなって……一口に言えないわ。苦いような感じがする……でも」 「でも?」 「あなたのは……いやじゃない」 「じゃ、俺以外の男のはどうだったんだ?」 美香にしては思い切った発言をしたつもりなのに、それでも黒澤にとっては 不満足な言葉だったのか、さらに質問を続ける。 「いやだった……そう、言えばいいの?」 なぜか挑発的な言葉を言いたくなる。 「自分から、しゃぶってやってたのか?」 「この前、別れた彼とはね」 暗めな中で、黒澤の表情がはっきりと読みとれないのが残念だった。 彼の嫉妬心を煽り立てて、激しいセックスに導こうとする意図がありありと 美香の言葉の端に出ている。 「…………」 黙って美香の身体を抱き上げると、ソファの上に身体を放り出すようにする。 「座って、脚を開け」 そう言う彼の声が低くなっている。 ソファの背もたれに身体を預けて、言われる通りに脚を開いてみせる。 「自分で脱げ。脱いだら、そこをいじってみろ」 黒澤の目の前で、ピンク色のショーツをゆっくりと押し下げていく。 左足の太ももにそのままひっかけておき、恥ずかしさをこらえて濡れている 部分に手を伸ばす。 「自分でして見せろ。オナニーしろ。イクまでやれ」 突き放すような声の中に、欲望が隠せない。 「ひどい……」 美香の甘えるような声にも、淫らな期待がこもっている。 「男のちんぽしゃぶって濡らすような女には、それくらいできるだろう」 「したら……抱いて。あなたのが、欲しい……」 美香の言葉にも、黒澤は無言のままだった。 挿入を、セックスを求めるかわりに、その前にオナニーさせられる。 淫靡な刺激が、美香の身体の奥を燃え上がらせる。 ブラの上に手を這わせ、右手で濡れそぼる部分を探りながら、美香は喘いだ。 「はぁ……ん……」 簡単に、イってしまいそうなほど…もう充分に感じてしまっている。 「ん……」 唇を舐めて、ソファのすぐ側で見ている黒澤の方へ顔を向ける。 クリトリスを指でこすり、そのまま膣口に浅く入れる。 そうしただけで、もう愛液がどっと溢れていってしまう。 濡れている感触が、さらに強い快感を呼び、美香はすぐにも達しそうに なってしまう。 「ああ……あ、イク……ああ……イっちゃう……。あ…………!」 ほんの2・3分ほどで、絶頂に導かれていく。 美香が身体をのけぞらせて喘ぎ、ビクッ、と身体をひきつらせながら 達していくのを、黒澤は食い入るように見ていた。 「あ…………」 潤む瞳を彼の方に向けると、唇が塞がれた。 さっき、彼の精液を飲んだばかりの口に舌が入り込む。 美香は、さほど精飲に抵抗はないけれど… その後の女性の口にキスができるなんて、自分が男ならきっとできないと 思う。 こんないやらしいことをしている、と思うと彼の唇からわざと逃れようと 首を振る。 離れる美香の身体を押さえつけ、仰向けに寝かせる。 口許に、勃起しかけているものを押しつける。 「しゃぶって、固くさせろ」 黒澤の命令に従って、唇にそのものを収める。 美香が技巧を使うまでもなく、彼の方から上下に動いてくる。 フェラチオからイラマチオの形に変わって暫くすると、太さと固さが増して いくのがわかる。 「もう、いい……離せ」 そう言って唇を責めるのをやめる。 「ほら。四つん這いになって手を突け」 美香の腰の下に手を入れて、強引に彼女をうつぶせにさせる。 言われた通りにソファの座面に手を突いて彼を待つ。 でも、すぐには来ない。 黒澤が背後にいる気配は感じるのに、抱きかかえようとしない。 もう、濡れすぎるくらいになっているのに…… 焦燥感でいっぱいになってしまう。 沈黙したまま、1分や2分以上の時が過ぎる。 「ねえ…………」 美香は無言のまま流れる時間に耐えきれず、自分から口を開いた。 「お願い……もう、来て……」 「来てって、どこに?」 嘲るような調子で黒澤はうそぶく。 「いやぁ……入れて。ねえ、もう……だめなの……」 美香の声音にも、明らかに焦りが感じられる。 突き込んで欲しい…… 腰を抱きしめて、離さないで欲しい。 黒澤は、美香の顔を後ろに向かせて肩越しに唇を重ねた。 そうしながら、ゆっくりと熱いものを狭間に押し進める。 「あ…………」 声が出てしまう。 やがて、彼が美香の内部に完全に埋め尽くしてから動きが加わる。 「あっ……あ……。あ……ああ…………」 恍惚としながら、彼の突きに応じて身体を揺する。 「いいか?」 尋ねる彼の声も、わずかに弾んでいるような気がする。 「いい……。ああ、いい……」 ずらされたブラジャーからのぞく美香の乳房を揉みしだかれる。 「どこがいいんだ?」 「あ……そ、こ…………」 快感のあまりに言葉もとぎれがちな美香に、執拗に彼は責めを加える。 「どこが感じる。言ってみろよ」 乳首を指で擦りながら、さらに残る片手でクリトリス付近を指でくすぐる ようにされる。 