■滅びの国■


−2−




 眩しい。
 目が覚めて一番に思ったのはそれだった。
(カーテン、引き忘れたっけ……?)
 目を開けようとして、しかし、あまりの眩しさにすぐに瞑ってしまった。
 とても目を開けていられない。
(ベッドの位置、変えた方が良いかな)
 そんなことをつらつらと考えながら、矩は今見た夢を思い返す。
 途端に、悔しさが襲ってくる。
 どうして夢の終わりを自分でコントロールできないのだろう。
(折角ラディスと話ができそうだったのに……)
 初めてラディスと目が合って、矩に対して何か言葉を紡ごうとした。
 そんな滅多にないチャンスが次にいつ来るのか。
 もしかしたら、今回きりになるかもしれない。
 そう考えたら、さっきの夢が惜しくてたまらない。

 ふと、周囲の空気が動いた気がした。
 矩はハッとして、思考を止めた。
(……誰か、いる……?)
 ここは自分の部屋、そして、ひとり部屋のはず。
 だから自分以外には誰も居ないはずなのに。
 いつの間にか視界を覆っていた眩しさが薄れていたことに気付き、その謎の気配が何か確かめるために、矩は恐る恐る目を開けた。
 目を開けたその先にいたのは――。
(嘘……な、何で!?)
 今まで見ていた夢に出てくるヴァリスタの国王――ラディス、その人だった。
(ちょ、ちょっと待って……俺、まだ目が覚めてなかった……のか? これって、夢の続き?)
 矩は激しく混乱した。
 周囲を見渡してみれば、そこは自分の部屋とは似ても似つかない。
 自分の部屋の何倍もあるような大きさの部屋、品があり精緻で繊細なデザインの施された調度品の数々。微かに褪せたような色合いは、今のこの国の雰囲気には似つかわしく見えて、どこかもの寂しさを思わせる。
 そして何より、ラディスが背にしている大きな窓。この国を見下ろせる窓だ。
 この窓から矩は、この国をラディスとともに見続けてきた。
 ――だからここは、夢の中の世界。
 確かに目が覚めたと思ったのは単なる思い過ごしで、実はまだ夢の中にいたらしい。
 ラディスの表情は、先程と同じように――いや、先程よりも更に驚いた様子で、矩を凝視している。
 こちらが一方的に見ていただけで、ラディスの方が矩を認識したのはこれが初めてだ。
 しかし、目を覚ましたと思う前と後では、ラディスの様子はあまりにも違いすぎた。
 その瞳は、何か信じられないものを見たというように大きく見開かれていた。
(感情を覗かせてくれたのは嬉しいけど……これはちょっと驚きすぎのような……)
 矩が目を瞑っていたほんの僅かの間に、そんなに驚くようなことがあったとも思えない。
 自分は、状況は、何も変わっていないはずなのだ。

「……お前は――……」
 呆然とした声が耳に届いた。
 ラディスが、初めて矩に向けて発した言葉――というよりは、ひとりごとに近い言葉だった。
 その間もラディスの瞳は矩から逸らされることはない。
「あ――……」
 矩は気圧されたように、言葉を失った。
 ラディスと話をしてみたいと思うのに、言葉が出てこない。
 いや、そもそも何を話したら良いのかも解らなかった。
 ラディスはそれきり口を開くことはなく、しばらくの間、静かな部屋の中で二人は固まったようにお互いを見詰めたままだった。

「陛下!! 今の光は……!?」

 突然、静寂を破るように、複数の足音と声が聞こえてきた。
 同時に、大きく戸が開け放たれる。
 それにより、呪縛が解けたように、矩とラディスはお互いを見る目を緩めた。
 ラディスの表情は、もういつもの冷静なものに戻っていた。
 それに少し落胆しつつ、矩は戸の方に目を向けた。
 飛び込んできたのは、先程、ラディスと話していた黒いローブの老人・ノーヴァと、二人の男。
 二人の男にも見覚えがある。
 頻繁にラディスの部屋に姿を現していた、ラディスの周りの空気を和らがせていた、あの二人だ。
 同じ茶色の瞳と髪、全く同じ顔をしている二人。
 違うのは、服装だけだった。
 確か、騎士風の格好で腰に剣を差している方がランスロット、ゆったりとした長衣を纏っている方がセイラード。
 三人の目が、ラディスを映す。
 そして――矩を。
「これは……っ」
 真っ先に反応したのは、ノーヴァだった。
 矩の全身を上から下まで食い入るように見ると、ラディスの方へと身体を向ける。
「陛下……これは……この御方は、いつの間にこのお部屋に」
「…………」
「陛下!」
「……ノーヴァがこの部屋を出た直後」
 いかにも渋々、といった様子で、ラディスは口を開いた。
「突然、空中に現れた。最初は実体のない陽炎のような姿に見えたが、周囲が強い光に覆われ――光が消えた後には、こうして実体を伴って俺の目の前に立っていた」
 ラディスの答えを聞くなり、ノーヴァは、老人とは思えないほどの俊敏さで矩の近くまで駆け寄る。
 矩はといえば、いつにない成り行きにただ突っ立っていただけだったが、ノーヴァが目の前で膝をつき、縋り付くような視線を向けてきたことで困惑してしまった。
「貴方様は……貴方様はもしや、御名を“ノリ”様と仰るのでは……?」
「そ、そうだけど……」
(何で俺の名前を知ってるんだろう……?)
「おお、やはり!」
 戸惑いつつも妙な迫力に圧されて矩が答えると、ノーヴァは途端に目を潤ませる。
 矩は、ぎょっとして思わず後退ってしまった。
「あ、あの……」
「この日をずっと待っておりました。ノリ様がここにいらっしゃるのを、長い間ずっと」
「あの……」
 言葉が続かない。
 何やら感動しているノーヴァを前にどうしたら良いのか解らない。
 そして、もうひとつ。
 矩は、不思議な感覚に囚われていた。
(これって……夢なのに、夢じゃない――?)
 今までの傍観者としての感覚とは違う。
 自分が現実にここにいるような感覚。
 夢の中の彼らと接したことで、そう感じるようになったのかもしれない。
 しかし、それだけが理由だろうか。
 矩には、今この時がすごくリアルなものに感じられて、とても夢だとは思えなかった。
 自分と彼らを隔てていた透明な壁が一気に崩れ落ち、視界が開けたような――……。
「ようやく、この日が参ったのですな……」
 その間も、ノーヴァの言葉は続いていた。
 そして、矩が耳を疑うようなことを、平然と言ってのけたのだ。
「ノリ様。貴方様は、我が王の伴侶となる御方なのでございます。……こうしてはおられません、すぐにも婚儀の支度をせねば」
「は……、こ……。…………」
(……って、何だそれ――!?)
 矩は言葉を失い、呆然とノーヴァを見詰めることしかできなかった。



2006/02/05



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