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アップルデリー&マッケンタイア珍道中・中南米編
〜或いはマッケンタイア受難記〜
(2)
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左足のふくらはぎの下あたりが、ぢくぢくと不快に痛む。
いつもロールアップにしているズボンの裾を、ちゃんと下ろしておくべきだった…と、激しく後悔。
「待ってくださいよ、アップルデリーさん…足が痛いっすよ」
ずんずんと進んでいくアップルデリーさんの背中に向かって、ボクは訴えた。
「たかがアリに刺されたくらいで、な〜にを情けない事を言っとるんだね」
「たかがって言いますけどね、手元のデータで検索したじゃないスか…あのアリは、刺されると24時間
痛みが消えないくらい強い毒があるって。
って言うか、アップルデリーさんも何箇所か刺されてるんでしょ!?何で平気なんですかーー!?」
「自然は心のオアシス、生き物はみな友達だ。アリに刺されたくらい、ちょっとキツめのキスマークを付
けられたようなもんだわい。がっはっは」
いや…がっはっはって、アナタ…。
何の説明にもなっていない返答に、ボクはどっと疲れたような心地になった。
道無き道を進む途中で、ボクたちは幾つものジャングルの動物と遭遇した。
「向こうに見えるのは、リスザルの群れだ。リスザルは、何十頭もの群れになって行動する。
あっちに飛んでいる大きなオウムは、マウカという種だな。
おお、今の蝶を見たかね!?あれは、森の宝石と呼ばれる、モルフォ蝶だよ…いやぁ、実に美しい!」
はしゃぎまくるアップルデリーさんを見ていると、つい口元が綻んでしまう。
アップル号で隕石を追っている時も、地図を作っている時も、いつでも楽しそうに笑っているアップルデ
リーさん。
彼の、ある意味人智を超えた言動には、時折(というか、しょっちゅう?)脱力させられる事もあるが、
その少年のようなキラキラ輝く笑顔を見ていると、暖かな気持ちにならずには居られない。
――――――がつっ。
「うわッッ!?」
前方のアップルデリーさんに見とれていたら、何かに蹴躓いた。
何だろうと思って、足元に視線を落とすと、そこには丸太のようなものが横たわっている。
跨いで通ろうとして…ボクは、頭のてっぺんから足のつま先まで、血液が一気にザーッと音を立てて下が
ってゆくのを感じた。
ま…丸太がッッ、う、う、うううう動いてる!!??
「ッッぎゃあああああ!!??」
ボクは絶叫すると、自分でも信じられないような勢いで飛び上がって、そのままガッシ!とアップルデリ
ーさんにしがみ付いた。
「おー、これは陸棲の大蛇で、ボア・コンストリクターというものだな。
気をつけたまえよ、ジャングルの大蛇は、人どころか馬まで呑み込む。巻きついて強烈な力で骨を細かく
砕き、グニャグニャにして丸呑みするんだ」
(ぞおぉおおぉおぉ〜〜〜っっ!!)
