■月夜を抱く君■


−3−




「昨日と大体同じ時間帯だな。来てみて正解だった」
 男はそう言って、座っている和都の目線に合わせるように身をかがめた。
「あ……」
 喉に何かが詰まっているような、息苦しさを覚えた。
 今、目の前にいるのは、昨夜の男だ。
 和都は何も言えず、身を固くする。
 何故、ブレザーが無いと解った時点で帰らなかったのだろう。
 何故、ベンチに座ってしまったのだろう。
 何故、目の前に、あの男が居るのだろう――。
 何故。

 昨日の事が脳裏に焼き付いている。
 恐怖と混乱と。
 憤りと。

 知らず、和都は目の前の男を睨みつけていた。
「そんなに睨むなよ。日高和都(ひだか・かずと)君」
「何で……」
 フルネームを呼ばれ、和都は目を瞠った。
 何故、自分の名前を知っているのだろう?
 男は、悪戯っぽく笑うと、胸ポケットから手帳のようなものを取り出す。
「あ……!」
 見覚えがあった。
「それ、僕の……」
 生徒手帳。
 ブレザーの胸ポケットに入れてあった、和都の生徒手帳だった。
「昨日、忘れていっただろ」
 生徒手帳を突き出され、思わずそれを受け取る。
「見たんですか」
「ああ。見なきゃ、誰のか解らねえからな」
 正論だった。
 腹立たしいほど。
 そして、自分にも腹が立った。
 明らかに相手が年上だとはいえ、こんな男に敬語を使っている自分に。
「さて。……付いて来いよ」
 ぐい、と腕を引っ張られ、無理矢理立たせられた。
「は、放してくださいっ」
 足を必死で踏ん張った。
 冗談じゃない。
 何処へ連れて行かれるのか解らないけれど、昨日の二の舞だけは御免だ。
 けれど、男の力は強く、ずるずると引っ張られていく。
「そんな警戒しなくても、何もしねえよ」
 信用など出来るはずがない。
 和都は、死に物狂いで抵抗した。
 そんな和都に、男はため息をついて足を止めた。
 腕は放してもらえなかったけれど。
「……ブレザー」
「えっ?」
「探してたんだろ。俺が拾っといたよ」
「あ……」
 そうだ。
 生徒手帳をこの男が持っていたということは、当然、ブレザーも男が持っているはずだ。
 では、和都に返すために、この公園に来たというのだろうか。
 けれど、と和都は思い直す。
 だったら、生徒手帳だけ持ってくるなどということはせずに、ブレザーもここに持ってくるのではないか。
 男を見ても、ブレザーを持っている様子はない。
「どこに……あるんですか」
「付いてきたら返すよ」
「……ここに持ってきてください」
「二度手間だろ、一旦戻ってまたここに来るなんてさ」
 だったら最初から持ってくれば良いんだ、と喉元まで出かかって堪える。
「夕飯、付き合えよ。そしたら返してやるから」
「………………」
 このまま大人しく付いていって大丈夫なのか。
 けれど付いていかないとブレザーは戻ってこない。
 和都は究極の選択を迫られた気分になって、唸った。
「考えるまでもないだろ」
 男の低い声が、頭上から聞こえる。
「付き合うよな?」
 それは、確認ではなく、ブレザーを盾に取った命令だった。



 街灯が照らす夜道を、2人で並んで歩く。
 結局、半ば押し切られるような形で男に付いてきてしまった。
 和都は、それを、早くも後悔していた。
 ブレザーよりも、自分の身を心配すべきだったのではないか、と。
 男がどこへ向かっているのか、見当も付かない。
 夕飯に付き合えと言っていたから、ファミレスとかかな、とは思うけれど。
 和都は、隣にいる男を観察してみた。
 昨夜は男の風貌を気に掛ける余裕など当然のことながらなかったから、まじまじと見入ってしまう。
 年上だということを差し引いても、和都よりもはるかにがっしりした体格。
 顔立ちも、整っているというのか、格好良い部類に入るのではないだろうか。
 自分はどうだろう。
 17歳という年齢に似合わず華奢な身体。
 顔も、童顔というわけではないけれど、何処か幼さが残っているような感じだ。
 そのことをコンプレックスにも思っていた。
 そのがっしりした体格の半分でも分けてくれないかなと、無茶なことを考えていると、
「何?」
「え?」
 男の声が急に降ってきて、驚いて男の顔を見返した。
「さっきから俺のことじっと見てるだろ。……格好良いから見惚れてたとか?」
「そんなんじゃないですっ」
 きっぱり否定すると、男は苦笑した。
 ……羨ましいのは体格だけだ。
 こんな、性格が悪くて軽薄そうな、訳の解らない男に見惚れるはずがない。


