夜を越えて

○久

 それは、3つ目の札を手に入れて、少しだけ気持ちに余裕が出てきた頃の話。
 神子は白虎の2人を連れて、大豊神社に来ていた。
「こまねずみ、かわいいですね。」
 この大豊神社には、狛犬ではなく、こまねずみがいる。
 ころころとした愛らしいこまねずみは神子のお気に入りであった。
「神子殿もそう思われますか?」
「『も』ってことは…」
 珍しくも雑談を始める鷹通。その顔は穏やかだった。
『鷹通さんは、この場所が好きなのかな…』
 神子はそんなことを思いながら話に相槌を打っていた。
 その時。
 黙って話を聞いていた友雅が、林に鋭い視線を向けた。
「誰だ? 出てきたらどうだい?」
 神子と鷹通も林へと視線を向けた。
「…ふん。」
 林から出てきたのは…鬼。つい先日、白虎の2人を誘惑しようとしていた…シリン。
「鬼が、こんな場所で何をしているのです?」
 さりげなく、鷹通と友雅は神子を守るように立ち位置を変えた。
「それはこっちの台詞だね…。札も探さずにこんな所で油を売ってるだなんて、いいご身分だこと。」
 シリンは呆れたように肩をすくめた。
「あなたにそんなこと言われたく無い。」
 神子が怒って反論した。
「神子殿!」
「神子殿…」
 慌てて、そしてやんわりと、白虎の2人は怒った神子が前へ…鬼の方へ出ないように押さえた。
 シリンはその様子を見て、唇をかんだ。
「何故お前ばかりが守られる? 自分の身を守ることも出来ないこんな小娘を、何故皆望む? お前さえ現れなければ、アクラム様の心は変わらなかったのに。」
 シリンは美しくもきつい眼差しで神子を睨んだ。
「おやおや、男の心変わりを他人のせいにするのかい? 野暮だね。 そんな男はさっさと忘れて次の恋を探すといい。君なら相手に不自由はしないだろう?」
 その場の緊張感を崩すような、友雅の軽い口調。
「お前達がそんな小娘を選ぶから、あたしはお館様の命を果たせなかった。あんな新参者に大任が回るだなんて…許せない。」
 シリンは白虎の2人にも鋭い眼差しを向けた。
「それは…私達のせいでは…」 律儀に答えようとする鷹通。
「やつあたりかい?」 からかう友雅。
「うるさい!」 怒気をはらむシリンの声。
「お前さえいなければいいんだ。そうすれば、お館様は私を見てくれる。私を必要として下さる。」
 一瞬、シリンの右手が衣の中に潜る。
 その不自然な動きを見て鷹通は駆けた。
「危ない、神子殿!」
 シリンが神子に向かって投げつけた鋼針は、とっさに神子の前に出た鷹通の体に突き刺さった。
「鷹通さん!」
 鷹通に駆け寄ろうとする神子を、友雅は押さえた。
「チッ!」
 再び鋼針を握るシリンの手を、鷹通はつかんだ。
「神子殿に危害を加えることは、許しません。」
 振りほどけない鷹通の力にシリンは意外そうな顔をした。
「ふん、腐っても八葉ってことか。すぐに倒れないだなんて大したもんだね。」
 鷹通の額に汗が浮かんでいた。みるみる顔色が悪くなっていく。
「鷹通さん?」
 後ろからでも、鷹通の体が小刻みに震えているのがわかった。
「今日はこいつだけで勘弁しておいてあげるよ。またね、神子。」
 シリンは鷹通の体に腕を回し…鷹通ごと姿を消した。