「あ……あん!あそこ……。あなたのが、ああ……いいの……」 そうされると、美香はたまらず黒澤のものを締め付けてしまう。 意図的にそうすることで彼を感じさせてやれるし、同時に美香も膣内に 収まっているものをいっそう深く吸い寄せて、感触を楽しむ。 「痛いくらいに、締まってる……そんなに、いいのか……」 少しずつ、黒澤の蠢きが早まってくる。 さっきまで秘所をいじっていた右手の指を、美香の口許になすりつける。 「ほら、しゃぶれ。フェラチオするみたいにしろ」 美香は喘ぎながら、男の指を男根に見立てて唇に含む。 腰の奥から、甘いうずきが突き上げてくる…… 「あ……もう、だめ……。ああ……イキそう……」 ほとんど吐息だけの艶めかしい声をあげてしまう。 上半身を持ち上げて支えていることもできなくて、かろうじて肘をソファに 乗せているだけだった。 快楽のあまりに脱力しそうな尻は、黒澤の力強い腕で持ち上げられている。 「あ……。あ、あっ……ああイクっ……!あ、イっちゃう……!」 美香の荒くなっている息が一瞬詰まるようにして止まり、次いで大きく 溜息を吐く。 美香の絶頂時の締めつけに合わせて、彼もまた昇りつめていく。 「イクぞ……美香。俺も……。ああ……」 黒澤は、耐えていたものを美香の中に注ぎ込んだ。 内部の脈動がそのまま伝わってきて、彼女は身体中の力が腰を通して 頭の先から脱けていくような気がした……。 暗闇に近い中で、ベッドではなくソファで……バックからのセックス。 たまらない刺激に、美香はそのまま床に崩れ落ちてしまう。 身体がだるくて、起きあがれない。 このまま、眠りについてしまいたい……。 後始末を終えた黒澤が、美香の身体を横抱きにする。 軽く唇にキスをされると、彼の首に腕を回した。 そのままベッドに運ばれて、身体を横たえられる。 「身体、動くか?」 問いかける彼に「だめ……」と答える。 「少し、このまま……休ませて。凄くって……ああ……」 疲労感とともに、眠気も同時に襲ってくる。 美香は目を閉じると、まもなく眠りの世界に引き込まれていった…… それから、何時間が過ぎたのか。 重い瞼を開くと、既に照明の消えた部屋は薄明の中にあった。 夜明け過ぎの頃だとわかり、眠い目をこする。 隣には黒澤が、規則正しい寝息を立てている。 逞しい彼の身体のぬくもりに包まれていると安心できる。 美香の中に確かにある庇護されたい欲求を、彼は満たしてくれる。 理屈ではなく、守られたい……不安な時にはすがりつきたい。 身体を抱きしめあって、お互いの存在を確かめたい。 性行為の最中でも、相手を感じさせて満足させてあげたいと思う。 自分はこの男に心を奪われている。 最初は、いやがる美香を快楽でねじ伏せて肉体を奪ったこの男。 それでも、あまりに巧みなやり方に美香は抵抗もままならなかった。 あのとき、恋人と決別した日から…… 既に黒澤の手のうちにいたようなものだったことを知らされた。 泣いている美香に彼はどれほど心を動かされたのか。 そういえば女を泣かせて感じる、ということもベッドで聞かされたような記憶があった。 激しい行為の最中で、よく覚えてはいなかったけど。 セックスの中では、ほんとうにサディストだと畏れを抱くほど責められる こともあった。 かと思うと優しく、甘い言葉を囁かれたりすると美香はとろけそうに されてしまう。 おそらくその両面を、矛盾しながら抱えているのが黒澤という男 なのだろう。 形よく引き結ばれた唇を見ていると、キスを仕掛けたい衝動にかられる。 そっと近づき、唇を合わせると下から抱き寄せられてしまう。 まだ眠いらしく、美香の肩を撫でただけでそのまま眠り続ける。 枕元の時計を見ると、朝の6時過ぎになっている。 いつも黒澤は遅くとも7時半頃には起きるから、まだ眠らせておいて あげたい。 小鳥の鳴き声が窓の外で交わされ、朝が始まる。 平穏そのもの、といった雰囲気がしんと静まった部屋の中に漂っている。 自分がこの部屋にいるのがとても不思議なような。 でも黒澤の隣で眠っているのが至極自然のような、静かな気持ちになる。 ブラをずらされたままでいたのに気づいて直すけれど、締め付けられた せいか胸がなんとなく苦しい。 そっとベッドを下りると、音で黒澤を起こさないように気をつけながら 昨夜浴び損ねたシャワーで身体を洗う。 おそるおそる裸の身体を点検すると、あの忌まわしい痣は大分薄く なってはいたが、まだ少し痕になって残っている。 でも、あと二日くらいすれば消えてしまいそうに思える。 早く、消えてほしい。 そして黒澤と愛し合いたい。 その時には、彼に新しいキスマークをつけてもらう。 この身も心も、黒澤のものだという証拠を刻み込んでほしい。 