「陸将軍。急務がございまして、周都督の許へとお呼びがかかってございます」
 陸遜が急の呼び出しを受けたのは、かの騒動があってから十日も過ぎてからだった。事由は先の騒動について、と伝え聞いても既にその件は彼の手からは離れていたために忘れかけていた。今更何なのだ、と不審に思うのは詮無きことだろう。

 彼を呼び出したのは他でもない、大都督周瑜だった。他の将官の官房とはまるで異なる造りの扉、衛士に来訪を告げれば、それは中から開かれた。
「失礼します。陸伯言、只今参りました」
 拱手して房内に入る。広い官房に、陸遜を呼んだ男以外の姿があるのを疑問に思いつつ、机を挟んで彼の前に立ち、再び手を拱いて頭を下げた。
「周都督自ら私を呼ばれたと。用件をお伺いします」
「顔を上げよ、陸遜。君に少々伝達があってな。ひとまずそちらに掛けてくれ」
 はい、と肯き周瑜の示した榻牀を見て、陸遜は驚いた。座っていたのは呂蒙と、先日の女――、だったからだ。取り乱しそうになるのをようやくこらえて周瑜を振り返り、陸遜は声を上げる。
「都督、これは」
「順を追って話す。落ち着け」
「はい……。申し訳ありません」
 軽く陸遜の肩を叩いて、周瑜は女の座っている側の榻牀に座る。几案を置いて、向かいに座した呂蒙の隣に一礼して陸遜が腰を下ろすと、周瑜は一つ咳払いをした。

「今回の事、君に何も伝えずに進めたことは謝ろう。これから私が言うことは、上旨でもある。――このを君の護衛として官に任じる。呂蒙、詔書を」
「は。これなるが殿の意向、署名も印も下さっている。陸遜、決まった事だ」
 几上に広げられた書には彼らの言葉どおりの語句が並び、確かに呉主の印もあった。声を失い、まじまじとそれを見つめるしかない陸遜。彼の意識を引き戻したのは周瑜の一言だった。
「君には期待をしているのだ。そのための護衛、身命を捧げ君を守護すると誓約してくれた」
 それまで黙って座っていたは正面の陸遜を一瞥すると、床に額づいて恭しく合わせた両手を掲げた。
「これまで主を決めず游行してきた身。今を以て貴官を私の主とし、身命を賭して守り抜くことをお誓い申し上げます。陸伯言殿」
「彼女の力量は確かなものだ。傭兵などをしていたのが惜しまれるほどにな。ないとは思うが、万一叛逆の意をみせようものなら構わず切って捨てろ。――話は以上だ。詳細については呂蒙と、彼女に訊いてくれ」
 周瑜は話は済んだとばかりに書籍の積まれた机へと向かう。動かないを見下ろし、茫然自失としていた陸遜は呂蒙に連れられ、彼女を従えて廊下に立っていた。自分が周瑜に謝辞を口にした気はするが、それすらも怪しい。

 ――すべて決まっていた? 私の知らないところで。……期待? そんなもの、重すぎる!
 何もかもが急すぎて、先を行く呂蒙の言葉も碌に耳に入らない。ただ己の裡に渦巻く思考に囚われるばかり、半歩後ろをついてきていたがすぐ傍に近寄っていたのにも陸遜は気付かなかった。

「陸将軍」
 名を呼ばれ、心ここにあらずとした表情を彼女に向ければ、ふ、と笑んではささやいた。
「共に歩んで行こう、弱年の将。貴方は私の主となった。命じれば、どこまででも附き従うよ」


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2008/05/25
よしわたり



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