■滅びの国■
−5− 「……それにしても。いくら聞き慣れているとはいっても、全く知らなかったこの国の言葉をここまで話せるとはね」 矩が何事か考え込んでいるのに気付いたのだろう、ふと、場の空気を変えるようにセイラードが軽い口調で言った。 「あ、そういえば……」 今まで特に意識していなかったが、言葉を聞き取ることはしても、実際に自分がこの国の言葉を話すのはこれが初めてだった。 にも関わらず、先程セイラードに夢の話をした時は、すらすらと自然に言葉が出ていたのだったと改めて思う。 「語学に強いのか、語感が鋭いのか、それとも余程この国に馴染んでいるのか――いずれにしても、言葉が通じるっていうのはありがたいね――さて」 本題に入る前に、と前置きして、セイラードは言葉を続ける。 「君は僕らのことを知っているし、今更だけど、改めて自己紹介をしようか。僕は、セイラード・リドウェル。王――ラディスの補佐官をしているんだ。そしてこっちが……」 「セイの双子の兄で、ランスロット・リドウェルだ。ランスでいい」 今まで黙したままひとことも話さなかったランスロットが、初めて声を出した。 話し方は違うが、声はほぼ同じ。 本当にそっくりな二人だった。 「ランスは、国王付き近衛騎士団長なんだ。といっても、護るのはラディスだけじゃないけどね」 「ああ、国民の安全を護るのも仕事ひとつだからな。……もっとも、職務を全うできているかどうかは……」 きっぱりとしたランスロットの口調に、苦しさが混じる。 それはその語尾にも現れていて、矩は首を傾げた。 「まあ、その話は追々するとして、次は君の番だよ」 「あ……俺は萩原矩、高校二年……って言っても解んないかな……ええっと……年は17で、地球にある日本って国からここに来て……」 「日本。それが君の……ノリの国なんだね」 「うん」 「日本か……この世界では聞いたことがない国だな。なあ、ノリ。ノリが俺達を知っていたのと同様、俺達もノリの名前だけは知っていたんた。ノーヴァから耳にタコができるほど聞かされていたからな」 「“ノリ様はいつかこの世界においでになる”がノーヴァの口癖でね」 「いつか……って、そのノーヴァって一体どんな人? 俺のことを重要な存在だって……ずっと待ってたって言ったり、名前を知ってたり……」 「そこからが本題だな。ノリが一番知りたいのもその辺りのことだろう」 ランスロットの言葉に、矩は大きく頷く。 「ノーヴァっていうのは、ヴァリスタ建国当時から王家が代々重用してきた預言師の一族でね」 「よげん……って、未来に起こることがあらかじめ解るとかっていうあれ?」 「その予言じゃなくて、預言――神の意思を聞いてそれを僕らに伝える者のこと。まあ、預言の内容によっては、予言的なものもあるんだけどね」 「ノリのことに関しては予言に近いんじゃないか?」 「……まあ、そう言えるかな。ノリ、この国はね、君もずっと見てきたように滅びゆく国なんだよ。かつては豊かで活気に溢れていたこの国は……もう、いつ滅んでもおかしくない」 セイラードは、努めて口調を変えずに話し出した。 この国のことを。 そして矩にも関わりのある預言のことを。 ヴァリスタは、エルビア大陸の東に位置している。 建国より約800年もの長きに渡って、災害にも見舞われず戦争もせずに存続できた国は、大陸の数ある国の中でもこのヴァリスタ以外にはなかった。 豊穣な土地、豊かな自然、周りを森林に囲まれた活気に満ちた街並みと人々の生活。 800年、天災にも戦火にも巻き込まれたことのなかった国と民は、年々豊かさを増し、当たり前のように平和な日々を過ごしてきた。 それは、歴代の国王とそれを補佐してきた人々による善政の結果といえる。 預言師の一族・ノーヴァもそのひとりだ。 ノーヴァ一族は、国そのものを至上の存在と崇め、国のためにならどんなことでもするとまでいわれる存在だった。 彼らの持つ、神の意思を聞くという稀な力を以て、国を影から支えてきたのだ。 彼らは国王の代替わりに併せて代替わりし、ひとりの国王にひとりの預言師という形を取ってきた。 新王の戴冠式の日、新たに預言師の名を継いだノーヴァが、託宣の儀式を行うのがこの国の慣わしだ。 国の重大な節目に神の意思を聞き、これからの国の繁栄を願う意味で行われるその儀式は、戴冠式と同じくらい重要なものだ。 儀式はしかし、豊かな国としての歴史が長くなる度毎に、その性質を変えていった。 民は良い託宣が降りることを疑わず、戴冠式の日には大変な賑わいを見せる。 本来、預言の間で厳粛に行われるべき儀式は、民への見せ物的な様相を呈してきてしまったのだ。 そして今回――第21代国王、ラディスの戴冠式の日。 ヴァリスタ建国以来、初めて、託宣が降りなかった。 前代未聞の事態に、国中がどよめいた。 しかし一番慌てたのは、儀式を行ったノーヴァ自身だ。 預言師の名を継いで初めての大切な儀式、ノーヴァはその失敗に打ちのめされた。 ラディスは動揺する民を宥め、失意のノーヴァに言った。 『託宣の儀式を行うのは本日、自分の代を限りに止める』、と。 ラディスは、託宣の儀式を行うことに対して、ずっと懸念を抱いてきたのだ。 以前の厳粛とした儀式ならいざ知らず、今の状態の儀式を存続させて良いものなのかどうか。 結局は代々続いた儀式を止められず、今回も儀式を行いはしたが――ラディスの懸念は的中してしまった。 そんな経緯から、もう遅いと解りつつも儀式の停止を言い渡したラディスに対し、ノーヴァは強硬に反対し、本来の形態での儀式のやり直しを願い出た。 渋るラディスに必死に言い募り行った二度目の儀式だったが、結果は一度目と変わらず、ノーヴァは神の意思を聞くことはできなかった。 善き日であるはずの戴冠式の一日は、国中に影を落とした。 更に追い打ちを掛けるように、街を囲む緑溢れる森林が枯渇し始め、その枯渇は徐々に徐々に街の中にも及んでいく。 豊饒な土地と森林の恵みを失った民の暮らしは、目に見えて悪化していった。 無論、ラディスたちもそれを黙って見ているだけではなかった。 しかし、立てた対策は悉く枯渇の進行に追いつけず、ついには手立てを講じるよりも早く枯渇が進んでいくに至った。 多くの国民は託宣が降りなかったことが原因だと考え、国を捨て他国へと行く者すらあった。 豊かで平和だった国は、少しずつ、しかし確実に滅びへの道を辿り始めたのである。 そんな中ノーヴァは、託宣の間に籠もるようになった。 飲まず食わずで、一睡もせず、ただ神の意思を聞くことだけを願って。 そうして何日祈り続けただろうか。 ノーヴァが託宣の間から出てきた時、憔悴した様子とは裏腹に、その瞳は希望の光を湛えていた。 そう――ノーヴァは、ようやく得られたのだ。 この国の光明となるかもしれない託宣を。
2006/02/15
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