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猫伝 第四話

翌朝、我輩とご主人は北東の方角へと向かっていった。
しばらく進む内に大気は次第に寒くなり、いつしか周囲は針葉樹林へと変わっていた。
立ち並ぶ巨木の間からは朦朧とした光が差し込み、大地に埋まった岩石は紫色の輝きを放つ。
森は神聖で荘厳な空気に包まれていた。
ここは……聖地……。

「ユキトラ……、ここにいるはずだよね……。」

ご主人の足は前へ前へと進みだす。朽ちた葉の堆積した土の上を足早に駆け抜ける。
我輩は神秘的な森の光景に目を奪われながらも、ご主人の後に付き従って行った。


森の道は複雑に入り組んでいた。倒れた古木が行く手を塞ぎ、土中には深い空洞が口を開ける。
大分進んだかと思えば、前に通ったような広場に逆戻り。そもそも何処を目指してるのかも判らぬ。
我輩は次第に疲れを覚えてきた。
だがその時、我輩の髭が何かを感じた。
その何かが居ると思しき場所を見定めると、向こうからもこちらの方を窺っているのが判った。
そこに居たのは、長い髭を持ち、足が長く、豹柄をした猫……まさしく我輩の同族だった。

「おや、アナタは……。クァールの客人とは珍しいですね。ここの氏族の者ではないようですが。」

そう言うとその猫は爪と牙を収めて近づいてきた。我輩もそれを見て警戒を解く。

「クァール? 我輩のことであるか?」

そんな名前があったとは初耳である。
何故か妙な知識ばかりは多いのだが、自分のことはよく判ってないんだにゃ。

「ええ。我らはこのジ・タに棲むMasterの氏族。聖なる土地の守人として暮らしております。」

ふむふむ、これは参考になるな……と聞いていて、我輩は大変なことに気付いた。
ほんの僅かな時間目を離しただけなのに、ご主人の居所を見失ってしまったのである。
慌てて髭に意識を集中する。北の方に人の気配を感じた。
幸いにも距離はあまり離れてはいない。我輩は直ぐに追いかけることにした。

「すまぬ。今は急ぎじゃ。また後で!」



我輩は北へと駆け出した。途中では大樹の根が邪魔で思ったより手間取ってしまった。
だが、もう少しで追いつきそうだと思ったそのとき……

突然、森の中に立派な白い神殿が姿を現した……。


「ユキトラ、どうも間違えちゃったみたいじゃないかい?」

我輩は急に名前を呼ばれてビックリした。
その声は甲高くこそあったものの、ご主人のものとは似ても似つかなかった。
声の方を見る、するとそこには二頭身位の小さな人間がいた。
『骸たる星、珠たる子』称して『たるたる』と呼ばれる生命体だ。

「悪ぃ……ゴメン! やっぱ地図買って来るべきだった。ここ無茶苦茶強そうな敵ばっかいるし。」

そこにはもう一人の人間もいた。軽装の鎧を身にまとい、腰には短剣をぶら提げている。
どうやらユキトラと呼ばれたのは、その男らしかった。

「ま、インビジとスニークが掛かってるから襲われはしないけど……ここだと掛け直しはできないよ?」

神殿の入り口の広間には、頭上に剣を浮かべた怪物がうろついていた。
だが二人の方を向いても特に気には留めてない様子。外見に反して温厚な生物なのだろうか。

「ともかくここの外に出よ。で、一度休憩させてね。」

「ああ、分かった。」


二人は神殿から抜けると門の片隅に座り込んだ。我輩も樹の陰からコッソリと覗いてみる。

「それにしてもユキトラ、あんまり遅くなっちゃうと彼女が心配しちゃうんじゃない?」

タルタルが座ったまま言葉をかける。だがそれを聞くと、男は途端に沈黙してしまった。
しばらくしてから、振り絞るようにして声を出す……

「アイツとは、別れた。」

簡潔な答えだ。

「何で? ケンカでもしたの? 君、随分とベタ惚れだったじゃん。」

「いや、オレにはアイツと付き合う資格なんて無かったんだ……。」

男は寂しそうに呟く。そして、大きなため息を一つついてから語りを始めた。


「オマエだけに言うぞ。ここなら他に誰も聞いてないだろうし。
 オレは……皆の前では盗賊のフリをしてたけどな、
 本当はオレの親は忍びと呼ばれる業の持ち主だったんだ。
 ずっと無視してるつもりだったが、最近オヤジが倒れてね。
 オレがその後を継ぐことになった。」

「で? どこにも別れる要因なんて無いと思うけど。」

「それがな、その業は裏の世界で編み出されたものだ。
 忍びの術を身に着けるには、裏の連中に認められなきゃならない。
 オレはそのために……禁制品の密輸に手を出した。」

「禁制品……?」

「生きた毛皮とか何とか言ってたけど、詳しくは知らん。
 だが真っ当なものじゃないのは確かだ。もはやオレは犯罪者だ。
 それにあの連中と付き合ってたら、この先何が起こるかも分からん。
 だからオレは……アイツと別れる事にした。」

「それ、彼女には教えたの?」

「いや。アイツのとこには、別れるって書いた置手紙だけを残してきた。
 本当のこと教えて、心配させても悪い。」

タルタルは立ち上がった。そして男の顔をじっと見据える。

「要するに、都合の悪いことは見せたくないから逃げ出したって訳だね。」

「おい、そんな言い方って……。」

「あの娘のことだ、きっと今も君の事を探してるよ。
 嫌いだとでも宣言してきたんならともかく、手紙だけではね……。
 いきなり置き去りにするだなんて、あまりにも可哀想だと思わないかい?」

「でもオレは……アイツのためを思って……。」

「君の都合だろ、全部。彼女のこと、何も考えてないじゃん。
 まさかこんな情けない奴だったとはね……。僕は失望したよ。」

「だけど……オレはこうしないと……。」

タルタルは男に背を向けた。そして懐から小さな呪符を取り出す。

「ま、君がどう生きようと勝手だけどさ。他人にはなるべく迷惑かけないで貰いたいね。
 思ったんだけど、僕をここに連れてきたのも、件の裏社会からの仕事だったりしない?」

「そうだ……けど、今回のは犯罪絡みじゃないし……。」

「困った時の手助けならするけど、逃避の幇助はごめんだね。僕はこれで帰る事にする。」

タルタルは呪符に込められた魔力を開放した。小さな体が空間の裂け目に吸い込まれていく。

「ユキトラ、最後に友達として一つだけ忠告しておく。
 さっきの君の話……論理の筋道は通ってたけど、君が何をしたいのかはどこにも出てこなかった。
 君にとって一番大事なことは何なのか……
 これからどう生きるにしても、それをハッキリさせとかないと後悔するよ。」

光が虚空へと消えていった。林を風の吹き抜ける中、そこには一人の男だけが佇んでいた。

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