ボクは、自分がこの丸太のような巨大なヘビに巻きつかれて、身体中の骨をバキバキに砕かれ丸呑みにさ
れるところを想像し、ますます青ざめた。
「そ、そんな恐ろしい事を、サラッと言わないでくださいよ!」
「ん?一体何が恐ろしいんだね?『カワグチヒロシタンケンタイ』みたいで、愉快ではないか」
「何ですか、それは!?愉快なもんですかっ、とにかく早くっっ早く行きましょうぅっっ!」
「わかったわかった…全く、若いもんはせっかちでイカン」
あたかも大木にしがみつくコアラのように、首っ玉にしがみ付いて震えているボクの切なる訴えに、アッ
プルデリーさんはヤレヤレと肩を竦めて歩き出した。
時刻も夕方にさしかかり、生い茂る草木に日光が遮られるために日陰の多い密林の中は、更に薄暗くなっ
てきた。
大蛇との遭遇以来、やたらと臆病になってしまったボクは、神経をピリピリと張り巡らせながら、周囲の
様子を伺いつつジャングルを進む。
何か妙な鳴き声が聞こえる度、ギクリと身を強張らせて緊張をあらわにするボクに、アップルデリーさん
は「あれはホエザルの声だよ」とか「あれはホアツィンという名の鳥の声だよ」などと、実に楽しそうに
解説してくれるが、それに耳を傾けるような精神的な余裕は、今のボクには到底無い…。
極度の緊張に、精神状態が限界に達しかけたボクの耳に、なにやら水音が聞こえてきた。
「近くに川があるみたいだな。行って、汗でも流すとするか」
アップルデリーさんの言葉に、ボクは激しく頷く。
随分と長い時間、慣れない場所を歩いたから、ヘトヘトだ…水を飲んで、暫く休憩したい。
聞こえてくる水音を頼りに、草木を掻き分けて進んで行くと、幅はそう広くはないが豊かな水量を湛える
川が、目の前に現れた。
ボクは喜び勇んで川に駆け寄り、両手で水をすくって飲んだ。
「ふあー、生き返るぅ…」
メガネを取ってバシャバシャと顔を洗い、汚れと汗を流す。
一息ついて視線を上げると、向こう岸に生い茂る草の中から、大きなげっ歯類らしき動物が3,4匹ほど
顔を出して、こちらの様子を伺っているのが見えた。
「カピバラだよ。世界最大のげっ歯類で、体長は1メートルほどにもなる」
持参したタオルを川の水に浸して、顔や首筋の汗を拭いながら、アップルデリーさんが解説した。
ボクは、愛嬌のあるその動物に向かって、何となく手を振ってみる。
カピバラたちは一瞬首を傾げて、草の中にサッと引っ込んでしまった。
「ふられたな」
「放っといてください」
アップルデリーさんのからかい口調に、ボクは少し頬を膨らませて、地面に腰を下ろす。
不意に、ぐぅ〜…と、腹の虫が鳴いた。
「腹が減ったか?近くで何か食えるもんでも探してみるか」
「木の実か何か、ありますかね?…でももう少し休憩してから…」
そこまで言って、ボクは硬直した。
「あ…あ…あ…」
「?何だね、どうかしたのかね?」
顔面を蒼白にして、ガタガタと震え出したボクを、怪訝な顔でアップルデリーさんが見る。
「あ……あれ……あれっ」
「ん〜?」
震える指先で、示した先には…。
ぞろぞろと、川から岸に這い上がってくる、巨大なワニたちが居た。
「おお!早速食い物が見つかったな!」
「そういう問題じゃないでしょおぉっ!!…って、アップルデリーさぁあぁんッッ!!??」
いきなり、ワニの群れに向かって駆け出すアップルデリーさんに、ボクは唖然とした。
まさか、まさか、本気で捕って食うつもりなのか!?
「危険ですよぉーーーっ!!戻ってきてください、アップルデリーさん!!逃げましょうよぉ〜〜〜!!」
ボクは慌てて立ち上がり、ワニの群れに突進していくアップルデリーさんに向かって、必死で叫ぶが…。
「何を言っておるのだね、マルコポーロ君!!ワニ肉はうまいんだぞ、キミも協力したまえ!!」
「マッケンタイアですッッ!!どう協力しろって言うんですか、冗談じゃ……ッッ!!??」
ボクは再び、途中で言葉を切って硬直した。
アップルデリーさんに気を取られて、自分の周りにもワニが集まってきていた事に気付かなかったのだ。
