■月に惑いて■ −3− 「基と俺の、こと……?」 訝しげにそう呟く。 基の話だけじゃない……? 自分にも関係あること……。 「基は、あんたに何もかも話してるわけじゃない」 唐突に、勇士の声が降ってくる。 「そんなの―――」 解ってる。 そうでなければ、こんなに不安になったりしない。 「まあ聞けって。別にあんたのことを厭って話してないわけじゃないんだから。……むしろ逆」 彼方には勇士が何を言いたいのか解らない。 「あんたが大切だから、話せねえんだよ、基は」 大切だから、話せない? ……どうして? 「いや……そうじゃねえか。大切なあんたに嫌われるのが怖いから……だな」 「俺は、基を嫌ったりしない!」 勇士の言葉に、彼方は思わず怒鳴っていた。 「嫌うわけないだろ!」 基が自分に何も話してくれなくても。 ほんの些細なことで―――月見のことでこんなに不安になっても。 「そうは言っても、あんたが基や俺たちの何を知ってる? 知りたいと思う?」 「何なんだよ、あんた。何が言いたい」 苛立ちは、頂点に達しつつあった。 「知りたい知りたい。知りたいよ! でも、知りたくない……」 矛盾している。 けれど彼方の本当の気持ちだった。 基のことは知りたい。 知りたいけれど、基が話さないことを無理に聞き出してどうする? どうすれば良い? 「なら……教えてやろうか。基は―――」 「うるさいっ、聞きたくない。聞くなら、基の口から聞きたい」 「……じゃあ、ヒント。いつも一緒の基たちがあんたたちと過ごさない時は月見の夜だけか?」 「え……?」 「月見以外にも、あるだろ」 月見以外に、一緒に過ごさない時……? そんなの、あるわけがない。 離れている時なんて、思い出せない。 「ま、がんばって考えてみてよ」 そう言って勇士はここを去ろうとする。 「ちょっと待って!」 彼方は反射的に呼び止めていた。 「あんた、俺に話って何なんだ? それだけ言いに来たのか?」 勇士は微かに笑い、彼方の耳元に顔を寄せる。 「ちょっとしたおせっかいみたいなもんだ。基を見てるともどかしくってしょうがねえ」 「どういうこと?」 「さっさと言っちまえば良いんだよ、あれこれ考える前に」 そして勇士は今度こそ歩き出した。 彼方の心を更にかき乱す言葉を告げて。 『この前の月見の夜、基は俺の家になんか来なかったよ』 ふらふらと家の中に入った彼方は、まっすぐ自分の部屋へ行き、ベッドに突っ伏した。 最後に勇士が言った言葉が頭の中を駆けめぐる。 基は従兄弟の家に行くと言った。 その従兄弟は基は来なかったと言った。 どっちが正しい? そんなの決まっている。 勇士を信じる理由が何処にある? 基が嘘をつく理由が何処にある? だったら答えはひとつだ。 基の言うとおり、基は従兄弟の家に行った。 ……けれど、心は晴れない。 本当に基が嘘をつく理由はないのだろうか。 そう、考えてしまう。 だって勇士を信じる理由はないけれど、勇士が嘘をつく理由もない。 そして。 基が嘘をつく理由に、思い当たってしまう。 彼方に話せないこと。 それが月見と関係があるのだとしたら、それは嘘をつく理由になるのではないか? そこまで考えて、彼方は慌てて否定する。 月見なんて、些細なことだ。 ……些細なことなんだから。 ……本当に些細なことだろうか? 些細なことなら、嘘をつく必要はないのではないか? 勇士の言った言葉を思い出す。 『一緒に過ごさないのは月見の夜だけか?』 あの時はないと思った。 毎年過ごさないのは月見だけだと。 そう。 確かに、毎年月見は一緒に過ごさない。 他のことは“どちらかの都合が悪くて一緒に出来ないこともたまにあった”けれど、基本的には一緒に過ごしていたのに。 一緒に出来ないことも“たまにあった”のだ。 けれど、それが何だというのだろう。 都合が悪いことなど、どちらも時々はあることだ。 事実、柏原家の都合が悪くて一緒に出来なかった時ばかりではなかった。 久住家の都合の時もあったのだ。 ……それと基が話せないことと、どんな関係があるというのか。 彼方は、ベッドから降り、窓へと向かう。 窓を開けると、空は薄暗かった。 そのなかに浮かぶ月。 半月。 ……月。 月見の夜は、満月だ。 それから……。 「嘘、だろ……」 共通点。 勇士が言っていたこと。 柏原家の都合で一緒に過ごせない時は、いつも……満月、だった。 そこまで解っても、彼方にはそれがどういうことなのか解らなかった。 解るのはただ、満月の夜に基と一緒にいたことがない、ということだけ。 それが何を意味するのかは解らない。 けれど些細なことだと思っていた、いや思いたかった月見のことが、本当は些細なことなんかではなく……。 