「体が…重い…」
 手足が鉛になってしまったかのように、まったく動かすことが出来なかった。
 立っている感覚はしない。腕に…手首にかかる己の重さ。
 顔を上げようとした時の「じゃらり」という音で、鷹通は目を覚ました。
「気がついたのかい? まったく、八葉ってのは虫並の生命力だね。 意識が無いままでも良かったんだけど…まぁ、いいさ。」
 薄暗い洞窟の中、蝋燭の明かりに照らされて、長い髪が金色に輝いている。
 美しくも危険な鬼、シリンが微笑んで鷹通の前に立った。
「いい格好だね、天の白虎。」
 鷹通は自分の姿を確認しようとした。
 冷たい壁に十字の形に貼り付けになった自分の体。
 両手首と足が固定されていた。
 そして、首にも何か…壁に固定はされていないようだが、圧迫感がある。
「じゃらり」とまた音がした。
「これが気になるのかい?」
 シリンは鷹通の首に巻かれて下がる鎖を手に取った。
 ぐいっと引くと、鷹通の顔が苦痛にゆがんだ。
「いいだろう? 帝の犬にはお似合いさ。」
 楽しそうにシリンが笑う。
「何・・を…」
 鷹通の声は掠れている。首を取られているせいだけでは無く、喉がからからに乾いていた。ひどく悪質な風邪をひいた時のように、頭が痛く、体が熱っぽい。
「お優しい神子様は、こんな姿の八葉を放っておけないだろう?」
 シリンは、はだけられた鷹通の胸に手を添えた。
 手当てはしてあるが、毒を塗ってあった鋼針の刺さった跡は紫色に変色している。
 傷口のすぐ横を、シリンは爪でかいて、薄く傷をつけた。
 赤い血が鷹通の胸を流れる。
「くっ…」
 痛みに、鷹通の眉が寄せられる。
 毒に抵抗してやつれた頬は、いつもよりも青白い。まるで消えてしまいそうなほど、儚げな印象を与える。
「あんたの神子様には、使いを出しておいたよ。天の白虎を助けたければ、一人で来るようにってね。4月11日…物忌みの日の夜にね。」
「そんな危険なことを、神子殿がなさるわけがない。」
 動揺する鷹通。あげた顔に、汗で長い髪が貼りつく。
「さてねぇ。来なかったら来なかったで、あんたを殺せばいいだけのこと。」
 シリンはうっとりと笑みを浮かべた。
「殺すなら、殺せばいいでしょう?」
「おや、あたしにそんな口を叩いていいもんだと思っているのかい? つれないね、薬まで飲ませてやったっていうのに。」
 シリンは唇を指で押さえた。
 鷹通はその意味に気付いて顔を赤らめる。
「ははっ。何期待してるんだい。このあたしに触れていいのはアクラム様だけさ。あんたに飲ませたのはね、ほら、こうやって。」
 シリンは鷹通の顎をつかんで口を開かせた。
 傍らに置いてあった杯を傾けて、鷹通の口の中に緑色の液体を流し込む。
「ぐっ。」
 あまりの苦さと、乾いた喉に引っかかるように落ちる粘った感触に、鷹通は咳き込んだ。
「はははっ。滅多に飲めない鬼の秘薬だよ。苦さも味わって飲むんだね。」
 楽しそうにシリンが笑う。
「ほら、神子。早くこないと、あんたの大事な八葉が危ないよ?」
 力なくうなだれる鷹通を、シリンは満足げに見つめた。



「鷹通さんっ!」
 シリンと共に消えた鷹通に手を伸ばしたけれど、どこにも…そう、どこにも鷹通はいなかった。
「神子殿、今日は帰ろう。」
「でも、鷹通さんが!」
「わかってる。でも、今は何も出来ない。だから、ね。」
 神子をあやすように、友雅の口調は優しい。一瞬、友雅の顔が苦しそうにゆがんだことに、神子は気付かなかった。

「鷹通さん…心配だな…」
 藤姫の邸の自分の部屋で、神子はため息をついた。
 余計な心配をかけないために、と、友雅は鷹通の邸に『八葉の任で帰れない』と使いを出していた。藤姫には逆に、『どうしても外せない用事ができて先に邸へ戻った』と。
「私、迷惑かけてばっかりだ…」
 またひとつ、神子はため息をついた。
「神子様、文が届いております…」
「あ、ありがとう。誰が持ってきてくれたの?」
「それが…子供が、綺麗な人から預かったと行って持ってきたものですから…」
「ふぅん。」
 薄紅色の紙と、添えられた真っ赤な…枝の無い、花だけの椿。紙に焚き染められた甘い香り。それぞれは普通のものなのに、何故か妙に嫌な感じがした。
「私も明日、文を書く時は取り合わせに注意しよう。あんまりくどくても…ねぇ。」
 軽く笑いながら神子は文を開き…そして動きを止めた。
「神子様? どうなされました?」
 心配そうにこちらを覗き込む女房。
「あ、いえ、なんでもないんです。お水…一杯いただけますか?」
 内容を見られないようにさり気なく女房を遠ざけてから、神子はあらためてじっくりとその薄紅色の文を見つめた。
 けれど、何回読んでも書いてある文面は同じ。
『11日の夜、大豊神社で。失せ物を探したくば、一人で。』
 神子はその文面を胸に刻んだ。