髪と身体を念入りに洗い、シャワーを終えるとそのまま身支度にとりかかる。 ドライヤーで髪を乾かし終えてスイッチを切ると、話し声が聞こえる。 黒澤が起きたのか、と洗面所のドアを開けて居間の方を見る。 寝室でベッドに座った黒澤が、携帯で話をしているのがわかる。 「そうか。じゃ、わかった。あとでそっちに行く」 そう言って通話を切ると、美香の視線に気づく。 「おはよう。早いんだな」 「黒澤さんこそ……起こしたくなかったのに、起きたの?」 「家の電話にじゃなく、携帯に電話がかかってきたんだよ。おまえの ところに泊まってるとでも思われたのかな」 にっと笑って、美香の表情を確かめるように見る。 「あとで、俺の知り合いの所に行く。面白いものが手に入ったらしいぞ」 一緒に行くか、とも言われないので美香が自分から訊く。 「……私は、いない方がいいの?」 「おまえにこそ、見せてやりたいよ。ただ、驚くだろうな」 それでも黒澤は深刻そうな顔ではなく、笑っているところを見るとますます 興味が湧いてくる。 黒澤が着替えて洗面とひげ剃りをしている間に、美香は朝食の支度をする。 もう、職場は欠勤することを決めている。 こんな状態で行ける訳もない。 美香が罠に陥った場所が、よりにもよって彼女の職場だった衝撃は あまりに大きかった。 落ち着かない気分で朝食を摂り、片付けをして8時半頃になるのを待って 画材店に欠勤の電話を入れる。 何も知らない先輩の女性が出て、美香の体調を心配してくれた。 あとで船村が美香の様子を見て家に送ったという虚偽の話を聞いた 瞬間、腹腔が燃えるような感覚が訪れた。 今日欠勤したら、またあの男が何か行動を起こす気がする。 でも…… 黒澤は電話を切った美香の肩に手を置き、軽く口づける。 スーツに着替えた彼に抱き寄せられると、少し落ち着く。 「そろそろ、行こう。待たせる訳にはいかない人だからな」 車に乗り込み、新宿方面に向かって走らせる。 「そんなに大事な人なの?」 「ああ。俺の先輩に当たる人なんだよ」 「先輩……なの?」 意外な答えに、美香は少し驚いた。 「あっちこそ、いかがわしい探偵ってイメージがはまるけどな。驚くなよ」 「どんな人なの?」 美香は興味をそそられて質問する。 「俺より身体はでかいよ。いかついタイプ……まあ、レスラーみたいな感じというかな。 睨みをきかせるには効果的だろう」 どういった人種なのかが、その説明でなんとなくわかるような気がする。 暫くして新宿に着き、そのまま雑踏の中を抜けて猥雑な細い通りへと 進んでいく。 歓楽街の外れ、風俗店などの建ち並ぶ界隈に目的地はあった。 美香などは行ったこともない、こんな機会でもなければ縁もないだろうと 思う場所でもあった。 本能的に、なにか身体の芯がざわめいて落ち着かない不安な気持ちに なっていく。 まだ朝の10時前だから、当然そんな店は閉まっているけれど。 ゴミゴミした雑居ビルの並ぶテナントの一角に、目指す場所はあった。 看板に小さく「武田シークレットリサーチ」と書かれている。 黒澤の事務所と違って、こちらこそお世辞にも綺麗とは言えない。 比較的近くの、管理人がいるコイン駐車場に車を停めて歩く。 美香の身体を抱き寄せて歩くと、早速口笛で冷やかされる。 ボッタクリ飲み屋や、風俗店の並びに相応しくない容姿のこのカップルが 物珍しいせいか。 いかにも飲んだくれの労務者風の男に、黒澤は鋭い視線を走らせると その男はブツブツ言いながら足早に離れて行った。 睨みがきく、といえばこの男もそうだと美香は思った……。 その小さなビルにはエレベーターなんていうものはついていないので、 狭い階段を上っていって三階に辿り着く。 インターホンを押すと「はい」という太い声が返ってきた。 「武田さん。黒澤です」 「おお、黒澤か。入れよ」 鍵を内側から開ける音がして、扉が開いた。 「お久しぶりです。済みません、突然に」 「いいんだよ。たまにはこんなこともあってもいいさ」 美香は敬語を使い、居住まいを正している黒澤に驚き、彼を見つめる。 導かれて中へ入ると、古びた感じの簡易な応接セットがあった。 武田と黒澤に呼ばれているのは、身長は黒澤と同じくらいの男だった。 説明された通り、スーツを着てはいても身体の厚みでパンパンに なっているのがわかる偉丈夫だった。 四角張った顔には口髭と顎髭を蓄え、いかにも豪快そうな気質の印象を 受ける。 年は40近くに見えるけれど、これで案外と若いのかもしれない。 「そちらの彼女が、噂の?」 「はい。僕の恋人です」 かしこまった言い方で、しかも僕、などと言う黒澤の真面目な顔を 見上げる。 「はじめまして……朝倉美香と言います」 「武田です。よろしく」 ゴツゴツとした無骨な浅黒い手で名刺を渡される。 「それで、武田さん。