■fine today■ −2− 「ったく、傷だらけじゃねえか。ちゃんと手当てくらいしとけよ」 乱暴に言いながら、でも手当てする手つきは優しい。 「……ごめん」 言いながら、俺は手際よく手当てをする藤吾の手を眺めていた。 保健室には、藤吾と俺の2人だけだ。 養護教諭が不在のため、藤吾が手当てをしてくれているのだ。 藤吾の手つきが慣れているのは、何度となく俺の手当てをしているからだ。 「環は何で親父さんの手伝いしてるんだ? しょっちゅうこんな怪我までして」 「……それ、何回も聞いたよ、今まで」 「そうだっけ?」 「そうだよ……まあいいけど」 ひとつため息をついて、俺は口を開く。 「泣くからだよ」 そう、泣くのだ。 俺が手伝いを断ると、親父は泣く。 怒るとかお小遣い無しだとか、そんなことを言われるのならまだいい。 でも親父は怒らない。 その代わり、思い切り泣く。 『お父さんを見捨てるんだ』とか何とか言って。 人目を憚ることなく、道のど真ん中でも平気で。 でも親父が平気でも、こっちは平気じゃない。 通りすがりの人たちの目には、好奇の目と非難の目が入り交じっているのだ。 俺が悪いんじゃないのに。 まるで駄々っ子で、どっちが親なんだか……。 「3年前から進歩ねーな、環も親父さんも」 3年前、正確には4年前親父の手伝いを初めて頼まれた時と今。 結局、変わらない理由で手伝いをしている。 “泣くから” 確かに藤吾の言うとおり、進歩ない。 でも駄目なんだ俺、親父に泣かれるの……。 軽い自己嫌悪に陥ってしまい、俺は慌てて頭を振った。 その拍子に傷が痛み出す。 「ああほら、動くな」 何か、藤吾って俺の保護者みたい……。 俺は自分の考えに苦笑してしまった。 「もうちょっとで終わるからな」 「ああ、ありが……」 「失礼しまーす、先生、突き指したんですけど―――あれ?」 藤吾にお礼を言いかけた時、保健室の扉が勢いよく開き、元気な声が飛び込んできた。 扉を後ろ手で閉めて部屋の中を見ている男子生徒。 先生を捜しているのだろう、視線を彷徨わせている。 「先生なら今、席を外してるよ」 俺がそう答えると、ちょっとがっかりしたように肩をすくめた。 「そうなんですか……って、あああっ!!」 「うわっ」 俺の顔を見るなり、驚いたように大声を上げる。 その迫力に俺は仰け反って間抜けな声を出してしまった。 「ふ、藤倉環(ふじくら・たまき)さんっ!? 本物!?」 「え? そ、そうだけど……」 その勢いに気圧されながら頷くと、目を輝かせる。 「やっぱり! あ、俺、1年の高野暁(たかの・あきら)っていいます、よろしくお願いしますっ」 「は、はあ……」 何で俺のこと知ってるんだ? 「終わったぞ、環」 騒いでいる俺たち―――正確には騒いでるのは高野だけなんだけど―――を気にすることなく俺の手当てをしていた藤吾はそう言うと高野のほうを見た。 「手出せ、手当てするから」 「え?」 高野が首を傾げる。 何だ、聞いてないようでもちゃんと聞いてたんだ、藤吾。 俺は座っていた椅子から立ち上がり、高野をそこへ座らせた。 「あ、ありがとうございます。あの……すみません」 前半は俺に、後半は藤吾に向かってそう言った。 藤吾は無言で高野の指に湿布を貼る。 俺はそれを眺めながら、高野に尋ねる。 「何で俺のこと知ってんの?」 「そりゃあ俺、藤倉先輩のファンですから」 「……ファン……?」 何だ、それ? 高野のあっさりと、でもはっきりした言葉に、俺は面食らった。 「先輩のお父さんって刑事ですよね。で、先輩はその手伝いをしてるんですよね」 「…………」 「へえ、良く知ってるな」 藤吾は何でもないように言うけど、俺の頭の中は疑問でいっぱいだった。 親父の手伝いをしてるなんて、この学校じゃ藤吾しか知らないはずなのに。 「はい、それに俺、昨日見たんです」 藤吾の言葉に頷くと、高野は笑顔でそう言った。 「昨日って……」 まさか。 「はい! すごく格好良かったです、人を庇って間一髪で車を避けたところ。俺なんて、見てるだけだったのに、先輩はすごいです!」 あああ……。 あれを見られてたなんて。 よりにもよって同じ学校の後輩に。 頭を抱えたくなった。 すごいって言ってもらっておいて悪いけど、あの場合、俺が助ける以外どうしようもなかったんだ。 悪いのは逃げた奴だけど、俺が追っかけたせいで車道に飛び出したんだ。 「環」 それに、その時に一番近くにいたのは俺だし……。 「環!」 「えっ、何!?」 「もう授業始まるぞ」 「あ、ああ」 考え込んでいて、授業が始まる時間だということに気づかず、藤吾の声も聞こえていなかったようだ。 「じゃ、行くか」 保健室から出ようと歩きかけて、ふと後ろを振り返った。 椅子に座ったまま、まだ嬉しそうに俺を見ている高野を見て、その指先に目を遣る。 藤吾が貼った湿布が痛々しい。 「……指、大丈夫か?」 「え……あ、は、はいっ」 一瞬きょとんとした顔をした後、顔を真っ赤にして慌てて湿布が貼ってある手を振った。 大丈夫だというふうに。 それを見て、俺は安心して高野に笑いかけた。 高野はそれにますます顔を赤くする。 「あ、あの、ありがとうございました! ……じゃ、じゃあまた」 保健室を出る直前で高野がそう言う。 「じゃあな」 俺と藤吾はそれに軽く答えて教室へ戻った。 「やっぱ、環は親父さんの息子だよなあ」 「はあ? 何それ?」 教室へ戻るなり、藤吾が俺に話しかける。 その内容に俺は眉を寄せた。 親父の息子って……当たり前なんだけど。 ……ってそうじゃないか、この場合、性格とかのことを言ってるんだろうな。 それはそれで納得できないんだけど。 「怒んなよ。愛想が良いところなんてそっくりだと思っただけだって」 「愛想?」 「さっきの1年のことだよ。いきなりファンだとか言われて面食らってたかと思ったら、指の心配はするし笑いかけたりするし」 「ああ、何だそのこと」 ようやく合点がいって、俺は安堵した。 親父みたいなお調子者だと言ってるのかと思った。 「だって人事じゃないだろ? 俺、しょっちゅう怪我してるから」 怪我の理由は違うと思うけど。 でも痛いことに変わりはない。 「でも藤吾だって手当てしてただろ?」 「そりゃ怪我してるの放っとくわけにはいかねえだろ」 「そうだけど……」 「……まあ、さっきの1年の態度は別にお前のことからかってたようには見えなかったけどな」 そうか、藤吾はそのことを心配してたんだ。 何でもないように言ったりしても、俺のこと心配してくれてる。 ……やっぱり保護者みたいだ、藤吾って。 でも俺もそれに思い切り甘えてしまってる気がする。 居心地が良いから。 2002/12/23
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