■fine today■ −6− 高野と付き合いだして数日。 初めは、付き合うってどんなのなんだろうと戸惑っていたけど、特に何も変わらなかった。 相変わらず、高野は先輩先輩と元気に話しかけてくる。 周りから見れば、仲の良い先輩後輩に見えるだろう。 あの日のキスのことも、俺は高野に何も聞かなかったし、高野も何も言わなかった。 藤吾も何も言わない。 本当に、いつもの日常だった。 俺は、そのことにどこか安堵していた。 違うことと言えば、高野と一緒に帰るようになったことくらいだろうか。 でも、高野がいるのが当たり前みたいにはなってきていた。 その日も、高野と一緒に帰っていた。 帰るといっても、俺と高野の家は正反対の場所にあるから、一緒に帰るというよりは、友達と放課後に遊んで帰るような感じだった。 でも、今日は、いつもと違っていた。 高野が、俺の家に行きたいと言ったのだ。 俺はそれを承諾して、今、家に向かっているところだった。 隣を歩いている高野を見れば、本当に嬉しそうだ。 何というか、高野のことを放っておけない自分がいる。 でも、それが恋愛感情じゃないとは思うけど。 あんまり変わらないものだから、それについて考えなくなっている気もする。 そう思うと、高野に対して少し罪悪感を感じたりもしていた。 「お邪魔します!」 マンションの部屋に着くと、高野はそう言って部屋に上がった。 飲み物を用意して、リビングに並んで座る。 コップを手にする高野の指をふと見た。 もう、すっかり突き指は治ったようだ。 「あ、もう大丈夫なんですよ。明日から部活も出ようと思ってますから」 俺の視線に気付き、高野が笑って告げる。 「部活?」 「俺、バレー部なんです。朝練の時に突き指しちゃって」 俺は、今更ながら高野のことを何も知らなかったことに気付いた。 バレー部だってことも、突き指の理由も。 高野は俺のことを知っているのに、俺は何も知らない。 聞こうともしなかった。 好きだと告白されても、考えるのが嫌で……理解できないことを考えるのが億劫で。 ……もしかしたら俺は、高野の告白を真剣に受け止めていなかったのかもしれない。 「でも、部活出てたら先輩と一緒に帰れないんですよね。それはちょっと残念かな」 「高野……」 無邪気に、でも寂しそうに笑う高野に、俺は言葉を失う。 ……本気、なんだ。 俺には良く解らない感情だけど、でも―――。 高野が、真剣だということはすごく伝わってきて。 こんな曖昧な状況でいることが、高野に悪い気がする。 でも俺の答えは出ていない。 好きだけど、それは例えば……そう、親父に対する気持ちに似ているような気がする。 何となく、放っておけない。 いつも高野を見るたびに思う、そんな気持ちが。 親父とは全然違うのに、何故か、そう思ってしまう。 親父は俺の親のくせに本当に子供みたいで危なっかしくて。 でも、高野は――― ……高野は、何なんだろう――― 「先輩、俺……」 気がついたら、高野が俺のすぐ近くにいた。 俺はそれをじっと見ているだけだった。 思い詰めたような高野の表情から目を離せなかった。 だんだんと近づいてきて、触れるか触れないかという時。 「環ー」 間の抜けた声が響き渡って、リビングのドアが勢いよく開かれた。 高野はすぐに離れる。 勿論、俺も。 「お、お帰り」 そう言ってから、俺はいつもより早い親父の帰りに首を傾げた。 「親父、仕事は?」 「今日は早番。それと……ちょっと環に話したいことが」 「話したいこと? 何?」 「あー、でも、お客さんもいることだし、また今度でいいよ」 親父の視線が高野に向けられる。 それから後ろを向き、 「……というわけなんだ」 と声をかける。 誰かいるのかなと、ドアの向こうを見遣ると、貴子さんが立っていた。 「貴子さん?」 「こんにちは、環君」 にっこりと笑って、リビングに入ってくる。 俺はそれを妙な心境で見ていた。 話って、貴子さんに関係あること……? だから、貴子さんを連れてきた? 話って、……。 「友達?」 親父が訊くのに、考え事をしていた俺は反応が少し遅れる。 