とても重要なことだった……? とても……。 「あのね、もといちゃん、よるにおとうさんとおかあさんがね、てれびをみてたの」 「なにをみてたの?」 「えっとね……だよ。ぼくがちかくにいったら、みちゃだめだよっていうんだ」 「…………」 「…………から、いいこははやくねなさいね、っていうの……」 「…………」 「ねえ、ほんとに…………かなあ。だったら、おとうさんとおかあさんのいうこときいたほうがいいよね」 「かなちゃん……」 「そしたら…………よね」 「かなちゃん、……がこわいの?」 「うん。こわい……」 「じゃあ……は?」 「こわくないよ」 「だったら、だいじょうぶだよ」 「なんで?」 「だって、…………だもん」 「え?」 「…………ならだいじょうぶ。それにね、かなちゃんはぼくがまもるから、ぜったいぜったいまもるから……」 「もといちゃん……?」 「…………からもぜったいまもってあげるから。…………ないよ」 「もといちゃん……」 「だから、なんにもこわいことなんて、ないからね」 「また……だ」 また、あの夢。 今までよりも少し長かった。 けれど、肝心なところは抜け落ちたまま。 基が確かに言った言葉なのに。 思い出せないのがもどかしい。 勇士と話した翌日は、まともに基と話せなかった。 目も合わせなかった。 こんなこと、初めてだった。 基は不審に思ったのだろう、よく彼方の顔を覗き込んだ。 けれど、彼方は顔を背ける。 基の顔を見て、冷静でいられるとは思えなかったから。 月見と満月と……。 それらを問いつめたかった。 衝動のままに。 それをしないために、基を避け続けた。 基と話せない時間は、想像以上に彼方を打ちのめした。 基といることが、当たり前になりすぎていて。 前進も後退も、出来なかった。 「あ」 1週間ほどが経った頃。 基の家の前に勇士が立っていた。 彼方は勇士に近づく。 「考えた? 俺の言ったこと」 「……考えた」 「それで? 何か解った?」 「解ったけど、解らない……」 正直に言った。 目の前のこの男のせいで、基と話せなくなってしまった。 その憤りを抑えて。 「満月……それだけ」 「正解」 「でも……それだけ、だ」 「満月が意味することが解らねえ?」 「解らない……」 「ま、普通はそうかもな」 勇士は基の家の門に寄りかかって、空を仰ぐ。 「解れってほうが無理なんだよ……基は一生、言いそうにねえしな」 不意に、勇士の彼方を見る目が険しくなる。 「……あんたの、せいでな」 「俺の、せい……?」 勇士の言葉に身体が強ばる。 「あんたこの1週間、何を思った? 俺の言葉のせいで基とうまくいかなくなったと思ってたんじゃねえか?」 「……っ」 図星を指されて、彼方は目を伏せた。 「あんたがそんなだから……基は何にも言えねえんだ。知りたいなら、知りたいってはっきり言え。言ってくれなくても、言うまで粘ってみろ!」 勇士の雰囲気、言動が変わっていく。 険しく、厳しい。 勇士の言葉が胸に突き刺さる。 勇士の言うことは正しい。 本当に知りたいなら、どんなことをしてでも聞きだせばいい。 それが出来ないのは。 「知ることが怖いか? それとも……無理に聞きだして基に嫌われたくないのか? ……両方、なんだろ?」 最後の言葉は、思いの外、優しかった。 そうだ。 知るのは怖い。 基が言わないのは、良いことではないから。 基と彼方にとって良いことではないから。 それを無理矢理聞きだして、基に嫌われたら? そんなの、耐えられるはずがない。 だから。 「結局、2人とも臆病になってんだよ。この際、思い切りぶつかってみろ」 じわじわと、胸に浸透していく言葉。 「……うん」 彼方は頷いた。 「よし。丁度今日は満月だからな。ま、頑張れよ」 完全に、前の雰囲気に戻った勇士が、彼方の頭をぽんと叩く。 「うん」 ……うん。 今日は、意地でも聞き出す。 満月だから離れているのは、嫌だ。 「わっ、なっ、何っ!?」 突然、勇士に抱き込まれて彼方は叫んだ。 逃れようともがく。 「抱き心地良いなあ」 けれど、更にきつく抱きしめられた。 「基やめて俺にしねえ?」 「なっ、何言ってんだよっ。離せっ」 ついさっき彼方に発破をかけてくれた時とは正反対のその言動に驚きながら、必死に叫ぶ。 だんだん、息苦しくなってくる。 とにかく、どうにかして逃れようと思ったその時。 ふと、勇士の拘束が緩んだ。 その視線の先にいたのは、基だった。 2002/12/23
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