城門に煤色をした猫が現れるようになった。
 初めはどこぞの忍が使う獣かと怪しまれたものだが、そのような事は一切なく、ひねもす門兵に遊んでもらい、少量の餌を食べ、日が暮れる前にナァと礼を言うように鳴いて、城下の街の隅で眠っていた。


 それが五日続き、兵も猫がいるのが当たり前になっていて、交代の後に暇があれば構ってやる者もいた。猫は人懐こく、野良ならば誰が飼ってやるかという話が持ち上がりかけていた。
 しかし、事は起きる。城主が遠駆けに出ようと乗馬したまま門を通ろうとした朝。常に城主に従い、いつ何時たりとも暴れなかった名馬が酷く興奮して、城門の隅にちんまりと丸くなって眠っていた猫に馬首を向け、低く唸ったのだった。
「Hey, どうした?」
「政宗様、馬が!」
「なんだ!?」
 背後の声に城主が振り返れば、彼の駿馬だけでなく従者の馬も揃って小さな猫に怯えたり、威嚇したりといった様態を見せていた。はっと目を覚ました猫は、人のように目を見開き、そして一目散に逃げ出した。
 だが、この異常を引き起こした原因を、この城主が逃すはずも無く。
「あの猫を追え! だが馬は使うんじゃねえぞ! Go!」
 その場にいた兵も忍も総出となって、猫狩りが始まった。




 その日の遠駆けは中止となり、日も傾きだそうかと南中を過ぎた頃、城主の部屋の前に人影が差した。
「政宗様、ようやく城下にて捕えたと。鉄の檻に入れてお持ちいたしましたが」
「小十郎か。よくやった、入れ」
「はっ」
 す、と障子を開けて入ってきた男が持っている檻には、ぐったりとした今朝の煤猫。にい、と口端を吊り上げて悪しく笑む隻眼。檻を受け取ると思い切り揺さ振った。ニィニィ、と止めてくれとでも言うように鳴くのを哀れに見ながら、男が口を開いた。
「その辺りにしておかれませ、政宗様。いくら怪しいと謂えども小動物、手荒に扱ってはすぐに弱ってしまいますぞ」
「Hah! 素性の知れねェ猫だぜ。なにせこの独眼竜の遠駆けを取り止めにさせたんだからな」
 独眼竜、の単語に檻の中の猫の耳が跳ね上がって、黒い両目が声の主をまじまじと見つめた。揺さ振られたせいで体を起こせないのか、顔だけを向けて。
「なんだ、人間様の言葉が判るのか? 奥州の独眼竜、伊達政宗とは俺のことだ。You see?」
 左の隻眼を細め、悪人のように喉奥で笑いながら言った城主だったが、猫が喜ぶようにニャアと鳴いたのを聞いて、悪し様な姿はどこへやら。からからと笑った。
「はは、こりゃいい! 人語を解する猫だぜ、小十郎! 珍しいモンを見つけたな」


 今一つ訝しい、と眉を顰める男はふらふらと揺れる尾を見、城主を見、渋るような声を出した。
「本当に解っているのでしょうか」
「お前も試してみな。おい、猫」
 城主の言葉に檻の猫は男に顔を向ける。僅かに眉を上げた男を見上げて、猫は頭を下げたのだ。まるで人のような猫の仕草に城主は笑い、男はますます眉を顰めた。
「政宗様、どうも気味が悪いと思うのですが」
「そうか? 楽しいじゃねェか、なァ?」
 城主は檻の隙間から指を入れて猫の狭い額を弾いていた。痛そうに転ぶ猫。六爪を操る竜の指弾を受けた哀れな獣に少々の同情を抱きながらも、男は口を開いた。
「どうなさいますか? 忍の道具ではない様子。しかし野良にしては人慣れしすぎていますし、こうして人語さえ理解するなど、言っては何ですが獣とは思えません」
「なら妖なんだろうよ。俺が飼う。こんな珍しい猫なんざ、独眼竜のpet にゃ最適だ」
 柔軟な思考をする城主だが、頑固な一面も持つと知る男はこっそり溜息を吐く。もう彼の中では決まった事らしいと。現に今も男を一瞬見上げてにやりと笑んだだけで、煤猫に構い通しだ。
「では、そういたします。ですがくれぐれも怪我をなされぬよう。猫の引っ掻き傷は治り難いと聞いております」
「I see. そんなヘマしねェよ。竜の爪で抉り返してやる」
「……相手は小動物だという事をお忘れなく。それでは失礼します」
「あァ。――すまなかったな、小十郎」


 城主の部屋を辞そうと面を伏せた男に向かって、はっきりとした声が掛けられた。顔を上げれば、そこには紛れもない奥州筆頭がおり、男はふっと笑む。
「いえ。政宗様のご命令とあらば。では」
「Thanks.」
 静かに出て行った男を見送って、城主はまた猫にちょっかいを掛け始めたのだった。