「あ…あうぅ…」
あまりの事態に、ボクは口をパクパクさせて呻いた。
ぎょろりと光る、ワニたちの黄色い目が、そんなボクを嘲笑っているかのように見えた……。
※ ※ ※ ※
「っぜはーっ、ぜはーっ…」
一体どのくらいの間、走り続けたのか…心臓が破裂しそうな程息苦しくなって、ボクは足を止めた。
その場に崩れ落ちるように、膝をつく。
激しく呼吸を繰り返しながら、疲労に霞む目を懸命に凝らし、周囲を見渡すと…既に半ば日は暮れかかっ
ており、密林の中には不気味な暗闇が押し寄せつつあった。
ワニたちは、恐らくとっくの昔にボクを追うのを諦めたのだろう。何処にも姿は見えない。
ワニが居なくなったのにも気付かないほどパニックを起こし、無我夢中で逃げ回っていた自分が、滑稽で
惨めで情けなくなり、ボクはうなだれた。
「ここ、何処だよ…」
急に心細くなってポツリと呟き、ふとボクは、自分が妙に身軽である事に気付く。
大切な機材を、川のほとりに置きっぱなしにしてきてしまったのだ。
水を飲む時に、地面に置いたままだ…アップルデリーさんが気付いてくれていれば良いのだけれど。
とにかく、ここで立ち往生していても仕方が無い。
現在地を検索しようと、ショルダーバッグの中をまさぐり、ポケコンを取り出す。
スイッチを入れようとするが…画面に何も映らない。
「あ、あれ?このっ、このやろっ」
カチカチカチカチカチ。
何度もスイッチを入れたり切ったりしてみるが…画面は真っ黒のまま、うんともすんとも言わない。
呆然とする頭の中で、そういやぁワニから逃げて必死で走ってる最中に、勢い余ってそこらじゅうの木に
ショルダーバッグをガンガンぶつけていたような気が…と、あやふやな記憶を手繰った。
「ああああああああ〜〜〜」
ボクは思わず、両手で頭を抱えて喚いた。
こんな、右も左も分からないジャングルの奥地で、たった独りでどうしろと!?
「アップルデリーさぁん…助けてくださいよぉ…」
僕の涙声は相手に届くはずもなく、深くなってゆくジャングルの暗闇の中に、吸い込まれるようにして消
えた…。
※ ※ ※ ※
多くの木々に囲まれたジャングルの中には、月の光も満足に届かない。
ボクの周囲はすっかり闇に閉ざされ、視界はゼロに等しい状態だ。
「…寒い…」
日中は暑いのに、夜になるとやたらと冷え込む。
ボクは膝を抱えるようにして地面に座り、寒さに震えていた。
自分の現在地が全く解らない以上、慣れないジャングルの中をむやみに歩き回るのは危険だし、そのうち
アップルデリーさんが見つけてくれるかもしれない…という期待を胸に、ずっとこの場所に座っているの
だが、時間は虚しく過ぎて行くばかり。
孤独と心細さに耐え忍んでいるボクの耳には、時折ジャングルの夜行性動物のものとおぼしき奇妙な鳴き
声が聞こえてきて、不安に拍車をかける。
――――――がさっ。
「!!??」
ボクの後方で、草を足で踏んだような音が微かに聞こえ、心臓が跳ね上がった。
「……」
極度の緊張感に身体を硬直させたまま、ボクは耳をそば立てて、周囲の気配を伺う。
――――――がさっ。
や、やっぱり聞こえる…気のせいなんかじゃない。背後に、何かが迫って来ている。
「あ、アップル…デリーさん…?」
で、あって欲しい…という、ボクの切なる願いが込められた言葉に対する返事は、無い。
ごくん…と唾を飲み込んで、ゆっくりと…ゆっくりと、後ろを振り返る。
小さな光の粒が2つ、真横に並んで暗闇の中に浮いているのが、ボクの視界に飛び込んできた。
「……??」
それが何なのか咄嗟には解らなくて、ボクは二つの光の粒を呆然と見つめた。
暫くそうしているうちに…木々の隙間から僅かに漏れる月の光に照らされて、ソイツの全貌がぼんやりと
浮かび上がっている事に、ようやく気付く。
ボクから20mほど離れた場所に、そいつは居た。
ネコ科独特の、しなやかな身体。
ヒョウに似ているが、もっとガッチリした印象を受ける。
(じ、じ、ジャガー!!)