「どうしたんだい? 神子殿。先ほどから心ここにあらずだけど…」
 4月11日、金の属性を持つ神子には物忌みの日。
「鷹通のことが気になる?」
 小さい声で尋ねるのは友雅。鷹通がシリンと消えてから二日目。まだ、ごまかしは効いている。
「…はい…」
 やはり、小さい声で神子は答える。
「…手の者に探させてはいるよ。普通に、歩いて消えてくれれば見た人間も多いだろうに…まったく、鬼という輩はやっかいだね。」
 できるだけ軽い口調にしようとしてはいるが、事情を知る神子には、声に混ざる疲労の色で、どれだけ友雅が心配しているかがわかってしまう。
「無事・・ですよね。」
「ああ。あれで中々しぶとい所があるからね。鬼の姫君の機嫌を損ねさえしなければ、大丈夫だと思うよ。」
「それが心配なんじゃないですか。」
「ははっ。鷹通は女性を扱うことには慣れてないからね…。」
 無理して笑いを作ってみても、明るい話題を選んでみても、2人の笑顔にはどこか無理があった。

 そしてその日の夜半。
「誰もいない…よね?」
 こっそりと神子は部屋を抜け出した。
「物忌みの影響なのかは知らないけど、今日はとても眠いの…」と、早めに寝台へと潜りこんで、人がいなくなるのを待った。
 一応、人の形に見えるように、小細工はしてきたけれど。
「バレたら大変だもの。」
 あくまでこっそりと、庭を横切って、目をつけておいた木に登って塀を越えて…。
「よし、成功。」
 神子は小さくガッツポーズを決めた。
「おやおや。こんな夜更けに、神子殿はどちらへ行かれるのかな?」
「きゃっ」
 突然かけられた声に、神子は体をすくめた。
「まったく…。困った神子殿だね。物忌みの影響は、今日いっぱい続くのだよ?」
 友雅は肩をすくめた。
「友雅さん…どうして…」
「神子殿は考えてることが、全部顔に出るからね。朝から落ちつかなかったし、妙に意気込んでるし。何かあるだろうと思っていたけれど…邸を抜け出すとは思わなかったな。」
 意外そうで、どこか楽しそうな表情を友雅は浮かべている。
「一人で行かなきゃいけないの。お願い、見逃して?」
 神子は友雅に向かって両手を合わせた。
「いかに尊い龍神の神子殿の頼みだとはいえ、それは出来ないね。物忌みの日には、八葉が神子の側に控えなければならないと言われなかったかい?」
 意味ありげな友雅の笑顔。
「え? それじゃぁ…」
「気配を殺すことくらいわけは無いよ。こう見えても私は武官だからね。用はバレなければいいのさ。鬼にも………藤姫にもね。」
 神子と友雅は視線を合わせて、軽く微笑んだ。
「じゃぁ、行きましょうか?」
「ああ。囚われの姫君を助けにね。」
「あ、ひどーい。鷹通さんが聞いたら怒りますよ?」
「神子殿が言わなければ、伝わらないよ。」
「ふふ、どうしようかな…」
 神子と友雅は軽口を叩きながら大豊神社へ向かった。
 さっきまで、自分が鷹通を救わなければならないという使命感と、鬼と対峙しなければならないという緊張感と恐怖とで壊れそうだった胸が、友雅と一緒だというだけで落ちついていた。
 神子は友雅の顔をそっと見つめた。
『きっと死ぬほど心配してるのに、散歩にでも行くみたいな余裕の表情…。きっと、私のこと気遣ってるんだ。今だけじゃない。多分、ずっと前から。…優しいね。友雅さん。』
 神子は、胸に暖かい感情が湧きあがるのを感じた。

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