秘密だ 3 どうしてこう、自分はついていない。 会いたくない、見たくないと思っている時に限って、こうもタイミング良く見てしまうとは。疲労が一気にピークを迎え軽い眩暈がした。 なのに、問題の男は呑気な顔してゾロにあのお得意の「おいでおいで」をしている。それが余計に疲れとして蓄積される。いつもなら、あそこまで行ってあのフザケた頭をぶん殴ってやるのに。そう思うのに、今はその気力さえない。 ゾロはカクッと力なく項垂れると、アレは見なかったことにしようと、黙って見張り台へ登った。 早く一人っきりになって、何もかも忘れたい。 見張り台の中へ入ると、ドスッと腰を下ろしてすぐに目を閉じた。目を閉じて思う。このところの悪夢のような出来事が、目を開けたら全て夢だったらいいのに、と。それだったら、どんなにいいか。 つまりそう思うくらいに、ゾロは珍しく―――弱っていた。 「見張りが寝るなよ」 その声で、一気に覚醒した。 あまりの疲れに思いっきり寝入ってしまったらしく、目を覚ますと、すぐ目の前にサンジの顔があった。時間にしたら五分か十分程度のことだったとしても、それでもここまで近くに来られてその気配に気づかないとは。 慌ててズリズリと後ろへ下がる。しかし、所詮狭い見張り台の中。大の男二人を遠ざけるくらいの距離などない。それでもゾロは出来るだけ離れようと、背中をピッタリ壁に張り付かせ、威嚇するように足を伸ばした。 「……なんでそっち行くんだよ」 「うっせぇ、傍に来んな」 「んなこと言ったって、傍に行かねぇと渡せねぇだろ」 何を、と問う前にゾロの足の上にポンと何かを置かれた。 「夜食」 「……」 「お前、さっき取りに来なかっただろ? わざわざ持って来てやったんだ、感謝しろよ」 そういえば、普段は此処へ登る前に自分で夜食を取りに行く。それが今日は疲れていた所為、勿論サンジの所為も含めすっかり忘れていた。 「ベーコンと茸のキッシュにスパイシーチキン、温野菜サラダ。ホットワイン付きの豪華夜食四点セットだ」 その言葉どおり、いつもより多めの夜食だった。その所為か、断るタイミングを逃しその場の流れも手伝ってか、ゾロは素直に受け取ってしまった。 今更だが、どうしようかと悩む。昼間の一件もあるのに、それを受け取るのもどうかと思う。しかし、いらないと突っ張るには勿体ないと思ってしまう程、料理が美味そうなのもまた事実。 難しい顔して困っていると、サンジが胸ポケットから煙草を取り出した。その場で火をつけ、ぽわーっと白い煙を吐き出す。 「居座る気か、テメェ……」 「あ? 追い出す気か? 心優しくも、夜食を運んできたこの俺様を」 ああ、そうだ、という本音は、立ち昇ってきたホットワインの湯気でかき消された。 ゾロは諦めたように溜息一つ零し、さっさと食べてしまおうと夜食に手をつけた。早く食べてお帰り願うのだ。丁度腹も減っていたし、今は床に座っているからケツを触られることもないだろうと。 ただ、一応万が一ということもあるから、サンジから目を離さず警戒しながら食べることにした。キッシュとチキンを手づかみで食べ、サラダは小鉢を持って一気に口の中へかき込む。ホットワインも多少熱かったが、ゴクゴク飲み干した。 そうやって、ルフィ並の早さで完食すると空になった皿とコップをトレイに載せ、それごとサンジの方へ押しやる。食べ終わったから、それ持ってさっさと降りろと無言で訴えた。 だが、サンジはそれを見つめたまま動こうとしない。 もう一度、トレイを押す。それでもサンジは空になった皿ばかり見ている。 その視線の居心地悪さに 「ごちそうさん」 半ばヤケになったように言った。 すると、サンジが顔を上げてニカッと笑った。 「おう」 それから「見張り頑張れよー」と言い残し、ゾロが驚く程すんなりと見張り台を降りていった。 見張り台から下と見ると、まっすぐラウンジへ向かう黄色い頭が見える。一体、何しに来たんだ……と首を捻り、いや、何しに来たって、その考え方はおかしいだろうと自分に突っ込んだ。本当に夜食だけを届けにきたということなら、それはそれでいいことなのだから。 上を見れば、月が出ていた。 なんとなく、さっき見た黄色い頭に似ているなと思った。それから、どうしてあのアホコックはああなんだとか、あの男の考えてることはさっぱりわからんとか。 大体、惚れているだなんだと言ってきて、それが相手の尻を触るという行動に結びつくこと自体がおかしいのだ。普通に考えても相手の了解なしにそんなことをすれば、嫌われるに決まっている。というか自分はかなりムカついている。 そう考えても、やはりどれもこれも嫌がらせの一環だと思えてくる。 第一、本当に惚れていると言うのであれば、もっとそれなりにわかるような素振りをするべきであって、そうすれば自分とて考えなくも――― 「……って、何考えてんだ俺は」 そうだ。