■月夜を抱く君■
−2− 今日は朝から最低な気分だった。 学校に行きたくないとは思うものの、そういうわけにもいかず、寝不足のまま、のろのろと支度をして家を出た。 学校に近づくにつれ、出会う人は同じ学校の生徒が多くなっていく。 その中を、居心地悪く歩いた。 追い越し追い越され。 そのほとんどの人が、和都を見ている。 何か言いたげに。 ――何が言いたいかは、よく解っていたのだけれど。 「……はあ」 でるのはため息ばかりだ。 そんな調子で校門までたどり着いた。 更に生徒の数が増えている。 その生徒たちの視線が痛い。 靴を履き替えていると、ぽんと肩を叩かれた。 振り返ると、友達の亮太(りょうた)と瑞希(みずき)がいた。 亮太と瑞希とは、小学校の時からの付き合いだ。 クラスが別れても、変わらずに仲良くしていた。 高校に上がってからは、幸運にも2年間、ずっと同じクラスだ。 お互い色々なことを相談し合ったりして、時には言い争ったりもしたけれど、いい友達付き合いが出来ていると思う。 「おはよ、和都。……お前、ブレザーは?」 「……おはよ」 さっきから会った生徒たちが言いたかったであろうことを亮太はあっさり口にした。 当たり前といえば当たり前だけれど。 「せめてベストとか着て来いよ」 「あ……そっか」 亮太にそう言われて、そうすれば良かったと思う。 けれど、今朝はそれどころではなかった。 制服のブレザーがないことに気づいたのは、今朝起きてすぐだった。 いつもブレザーと一緒に掛けてあるネクタイが、今朝はYシャツと一緒に掛けてあった。 それからブレザーを探し回ったけれど、結局見つからなかった。 おまけに今朝は寝不足だったため、本気で欠席しようと思ったほどだ。 けれど親に上手い言い訳も思いつかず、のろのろと支度をしている途中で、寝不足とブレザーがない理由に思い当たった。 昨夜のことだ。 ブレザーは脱がされたまま置いてきてしまった。 あの時は逃げることしか頭になかったから、ブレザーのことなどすっかり忘れていたのだ。 寝坊の理由は昨夜の出来事全てだ。 自分の身に起こったことが頭の中をぐるぐると回り続け、ほとんど眠れなかったのだ。 結局、見知らぬ男に襲われそうになった、とそういうことなのだろうか……。 どうして自分が、男に襲われなければならないのか――。 「……と。和都!」 「え……?」 「え、じゃねえよ。お前さっきから変。どうしたんだよ」 乱暴な口調でありながらも心配そうな瑞希の言葉に、昨日のことを言おうと思ったが、思い止まった。 今まで大抵のことは相談してきたけれど、さすがにこれは言えない。 「えっと……そ、そう、ブレザーだったよね。……なくしたんだ」 「なくした?」 「そ、そう。あの、塾で……」 「ああ、忘れてきたってこと?」 「う、うん……」 嘘だ。 本当は男に脱がされて、そのまま置いてきたんだ。 けれど、言えなかった。 だから、そう言うしかなかった。 瑞希との会話を聞いていた亮太が、少し考えて口を開く。 「塾か……確か今日も、授業あったよな?」 「うん」 「今日は忘れずに着て帰れよ」 「……うん」 和都は曖昧に笑みを返す。 ……ブレザー、どうしよう。 公園に一晩中放置されていただろうから、探しても見つかるかどうか解らない。 それに、和都は公園には行きたくなかった。 二度と行かないと、決めたのだ。 「教室行こう、遅刻するから」 「あ、うん」 亮太に促されて、歩き出す二人の後を慌てて付いていく。 上はYシャツだけの制服が、異様に冷たく感じる。 まるで、今の自分の心のように、寒く、憂鬱だった。 放課後。 憂鬱な気分で、和都は塾に行った。 和人の通う塾は、基本的には月・水・金の週3回、午後6時から9時までだ。 今日は木曜日だけれど、個別授業というのがある。 これは、普段の授業と違い、講師と生徒、1対1で行われる。 生徒各自の進路に合わせて授業や進路相談をするのだ。 火・木・土は、その特別授業に当てられていて、和都は木曜日がその授業の日だった。 塾が終わると、空はすっかり暗くなっていた。 今は午後7時。 授業開始は午後5時だった。 個別授業の日は、始まりも終わりも早いのだ。 今頃は、他の生徒が授業に入っているだろう。 外に出て、立ち止まる。 ……どうしよう。 公園に行ってみようか。 本当は、行きたくない。 けれど、ブレザーを何とかしないと、明日亮太と瑞希に何て言えば良いのか。 塾の前で、和都は途方に暮れた。 煮え切らない自分が嫌だった。 考えるよりも先に、さっさと公園に行けば良いのだ。 けれど、公園にブレザーがなかったら? どうしよう……。 散々悩んだ末、結局、和都は公園に行くことにした。 もう二度と行くまいと決めた公園に。 公園は、広い。 昨日、ブレザーを脱がされた場所を探すのは一苦労だった。 何しろ、ほとんど覚えていなかったのだから。 仕方なく、公園中を歩き回る羽目になってしまった。 やはり昨日の場所がどこなのかさっぱり解らなかったけれど、公園中を探し尽くしてもブレザーはなかった。 さすがに疲れて、よろよろと近くにあったベンチに座り込む。 「はあ……」 今日、何回目のため息だろう。 疲れと寝不足と、憂鬱さと。 ここにいると、昨夜の恐怖さえも思い出しそうで――。 それらがないまぜになって、身体が重くなっていく。 頭が痛くて、左手で押さえる。 ふと目に入った時計を見ると、既に9時近かった。 2時間も、ここにいるのか。 そろそろ帰ろう。 ブレザーのことを気にしつつも、どうしようもなくて、立ち上がろうとした。 けれど、立ち上がれなかった。 凍り付いたように、身体が動かなかった。 眼前に現れた人物のせいで。
2006/03/09
|