第三章 7 虎穴 1

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軽い夕食を摂り、二人で過ごす時間が今はとても気詰まりな感じが
してしまう。
沈黙の時間が多くなり、それを誤魔化すためにテレビの番組を賑やかな
ものに変えたりする。
黒澤に入浴を勧めて、先に彼に入ってもらう。
そうしたのは、美香がひとりで身体を改めたいと思っていたせいだった。
キスマークとして残されていた痣は、だいぶ薄くなっている。
これなら、もう一日や二日で消えてしまうと思える。
黒澤につけられた時にも、週末につけられていたものが3〜4日経つ
頃には消えてしまっていた。
こんな風に身体に痕をつけたいと思わせるのは、男の激しい独占欲
からなんだろう。
身体を洗い清めながら、美香はぼんやりとそんなことを考えた。


ベッドに寝そべる黒澤は、早くも寝息を立てていた。
彼の長身には、このセミダブルのベッドは窮屈そうにしか思えない。
もっと大きいものに買い換えようかとも考えてしまう。
寝間着に着替え、眠っている彼に身を寄せていく。
今は積極的にセックスしたいと思わないけれど、抱きしめてほしい。
彼の腕の中にすぼまるように包まれて、体温を感じて安心したい。
彼の目が開き、美香を見るときついほど抱きすくめてくれる。
息がつまるほどの力をこめて抱かれることが、彼女には嬉しかった。
彼の方から唇を重ねてくれる。
黒澤の首筋に抱きついて、美香も積極的に彼の唇を貪る。
張っている胸を服の上から軽く撫でられると、彼女はビクン、と身体を
震わせた。

乳首に刺激が加わった途端、美香は反射的に濡れていくのがわかった。
それなのに、彼は愛撫もキスもやめてしまう。
もっと続けてほしい……
そんな思いから、美香は彼の腰の部分に自分の下腹部が当たるように
仕向けた。
案の定、そこは既に猛っていた。
熱く息をつきながら、彼女の掌はそのものにそっと近づいた。
「駄目だ」
黒澤の低い声が美香の耳に届いた。

「……どうして?」
美香は彼の顔を下から覗き込むようにして訊いた。
「どうしてもだ」
短いが、その声にきっぱりとした拒絶の響きがある。
彼が怒りを感じているから、だからこそ身体の関係を拒否するのか。
自分から求めて、それを拒まれるという虚しさと悲しさが美香に涙を滲ませた。

でも、泣いてはいけない……
涙を流すところを、見られたくない。
唇を痛いほど噛んで、美香は顔を手でこすった。
汚された身体の美香を嫌がるのか、それともさっきの船村への芝居が
彼の癇に障ったのか。
いたたまれない思いが、彼女の身体を黒澤から離れさせる。
上半身を起こして、暗闇の中で大きく溜息をつく。
「……今のうちに眠っておけよ。明日は忙しくなるから」
そう言う黒澤の声に、眠れる訳がないと言い返したかった。

眠れないと思ってはいても、いつしか瞼も重くなる。
意識がとぎれとぎれになっている間、眠ってしまったんだろうか。

部屋が薄明るくなっているので、朝だということに気づく。
ベッドから身を起こすと、既に黒澤は起きて新聞を読んでいた。
「おはよう……」
「おはよう。よく眠ってたな」
黒澤はそっけなく言った。
視線を美香には向けず、新聞の紙面を追ったままでいる。
そんな彼の様子が、昨夜からの不機嫌さを引きずっていることに気づく。
洗面所に入って軽く身支度を済ませると、朝食を作る。
とはいっても、既に時刻は朝の10時近くになってしまっていた。
だから朝食と昼食を兼ねたブランチということになる。

「なにか食べたの?」
皿を並べながら美香は彼に訊いた。
「走る前に、少しだけな」
新聞を畳みながら彼はそう言った。
「走ってきたの?」
「ああ、軽くな。ここのところ仕事関係で忙しかったから、暇を見つけて少しでも身体を
動かさないと。なまっちまう」
美香が用意した軽食を摂りながら、独り言のように呟く。

側にいるのに……抱きしめてもらいたいのに、それが言えずにいる。
昨夜のように、撥ねつけられたら嫌だから。
拒絶されるのが怖いから……言えない。
こうしている間にも、昨日電話で船村と約束した時刻が迫ってくる。
それとともに、美香の胸の中でどす黒い不安が重く渦巻いていく。
昨日の電話でのことを、知っているくせに黒澤は悠々と構えていてまだ動く気配を
見せない。
どういうつもりなのか……
まさか、約束を取り付けておいてすっぽかさせようというのか?
そんな疑念も湧いてきてしまう。