例の写真は?」 「ああ、これだよ。なかなか面白いだろ」 机の上の袋から、その写真らしきものを取り出して黒澤に渡す。 一目見た瞬間、彼は鼻で笑った。 「これが、その診断書だ。意地汚い医者でな、こっちの足元見て ふっかけてきやがった。まったく、もとはドブさらいのくせに変わり身が 早いだけあってがめついのなんの」 黒澤は、それには答えずにその紙と写真を見比べて笑いを浮かべて いる。 いかにもおかしそうに、こらえきれないといった様子だった。 二人の男の会話を、不思議そうに美香は見つめていた。 入り込んではいけない……そんな気がする。 「すみませんね、武田さん。このことが片づいたら、きちんとお礼はしますよ」 「無理すんなよ。おまえ、あっちの方からは手を引いたんだろ? 彼女もいることだしな」 武田のいかつい顔が、黒澤を見て心配げに歪む。 「今回だけは……僕のこの手で、カタをつけないと気が済まないんですよ。 彼女の仇、ですから」 「そうか……」 武田は太い溜息をつくと、立ち上がった。 「助かりました。これがあれば、先へ進める」 「事が終わったら、報告入れろよ。後始末はこっちに任せろ」 「ええ。面倒なことになったら、お願いします」 黒澤は片頬に薄く笑みを刻みながら茶封筒を手にした。 「馬鹿。面倒事になる前に、だよ」 美香の方に視線を移して武田は言った。 「美香さん、こいつ一見落ち着いて見えるけど、時々跳ねっ返りますから。呆れるかも 知れないけど、見捨てないでやってくださいよ」 「もう、いい加減落ち着きましたよ。武田さんも、相変わらず見かけによらず心配性 なんですね」 「俺みたいな一匹狼と違って、おまえは先があるんだからよ。無茶すんなよ、ほんとに」 「大丈夫です。腕は落ちてませんから」 不敵な笑みを浮かべると、手を差し出して握手をする。 書類を受け取ったあとは、早々にそこを引き上げた。 黒澤の事務所に電話を入れて、待機している八巻にこのことを伝える。 「ねえ、黒澤さん…あの武田さんていう人、どういう先輩なの?」 「ああ、大学の部活の先輩だよ。職種の畑は少し違うけどな」 「そういえば、部活って何?」 「なんだと思う?当ててみろよ」 「……レスリング?……えっと、ウエイトリフティング……とか、そういうの?」 首をかしげながら答える美香を、薄笑いで見つめている。 「そんなようなものだよ」 美香の推理を笑ってかわし、黒澤は事務所へと車を走らせていく。 「狡い……いつもいつも、誤魔化すんだから。私には答えたくないの?」 彼女は憤慨した様子で彼にそう言った。 「ああ。答えたくないね」 あっさりとそう言われてしまったことに、美香は動揺して息を呑む。 ショックを隠しきれずに押し黙る彼女に黒澤は重ねる。 「すべて、このことが終わったら話す。それじゃ不満か?」 不満じゃないわけがない。 知りたい……いつも肝心なところではぐらかされてばかりいる。 でも、さっきの美香を撥ねつけるように言われてしまったことを、無理に 聞き出せる理由もない。 「……いいわ。終わったら、話してくれるのね?」 そう言わざるをえない。 「ああ。約束する」 淡々としている黒澤の秀麗な横顔に、美香は焦れったいような、なんともいえない すっきりしない気分になる。 そうこうしているうちに、馴染んだ彼の事務所へ着いた。 既に八巻がいて、黒澤の持っているものを待ちかまえている。 「所長、見つかったんですか?」 「ああ、大収穫だ。さすがに武田さんの情報収集は凄いよ」 また、二人の男達の会話を美香が傍から眺める形になる。 まず八巻が黒澤の手から書類を受け取る。 手にした途端、八巻が頓狂な声をあげた。 「へええ……」 「面白い見物だろう?よくもここまでやれたよ。恐れ入った」 美香の興味深げな視線に気づき、八巻が気をきかせた。 「所長……これ、美香さんには?」 「まだ見せてない。美香、見たいか?」 決まってる、と言い返したいのをこらえて彼女は言った。 「見たいわ。見てもいいの?」 「……いいんですか?所長……きっとすごく驚きますよ……」 意味深に声をひそめる八巻の仕草が、ますます美香の好奇心を煽る。 「いいさ。無様なサマを見て、せいぜい笑ってやれよ、美香」 写真らしきものと、診断書と言われていた紙を手渡される。 そこに書かれていたことと写真は、美香を驚かせた。 医者の診断書というか、カルテのコピーだった。 そこには船村の名前が書かれ、今のにやけた色男面が写真として貼付されている。 そして別の写真には、カルテbニ合致した番号を振られた男が何枚かに分けて 写されている。 けれど、それは確かに船村のカルテbニ同じなのに、まるっきり違う人物にしか 見えない。 よくよくカルテを見ると、別紙には顔の各部に細かい書き込みがされている。 