「おお、佐助! どうであった?」
 肩で荒く息をしながら、だらだらと流れる汗をそのままに、鍛錬用の槍を両手にした幸村が、佐助の姿を見付けて大声で呼ばわった。それに反応して振り向いた政宗は、両指に挟んでいた六本の木刀を器用にしならせて袴の帯に挟み込んだ。
「さっすが独眼竜の旦那! 今のカッコいいねー」
「独眼竜は伊達じゃねェ。You see?」
 主の問い掛けにも答えず相手の動作を褒めた佐助に、政宗は機嫌良くお決まりの文句を言ってのけて、からからと笑った。
「で? 俺のpet の具合はどうだ?」
「ああ、なんともないよ。ただの胃痛。誰の所為かは知らないけどね」
「妖が胃痛!? なんと面妖な……」
 佐助の意地の悪い視線に多少の罪悪感はあるのだろう政宗が隻眼を逸らし、話から外されていた幸村は勝手に割り込んで唸っている。なんとも平穏な光景だ。


「忍のよーく効く薬置いてきたからすぐ良くなるって。ま、竜の旦那もちょっとは加減してやってよ」
「伊達殿、佐助の薬はこの上なく苦く不味いのだ。くれぐれも、誤って飲まれぬよう」
「何言ってんの、あれは旦那用の特別。俺様が精神すり減らして働いて作った薬を効かぬぞ、なんて抜かした罰だよ、罰」
 へへー、と悪戯が成功した子供のように佐助は笑う。幸村が何事か言おうとするが、それを遮って政宗が先に笑い出したために、ぐうと堪えて佐助を睨むだけに止めたようだった。ほんの僅かだけ幸村が泣きそうな顔をしたのを見てしまった二人は余計にげらげらと笑ってしまい。烈火ァ、の叫び声と共に繰り出された無数の槍鋒は炎を帯びて、跳びずさった政宗の袴の裾を焦がし、佐助の顔を凍りつかせた。
「Shit! 真田幸村、何しやがる! 火はナシだと言っただろうが!」
「さて、伊達殿は何をお怒りでござろう? 某は伊達殿の奥の佐助に技を放ったのだが」
「俺を狙ってたじゃねェか!」
「佐助の前に立っておられた伊達殿が悪うござる」
「おい猿飛! てめぇ何か言いやが、れ……」
 すっとぼけてシラを切り通そうとする幸村の攻撃の矛先を変えようと政宗が振り返った先に、人の姿はなかった。サッと青褪めた政宗に狙いを定め、天・覇・絶槍ォ、と叫んだ幸村は、――そのまま前のめりに板敷きの床に倒れ込んだ。




「っとに、旦那も少しは堪えどころってのを知ってほしいよ。ねえ、竜の旦那」
 燃え滾っていた幸村を背後から一瞬で黙らせた、いや、失神させた佐助の表情はけろりとしていながらも、焦りが見え隠れしていた。なにせ、報告に来ただけの佐助は丸腰。
「さすが、猿飛佐助。Cool だな」
「お褒めの言葉、どうも。さて、どうしたもんかなー?」
 先の礼をきっちりと返して、政宗は佐助の言わんとする事を理解して人を呼んだ。
「……部屋に運ばせとく。OK?」
「あは、どうも! 助かるねえ、話が早くて。これが旦那だと絶対そうはいかないからもう俺様感激」
 病人のように戸板に乗せられて運ばれていく幸村を笑顔で見送りながらも、佐助は矢継ぎ早に喋り続ける。旦那は忍遣いも荒いしさー正直どっかいいとこないかなーって思ってんだけどねー伊達軍にお一人どーお猿飛佐助っよく働きますし任務もちゃんとこなします特技は料理に裁縫分身諜報暗殺に着付け給料に不満は言いませんいかがっすかー。
 長々と一息で言い切ってさらに続けようとした佐助を、Shut up の声が止めた。
「てめぇと話すと疲れるから黙ってくれ、頼む」
「なんでよ、愚痴ぐらい聞いてくれたっていーんじゃない? ただでさえ猫捜しさせられてた多忙な有能忍を奥州筆頭サマのだーいじな猫ちゃんの診察に呼んでおいてさ、それがただの胃痛だなんて、もうやってらんないよ俺様。忍なのか小間使いなのかどっちなんだって話」
「猫捜し? なんだ、真田がを捜してたのか?」
 佐助の愚痴には耳を貸さず、政宗は自分の訊きたい事だけを問い返した。小さく肩を竦めてくるりと体を反転させた忍は姿を床に沈ませ、次の瞬間には開け放たれた縁から現われて庭の木の枝へと跳び移っていた。これには政宗も見事なものだと口笛を吹く。


「ま、ちょっとした手違いでね。ホントは接触させるつもりなかったんだけど。旦那はそういった類信じそうになかったから。なのに、妖ってば厄介だからさ。猫の姿で捕えていたのが驚いて化けちまって、旦那に見付かったら、こっちの気も知らずにそのまま逃げてった。妖って人を化かすって言うのに、あの妖は人に化かされてた。妖として俺の何倍も年経てるはずなのに、俺より全くお粗末な変化してぼんやり歩いてたんだ」
 視線は遠く。樹上で、どこか超然と妖について語る佐助は傍目にも奇妙だった。だが、止める者はない。
「旦那は妖に興味を持っちゃう、折よく届いた文には妖が旦那に謝りたいって書いてある。知りたかったんだ、旦那も、……俺も、あの猫――も。妖とは何なのか」
「What?」
「妖ってのは、二種類あるんだってさ。ひとつ、元より妖のもの。ひとつ、鳥獣や樹木が気の遠くなるような時を生きて妖気を宿したもの。人からしたらどっちも同じなんだけどね、そうなると疑問が起こる。妖にとって人はなんだ? 人が妖気を宿したら、それは妖になるんじゃないのか? 妖気をそもそも持って生まれた人は妖なんじゃないのか? ――人と妖は、どこで線引くのか」
 諳んじるようにひとりごちていた佐助が最後の問いを口にした時、その眼はしっかりと政宗を見据えていた。問いに答えよ、と言わんばかりに。




