■滅びの国■
−prologue(2)− 高い高い所から、遥か下を見下ろす人影がひとつ。 王冠を戴く青年の姿。 大きく開け放した窓から入り込む風が、青年の金色のかかった茶色の短い髪をなびかせる。 窓枠に軽く手を載せ、青年は身動ぎひとつしない。 青年の眼下に広がる景色は――果てしないほど空虚で、静かだった。 青年の表情からは何も読みとれない。 しかしその瞳は揺らぐことなく、まっすぐと目の前の現実を見詰め続けていた。 その茶色の瞳に、映し続けていた。 いつまでも。 どこまでも。 瞬きすら、忘れるほどに。 ただひとり佇む青年の姿は、どことなくその景色と似通っているようで――。 いつも、目を離すことができなかった。 「――……」 ふ、と意識が浮上した。 カーテンの隙間から、一条の朝の光が射し込んでいる。 萩原矩(はぎわら・のり)は、その光から逃れるように身を起こして大きく息を吐いた。 (今日もまた、あの夢……) いつ頃からだったかは覚えていないが、そのくらい長い間、あの夢を見続けている。 最初は時々見る程度だったのが、段々と夢を見る間隔が狭まり、最近ではほぼ毎日見ている。 知らない場所、知らない人々――しかし、長年見続けてきた光景は、今では随分と見慣れたものになっていた。 知らない国の、城の一室から見下ろせる、街並み。その先の荒野。 荒野は見渡せる限り続いており、緑の見える部分はほんの僅かだ。 夢を見始めた頃は、こんな風ではなかった。 今は荒野になってしまった場所は、緑溢れる森林だったし、花が様々に色づいて綺麗だった。 街は活気に満ちて、豊かな人々の暮らしが遠目からでも窺える――そんな光景だった。 それなのに、今の街はどうだろう。 かつての賑わいはなくなり、その有様は周囲を覆う荒野のよう。 いずれ、荒野に取り込まれそうな、そんな恐怖さえ感じさせられる。 色に譬えるなば、灰色。 段々と薄れていく色を、ずっと夢で見続けてきた。 ひとりの青年とともに。 その青年は、この国の王。 王冠を戴いた姿を見れば、簡単に想像できる。 青年はいつもこの部屋から国を見下ろしている。 自らの国が荒れてゆく様をどんな思いで見詰めているのか。 その表情も、瞳も、何も語らない。 一切の感情を表にあらわさず、空虚な国を見下ろす青年。 表情のない顔は、青年を冷たく見せ、近寄り難い雰囲気を滲ませている。 矩は、そんな青年の姿を見続けてきた。 まだ国が豊かだった頃、青年が王冠を戴く前から、ずっとずっと。 その頃の青年は、穏やかな表情をしていた。 時に笑い、時に怒り、感情をあらわすことに躊躇いなどなく、ただ自然な姿で街を見下ろしていた。 そこには近寄り難さなど微塵もない。 柔らかな表情は、その端整な顔立ち以上に、青年を魅力的に見せていた。 ――変わったのは、王冠を戴いてしばらく経った頃からだ。 少しずつ国の様子が変わっていくにつれて、青年もまた少しずつ変わっていった。 緑がひとつ消える度、街から活気が失われていく度、青年の顔から表情が薄れていった。 青年はいつもひとりだった。 周りにたくさんの臣下がいようとも、青年はひとりだった。 傍らに立つ存在はなく、訪れる臣下に対する時にも、感情を荒らげることもない。 黒いローブを纏った老人が何事かを懸命に訴えている場面を何度も見た。 それでも青年は平淡な声音で、諭すような口振りで、静かにそれを退ける。 だた、特に頻繁に姿を現す青年と同じ年頃の二人……彼らと接している時だけはその場の空気が和らぐような気がして、矩はほっとしたものだ。 老人との会話では感じられない感情も、その二人と会話している時には時折覗かせることもある。 彼らが話している言葉は異国のそれで、最初は何を言っているのか解らなかったが、長く聞き続けるうちに耳慣れた言葉になっていった。 全く解らなかった会話が、夢を重ねる毎に頭の中に浸透していって、広がっていく。 今では、完璧とはいかないまでもある程度なら解る。 そうなってくると、彼らがどんどん身近に感じられてくるようで、不思議な感覚に陥ったりもする。 それは矩にとって心地良いものだったが、青年の心が見えないのが酷く苦しく思えてならなかった。 青年の言葉は解っても、その言葉の端々から見えてくるはずの心が全く解らない。 青年の隠された感情が、気になって仕方がなかった。 これはただの夢なのに。 どうして、この青年のことがこんなに気にかかるのだろう。 夢は夢でしかないはずなのに。 しかし、それは日に日にリアルに迫ってくるかのようにも感じられ――。 それがただの夢ではなかったことを矩が知るのは、もう間もなくのこと。
2006/02/01
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