真面目に考える方が間違っている。 「あんなコックのことなんて、どうでもいいだろ」 そんな呟きは夜空に溶けた。 その日から、サンジはゾロが見張りになると、必ず夜食を持ってくる。単にゾロがサンジへ近づきたくない、その一心で夜食を取りに行かないから、サンジが持って来るというだけの話だが。サンジの方もそれについて特に異存はないのか、黙って運んでくる。 ただ、そうやって素直に運んで来られると、ゾロとしては怒るわけにもいかず非常に困るのだが、でも怒ってばかりもいられず、結局は渋々といった感じでそれを受け取っていた。 そして、その夜食を食べてる時だけは、嘘のように平和そのものだった。昼間は相変わらず尻を触ろうとしてきて乱闘になるが、夜だけは何をするでもなく、静かに夜食を食わせてくれる。 いつだったか、静かだなと口に出して言ったら 「なんだ? なんかして欲しいのか?」 とニヤニヤされた。以来、その言葉は禁句だ。 今夜もまた、ゾロはラウンジへ寄らずに見張り台へと登る。ロープに足をかけ、そういえば今日は「美味かったか?」と聞かれたら、頷く日だったなと思い返した。 いつの頃からか、サンジは「美味かったか?」とゾロに聞いてくる。朝でもなく昼でもなく、その夜食を食べているその時だけ尋ねるのだ。なんでそんなこを聞くのだと問えば、お前が無愛想だからだ、と言われた。何が好きで、何が嫌いかわからないから聞くのだと。 ゾロにしてみれば、自分は好き嫌いなどなくどれもきちんと食べているのだし、不味ければ食わないだろうと思うのだが、サンジにしてみればそういうことではないらしい。 「普通は食べてる時の表情とか見れば、ああ、これ好きなんだなぁとか大体わかるけどな。お前の場合わかりづらいんだよ。好みがわかればそれなりに作ってやれるのに、わからねぇと作ってやれないだろうが」 そんなものなんだろうか、と思う反面、彼は料理人なんだなと妙に納得したりもした。アホな男ではあるが。 なので、ゾロは三回に一回その質問に対して頷き、たまにこれが美味かったと、答えるようにした。毎回頷くのは、昼間の件もあり癪に障るので三回に一回。 それが今夜、という話だ。 妙に義理堅いゾロは、その周期を確実に守っていた。 だがその日。 いつもなら聞いてもいないのに横でアレコレ話す男は、気味悪いほど終始無言でゾロが食べ終わるのを待っていた。食べ終わったら食べ終わったで、あの「美味かったか?」を言わず早々に見張り台を降りていく。 見張り台から見下ろせば、いつものようにまっすぐラウンジへ歩いていく黄色い頭が見えた。 確かに今日は三回に一回頷く日のはず。それよりも、何故いつもみたく話したり、聞いたりしてこないのだろう。 そういえば今日はケツも触りに来ていない。いや、今日だけじゃない。昨日も一昨日も。ここ数日、近づいてくる姿に警戒してそれを追い返すという作業をしていない。 どういうことだと思ったが、どういうことも、こういうことも。触りに来なければ追い返す為に無駄な喧嘩をすることもない。隠れたりする必要もない、ということだ。 もしかしたら、やっとあの黄色い頭が正常に作動し始めたのかもしれない。女だけじゃなく男の尻も追いかけるのは不毛だと。それとも飽きたか。 いずれにしても、ゾロにとっては良い事だ。これで一々警戒せずに済む。そもそもあの男相手になんで自分が警戒しなければならないのか。それもおかしな話だ。きっと、明日からはまた前と同じようにゆっくり昼寝が出来る。 そう思うのに、なにかすごく落ち着かない気分がした。 上を見ると月が出ていた。ただ前に見た月とは違って細い三日月だった。あのまん丸い黄色ではない。 ふと、下の方で気配を感じて見張り台から顔を出すと、ラウンジから出て来たサンジがこっちを見ていた。 いや、正確にはゾロの更に上。月を見ていた。 思わず、自分も空を見上げる。それから、もう一度下を見るとサンジと目があった。 何故かドキッとした。慌てて顔を引っ込める。 「……何焦ってんだ」 なんで咄嗟に隠れてしまったのか、その理由が見つからないまま、心臓だけが妙にドキドキした。 もう寝よう、と見張りらしからぬことを思って横になる。目を閉じると、さっき見た彼の顔が浮かんできた。普段の生意気そうな顔でもなく、喧嘩する時の怒った顔でもない。自分に近づいてくる時の何かを企んでるような顔でもなければ、「美味かったか?」と尋ねてくる時の笑った顔、そのどれでもない。 パッと目を開ける。 そうか、今日は笑った顔を見ていないのか。だから落ち着かないのか。 行き着いたその答えに、ゾロは愕然とした。 2005/01/28掲載 |contents|back|next| |