■滅びの国■
−3− 放心していたのは、ごく短い時間だ。 しかし矩にはそんな時間の感覚などなく、 「あっ」 ノーヴァが慌ただしく部屋を辞そうとしたのが目の端に映った瞬間、我に返った。 慌ててノーヴァのローブを掴んで引き止める。 「ちょ、ちょっと待っ……!」 「……! どうされました?」 突然の行動に面食らったのか、ノーヴァはつんのめりそうになりながらも、立ち止まってくれた。 「は、伴侶って……っ?」 「伴侶とは、人生をともに連れ添う相手のことでございます」 「――って言葉の意味を訊いてるんじゃなくて! ……“王の”伴侶って……まさか……」 「ヴァリスタ王国、第21代国王、ラディス・ヴィリア・ヴァリスタ様のことでございます」 「そのラディスと誰が……こ、婚儀だって?」 「勿論、貴方様とです、ノリ様。ノリ様はこの国にとって重要な意味を持つ存在なのです」 「重要な意味……?」 「はい。残念ながらどう重要な存在なのかまでは未だ私にも解りませんが……この国になくてはならない存在であることは確かなのです」 自分がそんなとんでもない存在だなんて信じられない。 しかも、“どう重要かは解らない”なんて、そんな曖昧な話があるのだろうか。 話を聞けば聞くほど、混乱が増していく矩だったが、 「ヴァリスタは今、危機的状況にあります」 そのノーヴァの言葉には、反応せずにはいられなかった。 それは矩も感じていたことだった。 夢でずっと、この国を見てきただのから。 しかし、この国の状況と自分の存在、そしてラディスの伴侶となることが、どう繋がるのか見当も付かない。 「ですから、私は考えたのです。この国を背負って立つ我が王と、この国にとって重要な存在のノリ様、御二方が伴侶となって手を携えて治世に当たられればヴァリスタの未来は開けるのではないか、と」 「そ、そんな無茶苦茶な……! 俺はそんな重要な存在なんかじゃないし、ありえないけどもしも万が一そうだったとしても、別に伴侶になる必要性はないんじゃ……」 「いいえ、この国になくてはならない御方同士の結び付きを強くするためには、伴侶となるのが一番の方法と存じます」 「…………」 (何かもう……どう言い返して良いかも解らなくなってきた……) 「ご理解頂けましたか? 陛下とノリ様の両肩には、ヴァリスタとここに住む民の未来がかかっているのです」 理解など出来るはずがない。 そもそも、自分がこの国にとって重要な存在だということが既に決定事項として話が進められていることが、理解できない。 (そうだよ。大体、そんなこと誰が決めたんだ?) 「そういうことですので、ノリ様は今は婚儀のことだけをお考え下さい。私は急ぎ、準備に取りかかります」 ノーヴァは至極当然のようにそう言い、足早に部屋を出て行こうとする。 疑問だらけの矩を置いて。 婚儀の準備なんて、とんでもない言葉を残して。 「俺は結婚なんてしない……!」 慌ててそう叫ぶ。 ラディスが気になる存在なのは確かだ。 しかしそれは、夢で見続けたラディスをもっと知りたいだけのことで、ラディスと結婚だとか伴侶だとか、そんなことは当然のことながら考えたこともない。 矩としては当然の主張だったが、ノーヴァにとってはそうではなかった。 矩の拒絶も、二人が男同士であることすらも、さらりと流して、 「突然のことで戸惑っておいでなのはお察ししますが、我々も切羽詰まっているのです」 あっさりとそう返されてしまった。その声音からは焦りが窺える。 (焦ってるのは俺の方だっていうのに……!) 冗談ではなかった。 このままでは本当に、あれよあれよという間に、ラディスの伴侶にされてしまいそうだ。 「ノリ様が陛下の伴侶になって下されば、この国はかつての姿を取り戻せるのです。ですから――」 「ノーヴァ」 尚も言い募ろうとしたノーヴァを制したのは、凛とした厳しい声。 ラディスだった。 「拒絶している者の意志を無理に曲げようとするのは止せ」 「何を仰います、陛下! ようやく現れた光明なのです。この機を逃すわけには参りません。すぐにでも婚儀を」 「俺は伴侶などいらないと、何度も言っているだろう」 「これまでとは状況が違います。こうして目の前にノリ様がいらっしゃるのです」 「状況がどう変わろうと考えを変える気はない。第一、ヴァリスタとこの者は何の関係もない。そんな相手に、不確かで大層なものを背負わせようとするのはお門違いというものだ」 「陛下!」 (――関係、ない……) ラディスの言葉は、歓迎すべきことばかりで、矩にとってはありがたいことのはずだ。 ノーヴァの考えがどうであろうと、王であるラディスが全く違う考えでいるのだから。 だというのに。 矩は、ひどくショックを受けていた。 ラディスの、“関係ない”という言葉に。 (確かに俺はこの国とは全く関係ないけど……) ただ、一方的にこの国の様子を見てきただけだ。 しかしそれは、決して短い時間ではない。 あの夢は、この国は、いつだって矩の育ってきた年月とともにあったものだ。 この国が豊かであった時は嬉しかったし、温かい気持ちにもなった。 緑が失われ、活気が失われていく度に、悲しい気持ちになった。 彼らを身近に感じるようになっていた。 その思いを否定されたようで、哀しかった。 こちらが一方的に見ていたことを知らないラディスが“関係ない”と言ってもおかしくはない。 それでも、湧き上がった哀しさを止められなかった。 「話は終わりだ、ノーヴァ。――それから」 「え……」 ノーヴァに向かって厳しい言葉を続けていたラディスが、不意に矩へと視線を向けた。 何を言われるのかと、緊張する。 「どういう経緯でこの世界に来たのかは知らない。元の世界に帰してやることも、元の世界に帰す方法を探してやることも、今の俺にはできない。だから、この国にいるというのなら止めはしない。ただ……この世界で暮らしていくためには、この国は不向きだ。この国の南にあるアリファルに行くと良い。国境の砦で、ヴァリスタから来たと言えば受け入れてくれるだろう」 ラディスは早口にそう言うと、さっと背を向けて戸の方へと歩いて行ってしまう。 部屋を出る直前、もう一度だけ矩を振り返ると、 「行くなら早い方が良い」 そうひとことだけ言い残して、静かに部屋を出て行った。 「陛下!? お待ち下さい、陛下っ」 その後を慌てたようにノーヴァが追いかける。 (――……) 残された矩は、ラディスに言われたことを心の中で何度も反芻していた。 感情の窺えない淡々とした言葉。 突き放すような言葉。 しかしその中に、矩のことを心配するような響きがあったように思えたのは……気のせい、だろうか――。
2006/02/07
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