猫が弱って、甲斐の猿飛佐助へと文を遣ってから数日後。奥州の竜の城に、賑やかな来客が馳せ付けた。
「久しぶりでござる、伊達殿! しかし本日は某、敵として参ったのではござらぬ。佐助が呼ばれたというので主として忍のみを向かわせるは無礼と思い、某も同行した次第。そして、できれば共に修行いたしましょうぞ!」
「ちょっと旦那、お願いだから無茶言わないでくださいよ! ただでさえこれ、非常事態なんですから!」
 来客を客間に迎えて、城主が顔を出して形式に則った迎賓の礼が終わった途端、これだ。第一声から言いたくて仕方がなかったのを一応我慢していたのだろう、若武者はどこか楽しげに声を張り上げ、傍に控えている青年に怒られている。独眼竜は隻眼を細めてニヤついており、上座のすぐ傍で座っている男は呆れ顔だ。
「いつ見ても変わらねェな、てめぇらは。戦場だろうと他国だろうとお構いなしか」
「ご迷惑かけますね、竜の旦那! ほら、旦那も謝って、頼みますから!」
「何故謝らねばならぬ。いや、伊達殿もお変わりない様子。某も好敵手として嬉しゅうござる」
「あーもう何言っちゃってんの旦那ァ! もうさっさと猫見て帰らせてもらいますんで!」
 主をどうすることもできず、謝りどおしで酷く腰の低い忍は、用を済ませたらすぐにでも帰りたいと嘆いている。だが、折角好敵手の虎の若子と会した六爪の竜が、むざむざ好機を逃すはずはなかった。
「いや? いいぜ、好きなだけ居ろよ。信玄公からも二人を宜しくと頼まれていることだしな」
 信玄公、それだけで若武者は止まらなくなり、青年は全てを諦めたように項垂れ切ってしまった。
「なんと、お館様が! それではお言葉に甘えさせていただいてもよろしいのでござろうか!」
「Yes! なんなら今から一戦交えるとするか、真田幸村!」
「この真田源次郎幸村、お受けいたす! いざ、伊達政宗殿!」
「Let's party! Come on!」
「いやー!」
 城主と若武者、二人は勝手に盛り上がって我先にと客間を飛び出して行った。


 残ったのは、それぞれに控えていた二人。
「旦那、どこで覚えたの……」
「おい、猿飛。項垂れたいのは俺も山々だが、オメェにはやってもらう事がある」
「猫の妖でしょ、右目の旦那。ホントやんなちゃう俺様……。でも、お仕事、お仕事……」
 ふらり、と立ち上がった青年はどれだけやつれた顔をしていようともやはり忍で、先を行く男の後を足音も気配もなく歩いていた。




 弱っても妖か、死ぬことはなく水だけで生き延びていた猫は、佐助の到着によって木箱ごと政宗の私室から別の離れへと移されていた。小十郎が襖を開けた離れの部屋は小さく、木箱以外に物がほとんど置かれていなかった。
 襖を閉めると、障子越しの窓から入る弱い陽光だけを頼りに二人は木箱を挟んで向かい合った。互いに真剣な面持ちをして昏々と眠る猫を見るというのは少し笑えるな、と小十郎が先に口を開いた。
「それは言えてますがね、右目の旦那。猫とは名ばかりの妖ですから」
「コイツがコメェを呼んだという事は、やはり知っていたか」
「怪しいのがいたんで確かめたら、自分から妖だって言うわ目の前で化けるわ。どうも人に化けられるようになって初めて会ったのが俺だと言って喜んでさ、そんでうちの旦那とちょっと諍い起こして逃げたと思ったら、こんなとこまで来てるなんて」
「真田も知っているのか」
 驚いたという風情で言った小十郎に、佐助は苦笑する。
「ま、ちょっと。右目の旦那も文、読んだんでしょ」
「ああ。……どう考えても政宗様の所為で患った胃痛だろう」
「トホホ、人に当てられちまって情けないねえ、この妖は。しかもわざわざ俺様に助けを求めるなんて、何考えてんだか。すぐ傍によく理解してくれる人がいるってのに」
 真上で会話が行われているにも関わらず、眠りこけたままの猫を見下ろして佐助は半眼になった。それを、小十郎が先日の妖猫との遣り取りを思い出しながらか、猫を庇うかのような言葉を呟いた。
「俺には何か思うところあっての事だと感じたが。首を刎ねられてもいいとまで言ってオメェを頼ったんだ、こいつは」
「はあ? 今一つ理解できないね、妖ってのは」


 首を傾げて溜息を吐いた佐助に頷きつつも、小十郎は視線を襖の外へと寄越した。彼を遠くから呼ぶ声。
「同感だ。ともかく薬をくれてやれ、人と同じものでいいのかどうか忍のオメェなら判断が付くと思ったんだろう。すまねえが、をしばらく頼む。俺は仕事もあるんでな、外させてもらう。万一に備えて、この離れには忍さえ近寄らせないようにしてある。悪いが入用のモンがあるなら出てきて人を呼んでくれ」
「用意のいいことで。んじゃま、万能の忍が妖治療させていただきますよ」
「政宗様の気に入りの猫だ。くれぐれも扱いに気をつけろよ」
「へいへい」
 両者とも苦い笑みを浮かべながら会話は終わって、一方は立ち去り、もう一方はその場に留まった。