「着いたぞ」
 男が不意に立ち止まった。
「え……こ、ここ……?」
「そう」
 ぐいと腕を引っ張って、中に入ろうとするのを慌てて押し止めた。
「待ってください、ここ、居酒屋じゃないですか」
「それが?」
「僕、未成年です」
「解ってるって。別に酒飲まなきゃ問題ないだろ」
 そう言って、男は扉を開け、暖簾をくぐる。
 和都も、戸惑いながらそれに続いた。
 暖簾には「柏原」と書かれていて、それが店の名前のようだった。
 扉を閉め中を見渡すと、こぢんまりとした、けれど、温かみのある店内の様子が見て取れた。
 ただ、テーブル席にもカウンター席にも客はいなかった。
「ああ、勇士(ゆうし)。やっと来たのね、待ってたのよ」
 知り合いらしく、店の女将がにこやかに男に話しかけている。
 男の名前が、勇士だということを初めて知った。
「その子が、話してた子?」
「ああ。夕飯食べるから何か出してくれ」
「はいはい、ちょっと待っててね。……さ、そこに座って」
 和都の方を見、カウンター席を示す。
「あ……はい」
 大人しく、和都はカウンター席に座った。
 その隣に勇士が座る。
「今日は、早めに店終いしたのよ。勇士が貴方を連れてくるって言うから」
 女将はにこにこと楽しそうに、和都に話しかけた。
「え……」
 和都は戸惑う。
 自分が来るから、店終いをした?
 居酒屋というのは、これからが稼ぎ時ではないのだろうか?
「勇士が誰かをここに連れてくるなんて初めてのことなのよね」
「はあ」
 曖昧に返すしか、どうしようもなかった。
 随分、親しげだ。
 2人の関係をはかりかねていると、勇士が口を開いた。
「これ、お袋」
「親に向かって、これはないでしょ」
 そう言って、女将は和都に向かって軽く頭を下げた。
「初めまして。この子の母親の柏原杏子(かしわら・きょうこ)です」
「あ……日高和都です。えっと……」
 和やかな杏子の物言いにつられたように、和都も名前を告げたものの、それ以上はどう言えば良いのか解らなかった。
 そんな和都に微笑むと杏子は、御飯をよそったり、おかずを選び取ったりと、2人に出す料理の準備を始めた。
 勇士は出されたお茶を飲んでいる。
 和都も同じようにお茶を飲みながら、そんな2人を交互に見ていた。
 ……親子。
 随分雰囲気の違う親子だと思った。
 けれど一番驚いたのは、勇士に対してだった。
 昨夜の勇士とは明らかに違う。
 あの夜の出来事と公園で再び会った時に感じた恐怖は、ほんの短い間に薄れてしまっていた。
 今の勇士からは、あの時の獰猛さは感じられない。
 こうやって隣合って座っていても、不思議なほど心は落ち着いていた。
「おまちどおさま」
 やがて、杏子が料理を出してくれた。
 御飯に、具のたくさん入った御味噌汁。
 煮物に、焼き魚、湯豆腐。
 漬け物と海苔。
 いつも自分の家で用意されているような、メニューだった。
 それがかえって、食欲を刺激する。
「食えよ」
「……はい」
 そっと、箸を持ち、煮物を挟み、口に運ぶ。
「……美味しい」
 まるで、杏子の雰囲気が移ったかのような、温かくて優しい味だった。
「そう? 良かったわ。どんどん食べてね」
「はい」
 ブレザーを探し回ってお腹が空いていたこともあり、和都は食べることに没頭した。
 その様子を、勇士は満足そうに見ていた。
 昨夜の出来事の全てを覆すような、時間だった。


 出された料理を和都がほぼ食べ終えた頃、勇士は立ち上がった。
「ブレザー取ってくるから、待ってろ」
「あ、はい」
 和都が頷くと、勇士は店を出ていった。
「10分くらいで戻ってくると思うわ。家は店の裏の方にあるのよ」
「はい、解りました」
「あ、ねえ。柿は好き? 丁度、美味しいのがあるのよ」
「はい、好きです」
「良かった。今、皮を剥くわね」
 杏子が器用に柿の皮を剥いていくのを和都はぼんやり見ていた。
 そうして、考える。
 昨夜のことを。勇士のことを。
 昨夜の恐怖と混乱しか呼び起こさない勇士と、今日の勇士。
 あまりに違いすぎて、もしかして昨夜のことはみんな夢だったのだろうか――などと、有り得ないことまで考えてしまう。
 あれは、間違いなく自分の身に降りかかった出来事だというのに。
 昨夜の勇士は一体何だったんだろう。
 一体、どれが本当の勇士なんだろう。
 けれど、一番、不可解なのは。
 今のこの時間が、この空間が、何故か居心地が良く感じられるということ――。



2006/03/20



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