切開、だとか骨を削る、だとかが何カ所にも記されている。 それに別人かと思われた写真には、輪郭がぶよついている陰険そうな 眼差しをした醜悪な男が映っていて、これが本名なのか「舟村誠」と 書かれている。 ということは……。 あの優男ぶりも、雑誌にも紹介されるほどのマスクはすべて虚飾の 産物だったのだ。 醜く姑息な素顔を、整形で仕立て上げていただけにすぎなかった。 自分を犯したあの男の正体が、こんな形でわかるとは……。 美香は呆然として、なんと答えたらいいのかわからなかった。 「驚いただろう。俺も驚いたよ。こういった整形してるらしいって情報は 土曜には入ってたんだ。まったく、たいしたものだろう。最新の医療技術 ってものは」 腕組みしながら美香を見下ろす黒澤が、彼女に近づく。 「あの写真のことと交換に、まずここから攻めていく。……それにしても タレントならまだしも、整形してツラを売り物にしようとはな。そのツラに ひっかかった馬鹿女どもも、おそらく山ほどいるんだろうよ」 もともとの容姿に恵まれている黒澤なら、労せずに女をたらしこむ ことも充分に可能だろう。 美香は、とっさにそんな場違いなことを考えてしまう自分に呆れた。 「その馬鹿女に飽きたのか、目をつけたのがおまえってことか。 なびかなかったのが、よほどご不満だったと見えるな。裸の王様は」 文字通りに、今彼は正体を暴かれて裸同然になったわけだった。 あとは、そのことを声高に叫んで吹聴して回るのを残している。 「……よく、こんなこと調査できたわね。どうやって情報を……」 「言っただろう?金を掴ませたんだよ。金に弱い相手だったからな」 平然として言ってのける黒澤に、先ほどの武田の言葉が重なる。 無茶するな、と。跳ね返る、とも言っていた。 それがこのことを示しているのかもしれない。 「……どのくらい、要求されたの?」 「二本と言われたけどな。結果的に一本で済ませた」 「…え?どういうこと?」 言われている意味がわからなかった。 「1000Kだよ」 「……もっとわからないわ。幾らなの?」 言いながら黒澤が笑っているので、からかわれているのに気がついて 美香は腹が立ってきた。 「諭吉の肖像画、100枚」 そこまで言われて、やっと美香は気がついた。 「100万……?カルテのコピーと、写真で……?」 呆気にとられて、次いで脱力感に襲われそうになる。 「まだ安いもんだぜ。あっちの弱みを握ってたから、これで済んだんだ。 まったく、法外に儲けてるくせに強欲が過ぎるってもんだ」 「…そのお金は、どこから捻出したの?」 おそるおそる美香は聞いた。 「企業秘密」 黒澤はそこでまた、美香の質問をはぐらかした。 これ以上は聞くな、というサインなんだろうか。 「だって…私のために。こんな、お金にならないことを調べてくれてるん でしょ?ねえ、八巻さん。こんな事件を、外部の依頼で調査したとして どれくらいの金額になるの?教えて!」 それでも納得いかなくて、八巻にまで話を振って食い下がる。 「はっきりとはわからないさ。まだ、どういう形で始末をつけるのかが 決まってないからな」 八巻の顔を見据えて黒澤は言った。 「そうですね……。だいたい、整形手術のことまでは調べがつくかどうか」 八巻も困ったな、という顔で言葉を濁す。 「うちだけの力では無理だ。だからこそ、武田さんにまで協力して貰って これにこぎつけたんだからな」 美香の手から船村の写真と整形手術のカルテを取り戻す。 「さあ、ここまでは進んだ。ここからあとは、美香。おまえも協力するんだ」 「わかってるわ。……どういうことをすればいいの?」 「船村に電話しろ。奴は、この前のメモに番号を記してきただろう。 どうせおまえの手荷物と交換に、いずれ呼び出されるのは目に見えてる。 そうしたら、誘いに応じるんだ」 「……そうすればいいのね?」 美香はここで決意を固めなければならなかった。 屈辱感に勝てるように、電話口で冷静になれるようにしなければ。 「おまえが今日欠勤したことで、奴は焦れてる筈だ。休んだことはおまえに してみれば当然のことかもしれないが、向こうはなぜ荷物を質に取られて いてなにも言ってこないのか、不思議に思ってる筈だ」 言われてみれば、その通りだった。 「それに、あんな写真を送ってきたからにはこっちもそれなりの反応を 見せるのが当然だろう。まず、ネガを返してくれとなるのが普通だろうな」 悠然としてそんな分析をしている黒澤の冷静な表情を見て、美香は 探偵というのはこんなことまで考えているのか、と驚かされる。 彼女が恐怖心と不安感を紛らわす為に黒澤との愛欲に溺れている 間に、彼はここまで考えを巡らせていたなんて。 「今夜にでも、おまえの家から奴に電話しろ。もちろん、詳細は俺が指示する。 