そして慌てて頷いた。 「ああ、後輩で……」 「違います」 「……え?」 俺の言葉を遮って、突然高野が言った。 俺は、高野の行動が解らなかった。 「友達じゃなくて、恋人です」 「た、高野っ?」 俺は目を剥いた。 何て事を言うんだよ。 親父の前で。 そりゃ、まるきり嘘ってわけじゃないけど。 でも。 「そうなのか? それは勘違いして悪かったね」 親父は驚いた様子もなく、軽くそう答えている。 ……そうだった、親父はそういう人だった。 眩暈を覚えながら、そのことを思い出す。 俺は親父と高野を交互に見遣りながら、何を言うべきか考えていた。 高野が何故、恋人だなどと言ったのか。 解らなかった。 それでも、何か言おうと口を開きかけた時、 「あら、そうなの?」 貴子さんの声が、耳に入ってきた。 「あ……」 そうだった、貴子さんがいるんだ。 高野は貴子さんの目の前で。 「違うっ。高野はただの後輩でっ」 そう思ったら、叫んでいた。 誤解されたくなかった、貴子さんに。 どうしてかわからないけど。 でも、誤解されたくなかったんだ。 「そ、そう……」 俺の剣幕に驚いた様子で、貴子さんはそう呟く。 今俺がどんな顔をしているのか自分では解らないけど、そんなの関係なかった。 高野の呟きを聞くまでは。 「……やっぱり……先輩は……」 「え?」 その先は、小さすぎて聞こえなかった。 でも高野の傷ついた表情を見て、俺は自分の言ったことを後悔した。 思い切り、否定してしまった。 一応、付き合っているのに。 それなのに。 「……俺、もう帰りますね。お邪魔しました……」 力無く、それでも立ち上がると、高野は逃げるように部屋から出て行ってしまう。 「高野……」 俺はその場でそれを見送るだけで。 遠ざかっていく足音を聞いているだけだった。 「追いかけなくて良いの、環君?」 貴子さんの声に、俺は我に返った。 「あ、でも……」 追いかけて、何と言えば良いんだろう? 追いかけても、俺は何も言えない。 高野を傷つけたことが解っていても。 「考えてる場合じゃないでしょ? 環君。追いかけよう、ね?」 貴子さんにそういうふうに言われると弱かった。 逡巡する俺を、貴子さんが促す。 「さ、行ってらっしゃい」 「……はい」 俺は家を出た。 貴子さんに言われたから、ただそれだけにしては、俺は慌てていた。 家を出る前は逡巡していたのに、いざ外に出てしまうと、俺は走り出していた。 今から走れば追いつけるかもしれない。 そう思って。 でも……。 学校。 高野と2人で行った喫茶店。 高野の話と自分の記憶をたぐりよせて、高野の家も探す。 1年ほど前、親父の仕事の手伝いをした日に、行った場所。 その近くに高野の家があるはずだから。 高野の話を思い出しながら、ようやく見つけた高野の家だったけど、留守だった。 「どこに……」 ここまで、高野を見つけることは出来なかった。 そのことに苛立ちながら、俺は来た道を戻る。 学校の前に着く。 ここで一旦休むことにして、壁に背を預ける。 高野。 あんな高野、初めてだった。 俺が、そうさせた……。 どれくらいそうしていただろうか。 もう高野は家に帰っているかもしれない。 もう一度、行ってみようか……。 そんなことを考えていると、ふと傍に誰かの気配を感じた。 「環? 何やってんだ、こんなとこで。帰ったんじゃなかったのか?」 「藤吾……」 声に振り返ると、そこには藤吾がいた。 心配そうに、俺を見て。 「何か、あったのか?」 「藤吾、俺……」 ここで、藤吾に会えたことで俺はほっとしていた。 縋るように、俺は呟く。 藤吾に、頼ってしまう。 俺、本当は……。 自分で思っているよりずっと、弱い……。 だから、藤吾に甘えてしまうんだ。 藤吾は俺を甘やかしたりはしないけど、ちゃんと話を聞いてくれるから。 俺は、安心できる。 藤吾の存在が俺にとってどんなに大きいか、改めて思い知った。 2003/2/2
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