 檻の中をコロコロと転がされたり、わしわしと鼻頭を撫でられたり、肉球をひたすら揉まれたりとされながらも、猫は考えていた。
 ――独眼竜! この隻眼のお人が竜さま! お城に入れないから、門で待ってたら獣に妖だって悟られて……。追い掛けられたから逃げたら捕まって、ようやく会えたのに。竜さまは妖では、ないのかしら? ずうっと人のお姿で、臭いもしない。あ、お強いからずうっと隠し通せるのかも! そうに違いないわ、なんといっても竜さまだもの!
 猫はそう結論付けると城主を見上げる。黒い髪、鍔の眼帯、見目の良い顔、戦人らしい体。見れば見るほど威厳があるように思われた。
「小十郎も出て行ったしな。猫、逃げねェと確約できるか? できるんなら檻から出してやるぜ?」
 城主に浮かべられた悪そうな笑みに尾を丸めつつも、猫は肯いてナァと鳴いた。
 ――出してくださるなんて! どうしよう、変化した方がいいのかな、それとも妖化した方がいいのかな。
「Good! 出な、ほらよ」
 是を示した猫に、くくっと笑って城主は檻の鍵を外した。そろり、と動きながらも猫は檻の内に留まったまま。
「なんだ、出ねェなら閉めるぞ」
 がたん、揺すられた檻から煤猫は慌てて転がり出る。と、首を摘ままれ、隻眼が興味津々に細められた前にぶら下げられた。ヒィ、と猫の情けない声。
「おっと、雌か。恥ずかしがることもねェだろ」
 ――そうではありません、竜さま!
 ぽふん、と音がして、独眼竜の眼前にぶら下げていたはずの猫はいなくなり、彼と向かい合うように娘が一人座して猫と同じような目をして見上げていた。しばし、無言。城主は童のように瞬くばかり、娘がその呆気にとられた彼の顔をじいと見ている。


 甲斐の若虎とは異なり、奥州筆頭は落ち着いて娘に問い掛けた。
「What? 猫か?」
「はい、竜さま。と申します」
 畏まってきっちりとした礼をする娘に分が悪くなった城主は姿勢を正し、僅かに眉を寄せた。
「竜さま? 独眼竜のことか?」
「さようです。あたしはご覧の通り、格は低うございますが猫の妖。三百余年を生きました」
「妖? 目の前で化けられちまったら信じるしかねェが……。お前、檻に入ってた猫か?」
 再びの問いに、娘ははっきりと頷く。
「はい、今しがた竜さまに出していただいた猫です」
 何事かを呟いて、城主は呆れとも驚きともつかない溜息を吐いた。
「妖と言いはしたが、本当にいるとは思わなかったぜ……」
「何を仰います、竜さま。あなたこそ……、あれ? 人の臭い?」
 首を傾げる娘。半眼になった城主が姿勢を崩して娘を見遣った。
「独眼竜ってのは二つ名だ。俺は伊達政宗、人の子に相違ねェ。OK?」
「おー、けー……?」
 噛み合わない会話、滅多にない城主の呆けきった姿、はきはきとしていたのがしおれきった娘。
 その場に誰かが現れていたら、訳のわからぬ光景に言葉を失ったに違いなかった。




 それから数刻。書物を手に再び城主の部屋へと向かっていた男は、目的の場所から二つの声を聞いた。
! 猫に戻れ! 小十郎が来るぞ!」
「はい、竜さま!」
「竜さまじゃねえ! Hurry up!」
「はい! 政宗さま!」
 一つは聞き慣れた城主のものだが、もう一つは若い女のもの。男は眉間に皺寄せて、早足にその場へと向かう。障子越しにも判る、室内の異様な雰囲気に男が低くドスの効いた声を出した。
「政宗様。小十郎、入りますがよろしいですね」
「入れ」
 城主の言葉にさっと障子を引く。部屋は――猫と遊んだにしては、おかしな事になっていた。素知らぬ振りをして文机に向かう城主と、その膝に丸くなっている煤猫。
「先ほど、娘の声がこちらからしましたが。ご説明くださいますな?」
「Ah? 聞き間違いじゃねェか? 俺は猫と遊びながら書に向かってたぜ?」
「ならば忍と会話なされていたとでも?」
「呼んでもないのは来ねェよ」
「では、猫が話をするのですね」
「それこそあり得ねェな。なァ、?」
 強面な男の恐ろしげな声音にも慣れている城主は膝に乗せた猫の喉を掻いている。だが、決して男の方を見ようとしない。猫はあからさまに男に怯えているが、城主の呼び掛けにナァ、と小さく鳴いた。
、と名付けたのですか」
「Yes. こいつはだ。煤猫にゃ勿体ねェ名だがな」


「……さて、政宗様。ここへ来る途中で俺は『、猫に戻れ、小十郎が来るぞ』と聞いたのですが。その猫の名は。猫に戻れ。加えて娘の声」
 一言ずつ区切りながら、男は城主を睨む。一人と一匹の背は、これ以上ないほどに動揺している。
「妖、こっちへ来やがれ。政宗様から離れろ」
 男の左手に小刀が握られ、視線は完全に猫へと据えられている。事が起きてからでは遅いのだ、男の行動は至極当然と言えた。それを止めたのは他の誰でもなく、城主だった。
「Stop! 小十郎、こいつに手を掛けるんじゃねェ! 、お前からも命乞いしろ!」
 焦りながら振り返った城主は、猫を掴むと自分の前に叩き付けた。ぽふん、と間の抜けた音の後に、猫が押し付けられていた畳の上で公家の娘が頭を垂れていた。
「あたしがにございます! 妖ではありますが悪さはいたしません! 竜の右目さま!」









前へ
次へ

戻る

2008/09/26, 2010/01/10
よしわたり



Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!