シナリオはできてるからな」 「どういうことなの?」 美香は食い入るように黒澤の顔を見つめた。 「おまえの方から電話して、こう言うんだ。…『あんなことをしなくても、私は ずっとあなたのことが好きだった。あなたが忘れられない、だから私の 方からもう一度抱いて欲しいと思ってた』とな」 「……それを……あいつに向かって、言えっていうの?」 美香の唇は小刻みに震えていった。 「目の前で言うんじゃないんだ。電話だから、奴のツラを見なくても済むんだ。 なんなら、予めセリフを紙にでも書いておけばいい」 唇を噛みしめてうつむく美香の肩に、黒澤が手をかける。 「ひどいと思うか。腹が立つだろう。でも、悔しいだろう。このまま、奴が のうのうと何事もなかったように振る舞うのを、おまえは耐えられるか?」 美香は首を振る。 「そうして、呼び出しに乗ったふりをしろ。ふりだけでいい。あとは俺が なんとかしてやる」 「……なんとかって?」 美香は薄く涙を浮かべながら、黒澤を見上げる。 「マンションに呼ばれるだろう。荷物はそこにあるんだからな。それと引き替えに、奴は おまえを呼び寄せる。その時に、俺がついていってやるから」 「………………」 「高級マンションの割には、セキュリティのお粗末なところに住んでるのが 運の尽きだな。防犯カメラもついてないし、システムもない。じっくり料理の し甲斐があるってもんだ」 そう言うと、黒澤は冷笑を浮かべてみせる。 「セキュリティシステムをつけてたら、今までの悪行を逆手に取られちまう からな。少し頭の働く女なら、隙を見て警備会社を呼び出すボタンを押す だろう。そうしたら、自分が後ろに手が回っちまうからな」 そういうことか、と美香は黒澤の語ることを聞きながら納得した。 「そういったことを考えた上で、あそこを選んで住んでいるんだろうな。 小賢しいドブネズミが…悪知恵だけには長けてやがる」 渋面になって小さく舌打ちすると、黒澤は立ち上がった。 「所長。盗聴探知の依頼があったんですが、僕が受けておいたんですが かまいませんか?」 それまで黙っていた八巻が口を開いた。 「ああ、おまえに任せる。俺は美香の件で動く。…悪いな」 「いえ、とんでもないです。僕こそ、経験を積むチャンスですし。美香さんを 守ってあげるのが当然ですよ」 「他に大きな依頼はなかったな。無理して受けることもないし、よそに 回してもかまわないしな」 「はい。……じゃ、そういうことで僕は着手にかかります」 八巻は別室に入っていった。 「ここが肝心なんだ。こらえるんだぞ。電話する時にも、もちろん俺が 側にいるから。抱かれたい、ってセリフは俺の顔を見て言えばいい」 そんなことを言われて、美香は少し笑った。 「そうね……」 黒澤は美香の顔を引き寄せて、キスを迫ろうとする。 「だめよ……八巻さんがいるのに……」 小声で拒否しようとするけれど、「大丈夫だ」と言われて強引に顔を 仰向かせされてディープキスをされる。 「悪い探偵さんね」 美香は息をわずかに弾ませて小さくそう言った。 「ほんとにそうかもしれないぞ」 黒澤は、美香の少し潤んだ瞳を見つめた。 「…………え?」 聞き返す美香を無視して、肩を抱いた腕を放す。 無言のまま彼女をいつになく真剣な目で見つめている黒澤に、彼女の胸は騒いだ。 「八巻。飯食いに行くから。それから、俺は今日ここへ戻るかわからないから…… あとは任せたぞ」 八巻が機材を用意している部屋に向かってそう言う。 「はい、わかりました」 八巻は、以前美香が黒澤に抱かれた部屋にいた。 その部屋を見ていると、あの刺激的な一夜をどうしても思い出してしまう。 黒澤にキスをされただけで腰が甘く砕けてしまったあの時。 立ったまま、幾度も感じさせられて屈服を強いられたあの夜。 ほんの十日前の日のことなのに、美香には遠い過去のことのように思える。 あれから美香の身の上に起こった、激流の渦に呑まれるかのような変化。 あの日の自分から、遙かに遠く離れてしまった自分を感じる。 何かが違ってしまった。 少しずつ黒澤という男に惹かれていき、それを自覚してしまった時から もう、戻れなくなってしまった。 この男を知る以前の自分にはなれない。 黒澤に導かれるままに食事をしに行っても、美香はぼんやりと、とりとめのない もの想いにふけっていた。 今夜にでもかけることになっている船村への電話に、気が重くなっている。 自分の部屋に帰るのがいやだった。 「どうした?」 美香のうわのそらの様子を気にして彼が話しかける。 「ん……ちょっと」 彼女は曖昧に弱く笑って見せた。 「大丈夫だ。側にいてやるから。心配するな」 そう言って笑う黒澤が、何度も美香にほのめかすことも気にかかる。 このことが終わったら話すということはなんだろう。 「今度、ドライブにでも行くか。