食事の後片づけをし終わる頃には、もう11時近くになっていた。
昼頃と言い出したのは美香だし、それを黒澤も承知でいる筈なのに。
さすがに彼女も焦れてきて、そわそわと落ち着かなくなっている。
「シャワー、浴びるわ……」
美香はそう言うことで黒澤に外出を促すつもりだった。
これからどうなるのかわからないけれど、身体だけはきれいにしておきたい。
鏡に映した裸身には、それとはっきりわかるほどの痣はなかった。
ようやくキスマークが薄れてきていることに安堵する。
いつもよりも丹念に、特に秘所のあたりを洗い清める。
恐怖と……そして、期待が美香の身体の芯を戦慄かせる。
怖いと思っているのに……それなのに、どうしてか秘所が熱く潤んでいくのがわかる。
そこに手を這わせてしまいたい欲求が頭をかすめるけれど、理性で抑える。

美香がシャワーを終えて出ると、黒澤も続いて浴室に入った。
髪を乾かし、服を整えてから、念入りに化粧を始める。
普段のメイクよりは濃いめに、そして黒澤に事務所で抱かれた日と同じトワレを身体に
吹きかける。
黒澤が出てくるところにバスタオルを手渡すと、彼は薄く笑っただけで
そのまま寝室へ向かって行った。

美香はもう、だいたいの支度を終えて外出の準備はできている。
彼の様子が気になって寝室をのぞくと、既にスーツ姿に着替えている
黒澤の姿が目に入った。
青のシャツと紺色のスーツを身につけ、眼鏡をかける。
眼鏡の効用で、真面目そうな印象を与えることができそうに見える。
黒のアタッシュケースを手に提げると、ちょっと見は外回りの営業マンのようだった。
「実直なリーマン風に見えないか?」
皮肉な口さえ開かなければ、その試みは成功している。
「見えるわ……」
美香は少しの戸惑いを感じながらもそう答えた。
「警戒されにくいようにな。これでおまえの後からついていく」
「どうやって、あいつの家に行くの?」
「車で、近くまで行って有料駐車場に停める。そこから少し歩くことにする」

いよいよ、船村の自宅に向かうことになる。
美香の身体は緊張ですくんでしまいそうになっている。
彼の愛車に乗り込み、ゆっくりと黒澤の自宅マンションを出る。
今度ここに訪ねてくる時は、自分はどうなっているのか……。

黒澤がどう出るつもりでいるのか、尋ねても教えてくれない。
ただ「おまえは奴が出たら、嬉しそうにしてみろ。ドアはゆっくり閉じるようにしろ」
と指示されただけだった。
胸の動悸が激しくなって、掌が汗ばんでいく。
どういう道筋を辿っていくのかわからないうちに、車はベイエリアへ出てきた。
八巻にあとで聞いたところ、高層マンションだったと言われたけれど……
美香は動転のあまりに覚えていなかった。
「あそこだな」
それまで黙っていた黒澤は唐突に口を開いた。
「近くに駐車場がある……そこに停めるぞ」
美香は黙ってうなずくしかなかった。

無人の駐車場に車を停めて、美香と黒澤はそこを後にした。

「少し先を歩け。707号室だ。俺は少し離れてついて行くから」
美香は心細げに黒澤を振り返って見つめた。
「大丈夫だから。そんな顔するな」
彼は笑って見せた。
気を張っていないと、足が震えてしまいそうだった……。

巨大なオートロックマンションの呼び出しのボードに向かう。
平日の昼日中のせいか、周囲の人影はまばらだった。
ここだけが異空間のように、ぽっかりと穴が空いてしまったように思える。
自分を拉致し、さんざんに犯して弄んだ男……
それは黒澤とて似たようなものだったのに。
身体を奪われ、心までも許してしまったのはいったいなぜなのか。
7、0、7とボタンを押す指が震えていく。
いつかこれと似たようなことがあった気がする。
……それは、黒澤の探偵事務所に向かうその時のことだった……

数回呼び出し音が響いたあと、「はい」と男の声が出た。
船村の声だった。
「私……美香です」
心中の複雑さをよそに、割に平静さを保って声を出せた。
「どうぞ……待ってたよ」
粘ついた声が、インターホンのノイズに混じって響く。
広いエントランスのガラス戸が開き、美香はその中へと入った。
次いで、黒澤も歩を進めて行く。
エレベーターホールの中へ二人で入る。
マンションの規模に応じたゆったりとしたエレベーターの内部にも、
監視カメラなどはなかった。
美香の呼吸は浅くなっている。
黒澤の体温を側に感じていなければ、とてもこんな真似はできそうもない。

音もなく、エレベーターは7階に着いた。
廊下を歩く美香の少し後ろから、彼がゆっくりと歩いてくる。
美香はもう、後ろを振り返ることはしなかった。
船村の部屋の前に立つと、呼び鈴を押す。
まもなく、玄関の扉がゆっくりと開いた。

「やあ……」
笑み崩れる船村の顔を見て、美香も懸命に作り笑いを浮かべて見せる。
「会いたかったよ」
「私も……」
そう言いながら、美香の背中に馴れ馴れしく手を廻してドアを閉じようとする。


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