あまりにショックに貧血を起こしかけ、思わず倒れそうになるのを堪える。
昼間、ポケコンでジャングルについて少し検索をかけてみた時に、たまたま出てきたヤツだ。
夜行性の肉食獣「ジャガー」…その昔、絶滅危惧種として指定を受けていたが、ゲート事故で人間が地球
上から激減して以来、自然の回復と共に、その数を着実に増やしてきたのだそうだ。
ジャガーは顎の力が非常に強くて、狩りで捕まえた獲物を一噛みで殺し、時にはその一噛みで頭蓋骨に
穴をあけてしまうとか……。
――――――がさっ。
ソイツは、また一歩ボクに近づいて来た。
慎重に、獲物を狙う低い体勢で…。
「……や、やあ♪」
ボクはソイツに向かって、にっこりと微笑んで片手を挙げた。
声は明るかった。しかしボクの顔は多分、死人のように血の気が引いていただろうし、微笑みも相当引き
攣っていたに違いない。
愛想が悪かったのが敗因なのか。
「ガァアァアァーーーッッ!!」
「うわぁあぁぁーーーっっ!!」
咆哮を上げて飛び掛ってきたソイツを、ボクは地面に転がるようにして何とか避け、必死で立ち上がって
駆け出した。
「あああああ!!アップルデリーさぁあぁあぁん!!!!」
叫びながら、視界の利かないジャングルの中を、猛烈な勢いで走って逃げるが…夜目が利いて、しかも足
の早いジャガーから、逃げ切れる筈も無い。
木の根っこか、石か何かにつっかかって、ボクは前のめりに倒れた。
「っく…!」
急いで立ち上がろうとするが、左足に鋭い痛みが走る…どうやら挫いたようだ。
焦るボクの背後に、嫌な気配が近づくのを感じ…振り返ると、そこには闇夜に光るジャガーの目が浮かん
でいた。
ザッ!!
草と地面を蹴る音がして、二つの光の粒は、ボクに向かって空を斬るように飛ぶ。
「うああああああッッ!!」
もう、オシマイだ……!!
身体を食い千切られる激痛を予想して、恐怖と絶望に、ギュッと目を閉じる。
どすっ、という鈍い音が、ボクの間近で聞こえた。
「ギャアアアンッ!」
ジャガーの、咆哮…というよりは、悲鳴…??
ボクは異変を感じ、慌てて目を開る。
どすっ。どすっ。
目の前を、何かが凄いスピードで飛んでいって、ボクの傍らでもがき苦しんでいるジャガーの身体に相次
いで突き立つ。
それは、長さ2メートルほどの棒状のもの。
(や、槍?)
ボクはハッとして、周囲を見渡した。
明かりが…近くの茂みの中に、赤い色をした明かりがある。
幾本もの槍に身体を貫かれたジャガーは、力尽きて地面にどうと倒れた。
(誰かが、ボクを助けてくれたんだ…)
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挫いた足の痛みを堪えながら何とか立ち上がると、茂みの中から数名の人間が姿を現した。
(……???)
茂みから出てきた彼らを見て、ボクの目が思わず点になる。
手に松明を持ち、腰には動物の皮らしき物を巻きつけ、上半身は裸。
アクセサリー好きのボクも驚くくらい、首やら腕やら耳やらにゴテゴテと、奇妙な装飾品を大量に付けている。
更に、顔やボディには、まるでサッカーファンのようなペインティングが…。
『このジャングルには、遥かな昔…人間がこの世に姿を現してからまだ間もないくらいの大昔から、その生活スタイルを殆ど変えずに生きている人々…『ゲンジュウミン』という人種が居る』
戸惑うボクの脳裏に、アップルデリーさんの言葉がふとよぎった。
(そ、そっか…この人たちが『ゲンジュウミン』…)
「あの…助けてくれてありがとうございます。ボクは…」
とにかくコミュニケーションを…と思い、挫いた片足を引き摺りながら、彼らに近づく。
すると、彼らの中の一人が、何か短い棒のようなものを口に加えた。
――――――ぷつっ。
「っつ!?」
左肩に鋭い痛みを感じ、ボクは呻いた。
見ると、太めの木のトゲみたいな物が、肩に突き刺さっている。
「……な…んっ」
視界が、不自然に歪んだ。
身体からスウッと力が抜けて、地面に倒れこむ。
「……う……」
酷い眩暈のようにグラグラと揺れて霞む視界の中、ゲンジュウミンたちがボクに近づいて来るのがかろうじて見て取れた。
全身が麻痺して動けないボクを、ゲンジュウミンの一人が抱え上げて歩き出す。
(アップル…デリーさん…)
朦朧とする頭の中で、恋しい相手の名を呼び……ボクの意識は、暗転した。
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