どこに行きたい?」 「ほんと?」 美香の顔がぱっと輝いたようになる。 「ん〜〜……どこがいいかなあ……」 考え込む美香に、彼が微笑みながら言う。 「行きたいところに連れていってやるよ。どこがいいか考えておけよ」 「私、ドライブとか連れて行ってもらったことあまりないの。 友達の彼氏とかとグループで、ってことはあったけど」 「車で、って経験もないんだな?」 美香は黒澤の笑いの意味を知って目を丸くした。 「あんなに上手いくせに、それほど経験値は高くないんだな。驚くよ」 外で淫靡な意味の会話を交わしていることが羞恥を誘い、美香の口をつぐませる。 そんな美香の恥じらう気持ちを見透かすように、彼の黒い深い瞳が 彼女の目を見つめる。 美香が困るのを知っていて、わざとこんなことを話して聞かせている。 そのことが彼の表情から見てとれる。 「行こうか」 そう言って席を立ち、店を後にする。 夜になるまで二人でいても、何をしたところで落ち着かない。 当然抱かれる気分でもない。 不安から彼に抱きつきたい、すがりたい気持ちはある。 でもそれ以上のことは、正直なところ気が進まなかった。 ファッションビルのあちこちを巡り、ウィンドーショッピングをしてみたり 実際に買い物をしたりする。 遅々として進まないと思っていた時間が、確実に夜に迫っていく。 外を夕闇が包みかける頃にそこを出て、黒澤の車で美香のマンションへ向かう。 美香の気は重く沈みがちになり、当然口数も減っていく。 自分の家なのに、まるで強盗犯でも潜んでいる危険な場所へ潜入するかのような 気分になる。 傍らに黒澤がいてくれなければ、不安と恐怖心で押し潰されてしまいそうなほどだった。 見たところ、ポストにはこの前のような不審な郵便物はなかった。 管理人のところへ行って聞いても、そんなものは届いていないようで少しほっとする。 彼の伝手で替えてもらった新しい高性能錠を差し、ゆっくりとドアを開く。 主が暫く留守をした部屋は、なんとなく埃っぽいような感じだった。 留守番電話の、録音ありを示す赤ランプが明滅している。 電話番号を確認すると、今はもう番号を隠す必要はなくなったせいか 船村の自宅からだとわかる。 こわごわと留守録を聞いてみても、なにも録音されず無言で切れていた。 日時はついさっき、夕方の6時過ぎ頃だった。 「多分、おまえの勤め先に出向くか電話して来たんだろうな。 さしずめ忘れ物がある、とでもいうんだろう」 美香もそうだと思っていたので、こっくりとうなずく。 昼間黒澤に言われたことを、もう一度口に出して反芻してみる。 電話に向かう美香の心臓の鼓動は、激しく速度を増していた。 頭の芯までも、脈を打つごとにじんじんといやな疼きが広がる。 怖い…… でも、やらなければいけない。 対決して、この恐怖を打ち破らなければ。 そうでなければ、これからも船村に犯された事実をひきずっていく羽目になってしまう。 そんなことは嫌だった。 開き直ろう。 屈辱と恥に耐えなければ、この先に進めない。 美香は大きく深呼吸をすると、受話器をとった。 黒澤にも会話を聞かせるため、スピーカーに相手の声が出るようにさせてある。 3回、4回と呼び出し音が鳴る。 そして5回目に、相手が出るのがわかった。 「はい」 名乗りもせず、それだけ言われた。 「あの……美香です」 少し、声が震えるけれどはっきりとはわからない。 「ああ……美香さん。待ってたよ」 そう言う船村の声に、すぐに笑いが混じるのがわかる。 「今日は、どうしたの?お休みしたんだね。 行ってみたんだよ、きみの忘れ物を届けにね」 相変わらず、どこか人を小馬鹿にしたようなものの言い方だった。 「ごめんなさい、ちょっと……」 美香は謙虚なことを言うふりをして言葉を濁した。 「でも、来てくれたなんて……嬉しかったわ。電話もくれてたのね。 今さっきあなたの電話があったのを知って、かけてみたのよ」 船村に媚びる言葉が、するすると口を突いて出た。 そんなことを言う美香に驚いたのか、船村は少し黙っている。 「ぼくが来たのが、嬉しかった?」 「ええ……気がつかなかった?私、あんなことされなくても……あなたのこと 好きだったのよ。今度は……普通に、抱いて欲しくって……」 恥じらいをこめるように、ひとことずつ…小さく溜息まじりに囁く。 言いながら、真剣に心からそう思っているように訴える。 「彼氏がいるんじゃないの?」 「あれは、由理ちゃんがあんまりああだこうだっていうから……。 私、船村さんとのこと、由理ちゃんに仲介してもらわなくても自分でなんとか したかったの。 それに、彼とはもう別れるわ。あっちの趣味がね、もう合わないのよ……」 せつなげな吐息をつきながら、演技を忘れたかのように真に迫った言葉を紡ぐ。 「あっちって、なんのことなの?」 