「――そんなのは、己の中で決めるモンだろうが。自分が妖だと思えば妖になる、人だと思えば人になる。違うか」


 隻眼が射抜くように忍の双眸へと向けられ、言葉には一切の迷いがなかった。はは、と視線を遠くへ戻していた佐助が肩を揺らして笑う。
「独眼竜の名は伊達じゃねえ、ってな。さすがだねえ。散々考えた末にようやく俺は竜の旦那と同じ結論に至った」
「猿飛、てめぇはなんでそんな事を考えた?」
「妖猫に会っちまったから、って理由じゃ納得してくれないよね」
「当然だ」
「俺自身が人と妖の境目を見ちまったからかなあ。忍やってりゃ色々あるの。みたいなのに会うのは初めてだったけど」
 その言葉の裏には、佐助の素性――半人半妖、の事も含まれるのだが、政宗はそれを知るべくもない。忍か、と呟いて視線を庭の砂利に適当に彷徨わせた。
「そ、忍。俺やかすが、風魔なんてのは顕著な例だろ? 闇に光、風なんて力をつけてさ、そこらの忍とは一線を画してる。人なんだか妖なんだか判りっこないよ」
「言われてみりゃ確かにな。だが、忍だけじゃねェ。魔王だなんて言われるようなヤツがいる世だぜ? 俺だって妖になれるかもしれねェ」
 くつくつと、しばらく二人の笑い声が低く響いていた。笑いが引いたそこには不自然な沈黙がおりる。城内の音も鳥のさえずりもしているはずなのに、二人の間だけに無音の空間が生じたかのよう。それを打ち砕いたのは、妖ねえ、との呟きだった。
「あんたなら、なろうと思えばなれるさ、独眼竜。……けど、俺は人を選ぶね」
「へェ? 理由を聞きてえもんだな、忍の中の忍」
「俺は人で生きてきた。忍だけどね、人なんだよ。天狐仮面なんてバカな事やらされても、忍術がどれほど人外じみてると言われても、人でありたいんだ。妖には、ならない」
「妖といってもみたいなヤツもいる。あれは猫の癖して妙に人くせェ。それはどう見る」
は妖としての自覚が薄かったんだ、俺と会うまでは。猫か、人か。それしかなかったからだろ。だけど今は自分が妖だって理解しているはずだから、きっとこれから違ってくると思うよ」
「なんだ、猿飛。やけに詳しいじゃねェか。俺が知らねえ事知ってそうだな」
「怖いよ、竜の旦那。ま、そのうち話すんじゃない? 俺様訊問って名目の武器があったからね」
「俺も遊んでないでそうしてりゃよかったぜ」
「あは、そんな事してなくてよかった。随分ちゃん可愛がってるでしょ? 文に色々書いてあったよ、竜さまがどうのこうのって」
 俺の名は政宗だと憤慨しつつも、どさりと座り込んだ独眼竜は笑っていた。その二つ名が似合わぬほどに人の顔をして。ちらりとそれを盗み見た佐助もまた、人として笑う。


 ここには、人しかいない。




 んん、と伸びをして佐助が木の枝に逆さ吊りにぶら下がる。どうやっているのか、着物に乱れはほとんどない。
「さて、そろそろ旦那の所へ行かせてもらいますか。起きてまた怒られるのも嫌だからねえ、甘味持って行って謝れば俺様の勝ちー、だけど懐は負けー」
 およよ、と着物の袖を目許へ当ててあからさまな泣き真似をする佐助に、顔をしかめて呆れた溜息しか出さない政宗。
「真田幸村も得物を持った時とそうでない時の差が激しいヤツだな。……今日だけはてめぇに免じて好きなモン持ってかせてやるよ」
「よっ、太っ腹! いやー、助かるわ、ここへの道中急ぎのはずだったのに何回俺の財布から銭がこぼれていった事か! 汗水流して稼いだ銭が泡と消えてったのよ?」
 なんだかんだで佐助の口車に乗せられている政宗だったが、それを考えれば負けだ。忍相手に口喧嘩をしようとしたところで暖簾に腕押し、糠に釘。追い払うような仕草をして、黙れ黙れと言うだけ。


「Alright, I see. もういい、それ以上言うな。あいつを好敵手にしてしまった俺も嫌な気分になる」
「してしまった、だってさ。もう後悔してるぜ、竜の旦那? んじゃ、ありがたくご好意に甘えさせていただきますかね」
「Ha. 好きにしろ。とっとと行っちまえ」
 ごろんと寝転がって肘をつき、枕にして政宗は忍に背を向ける。口では悪し様に言いながらも顔は笑っているだろう、声。と、と非常に軽い音だけで縁に跳び戻った佐助はへらへらと笑いながら歩いていく。
「素直じゃないねえ。ちゃんには優しいくせに」
「猫はいい遊び相手なんだよ、小さい軽い丸くておまけに文句も言わねェ。そりゃあ優しく苛めてやってる」
「ま、それを聞けて俺様も安心。――ありがとうね」
 いつの間にか佐助の姿は消えており、声だけが残っていた。ひらり、と片手を振って、政宗は瞼を閉じた。









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2008/09/27, 2010/01/10
2010/03/24 訂正
よしわたり



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