「さて、久し振りだね。ちゃん?」
 佐助が木箱から猫を取り上げ、顔の前に持ってきて声を掛ける。弱々しく目を開けた猫は眼前の人に驚きながらも嬉しそうにナア、と鳴いた。もぞもぞと動きたがる猫を組んだ足の上へと置けば、しきりに顔を摺り寄せている。
「へえ、俺様随分信頼されてんのね。――妖仲間、として」
 近くに置かれていた桶の水を片手に掬い、反対の手には丸薬を。有無を言わせぬ忍となった佐助は懐く猫にも冷たく言い放った。
「口開けな。体力を一時的に回復する薬を飲ませてやる。即効薬だが、一時しのぎに過ぎない。その間にあんたの腹痛の元を調べる。いいな」
 大人しく了承した猫は仰向けになって口を開ける。薬が嫌なのか目をつむり前足で覆う様は、人の子そのものだった。笑いそうになる己を抑え込んで、佐助は水と丸薬を猫の真っ赤な口内に流し込んだ。
 こくり、猫の喉が動いた後、けほ、と噎せ込んだ。すぐさまそのまま丸くなる猫だったが、佐助は政宗と違って撫ではしない。薬の効果が現れるまで沈黙だけがその場を支配することとなった。


「そろそろ効いてきたんじゃね?」
 猫を畳に下ろして佐助が軽くその頭を叩く。それを契機としたかのように、ぽふん、と猫は娘の姿へと変化して衰弱しきった顔を綻ばせ、佐助へと頭を下げた。
「佐助さま! ありがとうございます!」
「いいから黙ってな。アンタの腹痛は右目の旦那が言うとおり、心労からくる胃痛だ。妖と言っておきながらそれさえも治せないの?」
 凍るように冷徹な佐助の言葉に、は伏せた顔を上げられずに小さく、すみませんと謝った。猫臭い事にか薬をもらった事にか遠くへと足を運ばせてしまった事にか。無表情に見下ろす視線を感じながら、がゆっくりと語り出した。
「判らないんです。あたし、何もかもが初めてだから、きっと。佐助さまに、偉そうなことを言って自分こそ未熟なくせにと言われたの、しかと思い知りました。斬られた時みたいに眠り続ければ回復したのかもしれませんけど、竜さま、政宗さまが酷く心配してくださるから。眠ってはいられないと思って。そうしたらどんどんあたし、弱っていくから、佐助さまの所でお会いした若武者さまにも早く謝りたくて、無礼を承知で片倉さまにお頼みしたんです。佐助さまならあたしを治せると信じてました。……でも、違うんですね」
 が古めかしい衣裳の袖で顔を覆って涙している。
 獣から妖になってまだ日が浅いというは、恒久に安寧な地から戦乱の渦巻く地に生まれ出て、ようやく人らしさというものを得つつあるのだろう。妖の時間は獣とも人とも異なる。妖として生きてきた年月が佐助の数倍はあるはずだ。




「アンタは俺を過信している。俺は人だよ、悪いけどあんたみたいな妖とは違う。少しばかり感覚がいいだけだ。自分が妖だと思った事はないし、なろうとも思わない。人として忍として生きてる。だから、俺に助けを求めたのは正解だけど間違いだ」
 佐助は、が求めた自らの内の妖をきっぱりと切り捨てて、言った。ちらりと赤くなった目を見せたを、子供をあやすように抱き寄せて背を擦りながら続ける。
が助けを求めるべきだったのは、独眼竜と右目の旦那だ。どれだけあの二人がアンタに気を遣って、心を砕いて接しているか判らない? 竜の旦那はいい人だって文にも書いてあったし、文を手配してくれたのは右目の旦那だろ? アンタは外で初めて会ったヤツを信頼したんだろうけど、それが俺様じゃなかったら大事だからね? 人だったり妖だったり、普通はどっちかで、どっちも助けてなんかくれないよ。ホント親切な俺様でよかったねー」
 いつの間にか自分を慰めに入ろうとしている佐助だが、抱き寄せられ言い聞かされてますます涙を流し出したをそのままにはできない。
「だけど、俺じゃなくて、あの二人を信頼しな。あるじさまには、もう二度と会えないよ。それに、俺もアンタのいう若武者さま、真田幸村もいずれ奥州とは敵対する。 ――これから頼る人は誰か、判ったよね?」


 そろり、との頭が縦に動いた。か細く、猫のように呟く。
「政宗さまと、片倉さま」
 の答えに佐助は満足し、ひゅう、と口笛を鳴らした。
「あは、ちゃんと判ってくれた? じゃ、もういいね。胃薬やるからしばらくそれ飲んでな。また腹が痛くなったら右目の旦那にこっそり言えば薬をくれるはずだ。ホント、独眼竜の旦那は周りに迷惑ばっかりかけてくれちゃって。俺様も大迷惑」
「すみません、佐助さま」
 肩を竦めて軽く言った佐助から勢いよく身を離して、は深々と頭を下げた。迷惑、に反応したのだろう。急に諸手放しになった佐助は苦笑して、楽な姿勢に戻った。
「あー、違う違う。それもあるけど、別件も。そろそろ薬切れちまうな。とりあえず何か柔らかいものでも食べて、薬を飲んで、さっさと胃を治してくれる? 早めにうちの旦那に謝ってもらわないと困るから」
「はい」
「ほら、寝な。ねこくさーい」
 おちゃらけて言った佐助にくすりと笑ったは、ぽふん、猫の姿になって一礼すると木箱の中へと収まった。ポカンとした佐助を残して。
 ――あれ、この猫娘、今みたいな顔できるんだ? きゃいきゃい喧しいだけだったのから、……成長してる? 妖ってそういうモンなの?









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2008/09/27, 2010/01/10
2010/03/24 訂正
よしわたり



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