受話器の向こうで、船村がにやにやと品のない笑顔を作っているのが 目に浮かぶようだった。 「だから……ね。……セックスよ……」 卑猥な言葉を美香から引きだそうとしているのがわかる。 「どういうのが、美香さんは好きなの?」 「……どういうって……」 美香はためらいながら、わざと焦らすために言葉に詰まってみせる。 「意地悪ね……決まってるじゃない……」 拗ねたように、甘い声を出して見せる美香の演技ぶりを黒澤は腕組みを しながら見つめている。 そんな彼の視線を避けるように背を向けて、船村との会話に没頭する。 「ねえ、会おうか」 船村は唐突に美香に言った。 「忘れものを、取りにおいでよ。美香さんも困ってるだろう? お財布と鍵とかが入ってる鞄、ここにあるんだよ」 側にそれを置いてあるのか、手でポンポンと叩く音までする。 「会いたいわ。行ってもいいの?」 美香はさも嬉しそうに、声を高く弾ませた。 「これからでも、どう?」 船村はもう自信を漲らせているようだった。 美香が術中にはまったと考えるよりも、彼女が自分を好きだと、抱かれたいと言った 言葉を信じているように思える。 「……今から?恥ずかしいわ……」 「いいじゃない。ねえ、抱いてあげるよ。今度はもっと、たっぷりかわいがってあげる。 この前の写真、まだとってあるんだよ。 きみの可愛い声を思い出しながら、何度もしちゃったんだよ……」 あからさまに自慰行為のことを得々と話す船村の猫撫で声に、不快感が湧き出る。 美香はそれを懸命に頭の片隅に追いやった。 「今からは……困るわ。もう少し、心の準備させて。お洒落だって、ちゃんと してから行きたいし。この前みたいにじゃなくて、もっと……」 「もっと、なに?」 声が完全に自信に満ちて、美香の答えを促すようにしている。 「脱がせたときの、楽しみにして」 そんな淫靡な言葉を言ってみせる自分に、美香は感心してしまう。 よくもまあ、ここまで言えるものだ……。 「それじゃあ、いつがいいの?ぼくはいつでもいいよ」 「じゃ……明日、お昼くらいにお邪魔していいかしら?」 媚びを含んだ声で、下手に「お願い」してみせる。 「いいよ。楽しみに待ってるから……」 「ええ、私も……。可愛がってちょうだいね?」 笑いながら、露骨なセリフまで吐いてみせる。 「もちろんだよ。腰が抜けるほど、たっぷりしてあげるからね……」 船村も、笑みを混ぜて卑猥な言葉を言う。 美香は小さく笑って、「じゃあ」と言って電話を切った。 握りしめた受話器が暖かくなるほど、美香の身体は熱くなっていた。 そのまま下を向いて、大きく、長い溜息をつく。 言っている間は、本心からそう願っているかのように気持ちをこめてみせた。 「大したもんだな。本気であいつを好きなのかと思わせるほどの出来だ」 黒澤の、どこか醒めたような声が美香を現実に立ち帰らせた。 必死で言っているうちに、なぜかわずかに秘所が濡れているのがわかった。 「そんなにあいつを夢中にさせたのか」 そう言う声がわずかに固くなっている気がする。 「夢中だなんて……」 美香は彼の目つきが険しくなっているのを見て、小さく身震いした。 「あっちが勝手に思いこんでるだけよ。私は……」 黒澤は、壁ぎわに立つ美香に覆い被さるように向かい合った。 「おまえが自分に惚れてると、思いこませるほどのことをしたのか」 「そんな……」 「あいつに犯られてて、よがったのか。感じたのか」 「………………」 よがりこそしなかったけれど、催淫剤のせいか快楽はあった。 無理矢理に薬を使って犯されているのに感じたことに、恥を持っていた。 仕方がないことなんだ、と自分に言い聞かせて、それを船村への憎悪の 念に矛先を変えた。 底光りのする眼で見据えられ、耐えられずに視線を外すと強引に唇を 奪われた。 同時にきつく抱きしめられて、美香は息が苦しくなってしまう。 唇から逃れると、「苦しい……」と言って黒澤を見上げた。 それでも彼は許さずに、美香の身体を抱き上げるとソファの上に放り出す ようにして、彼女の身体にのしかかってきた。 「いやっ……」 喘ぐ唇を塞がれ、スカートの裾を手でまさぐられる。 抵抗しても無駄と思い、手足の力を抜いて彼のしたいようにさせる。 ディープキスを続ける彼の首に、両腕を回して自分からも応える。 まもなく黒澤はキスをやめて、身体も離れる。 美香はソファから半身を起こして、胸元を手で押さえる。 彼女の側からは、彼の表情が窺えない。 彼がどんな感情を抱いているのかを知るのが、少し怖いような気になる。 「今夜は、どうする?ここで過ごすか」 呟く黒澤に、美香は「あなたは?」とすかさず問いかける。 「ひとりには、しないで……お願い」 哀願する彼女のすがりつくような眼差しを受けて、彼は「泊まるよ」と言ってくれる。 |